ついに、『風立ちぬ』がテレビ初放送となります。ということで、『風立ちぬ』にまつわる豆知識をまとめました。
同作は、実在の人物を下地にしているので、関連書籍による情報も豊富ですが、ここでは主に作品と直接的な情報を載せています。
ネタバレになる情報もあるので、まだ観ていない人は、鑑賞後に読んだほうが良いかもしれません。
原作の漫画版『風立ちぬ』では、登場人物はブタだった
月刊モデルグラフィックスで連載されていた、宮崎駿監督の漫画版『風立ちぬ』では、ヒロイン菜穂子を除いたすべての登場人物がブタとして描かれている。
堀越二郎の上司、黒川は宮崎駿が投影されている
企画当初からモデルとして描かれていたわけではないが、『風立ちぬ』を作っていくうちに、宮崎監督自身が投影されたキャラクターになった。堀越二郎の声優が、庵野秀明に決まった際、宮崎監督は「おれ、黒川の声優をやりたくなっちゃった」という旨の発言をしている。
また、作画監督の高坂希太郎のインタビューでも、黒川が宮崎駿であることが語られている。
――保田さん(色彩設計)は黒川が宮崎さんだと言ってました。
高坂:
自分でも言ってました。「俺だなオイ」って。顔の造形も、言動も。だから愛着もありましたよね。
堀越二郎が間借りている、黒川宅の建物は「前田家別邸」がモデル
完成報告会見で、宮崎監督が「映画に出てくる離れの建物は、社員旅行で行った熊本の小天の部屋を見て、「あ、これを使おう」と。そこに行かなければなかなか離れという発想は出てこなかったと思います。転んでもただでは起きない人生ですから、いろいろかき集めて作りました」と発言している。
登場人物は実在した人たち
『風立ちぬ』は、戦時中に実在した人物たちを描いている。
主人公の堀越二郎は、実在した航空機設計技師の堀越二郎と、小説家の堀辰雄が投影されている。
中央が堀越二郎。右が堀辰雄。
本作に登場する里見菜穂子は、架空のキャラクターだが、堀辰雄の小説『風立ちぬ』に登場する節子と、小説『菜穂子』のヒロインが混ぜてある。
節子のほうは、堀辰雄の恋人であった、矢野綾子という実在の人物がモデル。実際に結核を患い、堀辰雄と共に病と闘いながら、療養所で病没した。
本庄は、実在の堀越二郎の一期先輩である本庄季郎がモデル。九六式陸攻、一式陸攻主任設計者。新三菱重工技術部次長を務めた。1977年に始まった、第一回鳥人間コンテストで、飛行距離82.44mの記録を出し優勝している。
服部は、実際に堀越二郎の上司だった人物。服部譲次がモデル。
1923年より、三菱造船の名古屋航空機製作所にて設計課と研究課の課長に就任。
三菱重工業の名古屋航空機製作所にて技術部の部長などを歴任。
ジャンニ・カプローニ伯爵は、イタリアに実在した航空技師。航空会社「カプロニ」の創業者。
第一次世界大戦で、爆撃機や輸送機の生産で躍進。1930年頃には、自動車・船舶用エンジンの生産など事業の多角化に成功し、イタリア有数の企業に発展した。
ユンカースは、ドイツで生まれた発明家であり、実業家。全金属製航空機や初期の高速ディーゼルエンジンの開発に先駆的な役割を果たした。時のナチス政権に批判的な姿勢をとったことから、政権から会社を奪われ、追放された。
『風立ちぬ』里見菜穂子のモデル、矢野綾子の実像
『風立ちぬ』実在した登場人物たち
実際は、仲が悪かった堀越二郎と本庄季郎
本作では親友となっている堀越二郎と本庄だが、実際は不仲だったことが、宮崎駿と半藤一義の対談集『腰ぬけ愛国談義』で語られている。
宮崎:
じつは堀越二郎とは、あまり仲が良くなかったのですが、映画では親友にしてしまいました(笑)。半藤:
ほう、仲良しにしましたか。宮崎:
ええ。お互いの仕事について、一言も言い合っていない。だから仲良くないんだろうと思います。ものの考え方が全然違うんです。半藤:
たしかに、陸攻と戦闘機では、全然違いますからね。宮崎:
全然違います。二人ともぼくは好きなんですけどね。堀越さんは、太平洋戦争が始まったときには病気で寝ているんです。そのときに軍部から、零戦の翼を短くしてくれっていう要望が出て、それを、本庄さんが容れて翼の先を真っ直ぐ切っちゃったんですよ。
カストルプは、ジブリで働いていたスティーブン・アルパートがモデル
謎の人物、カストルプのキャラクター造形は、ジブリの海外事業部にいたスティーブン・アルパートがモデルとなっている。声優もアルパート本人が担当している。
なお、このキャラクターが何を表しているのか、公式な説明はないが、ソ連のスパイ「リヒャルト・ゾルゲ」を暗示していると思われる。また、カストルプという名前は、トーマス・マンの小説『魔の山』の主人公からきている。
効果音は人の声で作られている
サウンドエフェクトと呼ばれる飛行機などの効果音は人の声で表現している。
宮崎監督は「子どもの頃はほとんどみんな絵を描きながら自分で声を出して、音楽も効果音もセリフも全部やっていたりするのだから、いっそ全部人の声でやったらどうなんだろう」と人の声による効果音を試みたことを明かしている。
鈴木:
本物の音を再現することにどれだけの意味があるのか。大事なのはそれらしく聞こえること。そうしたら宮さんが声で効果音をやろうって言うから、賛成したんです。
効果音の音声は、音響演出の笠松広司が担当しており、擬音をカタカナでイメージして録音したことを明かしている。
――音を一から想像で作るのは大変なのではないですか?
笠松:
例えば、ある絵を見た時に、その音に対するカタカナのイメージがあるじゃないですか。エンジンが掛かればブルブルブルっていうだろうし、プロペラが回ればグルグルグルって擬音になるだろうという。――冒頭の鳥が飛び立つシーンがそうですね。
笠松:
あの辺は、監督に“もし頭の中で鳴っているカタカナがあったら、絵コンテに描き込んでみて下さい”というような話をしたんです。
『風立ちぬ』は宮崎駿の仕事に対する想いを描いている
鈴木:
宮さんはこの映画の裏テーマで、『仕事とは何か』を問いかけているんです。カプローニというイタリア人が出てくるんですが、彼が何度も『力を尽くして生きなさい』と繰り返します。
この言葉は旧約聖書から引っ張ってきたもので、元は「すべて人の手にたうることは力を尽くしてこれを成せ」というもの。宮さんはこの言葉に感化されんじゃないかと思います。
また、本作で動画検査を担当した舘野仁美は、二郎が仕事をしている設計室は、アニメーションスタジオのイメージであると語っている。
――設計室のシーンなんかは一人一人どんな仕事をやっているのか想定しなければ描けなかったでしょうから、余計大変だったのではないですか。
舘野:
あそこはそのままアニメーションスタジオのイメージですね。で、あそこにいる二郎は宮崎さん。宮崎さん自身が、皆と働いている姿を描きたいという想いがあったのではないかと強く思いました。
それぞれの持ち味は皆違っていても、色んな人が色んな才能を持ち寄って作ることの素晴らしさを宮崎さんはご存じなんです。たぶん東映動画の時代から。
企画当初『風立ちぬ』は2案あった
『風立ちぬ』は、A案「二郎とカプローニの友情物語」と、B案「二郎と菜穂子のラブストーリー」があった。
宮崎監督に「どっちがいい?」と聞かれて、鈴木プロデューサーは「それぞれやったらつまらない。なんとか一緒にできないですか?」と提案し、カプローニとの友情と、菜穂子とのラブストーリーの両方が描かれた。
『風立ちぬ』には、実は2案あった…!鈴木敏夫が倉本聰に明かした意外な事実
『風立ちぬ』のエンディングは変更された
ラストシーン、二郎とカプローニの夢に出てくる、菜穂子のセリフは当初、「来て」と2回繰り返されるものだったが、「生きて」に変更された。変更されたいきさつについて、鈴木敏夫プロデューサーが『風に吹かれて』の中で語っている。
鈴木:
宮さんの考えた『風立ちぬ』の最後って違っていたんですよ。三人とも死んでいるんです。それで最後に『生きて』っていうでしょう。あれ、最初は『来て』だったんです。これ、悩んだんですよ。つまりカプローニと二郎は死んでいて煉獄にいるんですよ。そうすると、その『来て』で行こうとする。そのときにカプローニが、『おいしいワインがあるんだ。それを飲んでから行け』って。そういうラストだったんですよ。それを今のかたちに変えるんですね。さて、どっちがよかったんですかね。だけど三人とも死んでいて、それで、『来て』といって、そっちのほうへ行く前に、ワインを飲んでおこうかっていうラストをもしやっていたら、それ、誰も描いたことがないもので。日本人の死生観と違うんですよ。そこが面白い。だから、最初の宮さんが考えたラストをやっていたら、どう思われたんだろうかと。
もしやっていたら、いろんな人に影響を与えたかもしれないんですよ。それだけで一本の話をつくる人が出たかもしれない。
庵野秀明はエンディングの変更に喜んだ
エンディングが「生きて」に変更されたことで、庵野秀明は『ポニョ』とは違う結末になったと喜んでいる。
庵野:
年齢を考えると、ここ何作かはいつも「これが最後」と思ってやっていたと思います。今回もそうだったんでしょうが、途中で変わったんだろうと。それは、良かったですね。そのセリフのままだと、死んで終わりみたいになっちゃうんです。『ポニョ』と同じなんです。それで「なんじゃこりゃ!?」と思ったんです。『ポニョ』という作品で、あのラストはいいんだけど、今回もそれを続けると厳しいな、と思っていたんです。違う答えを出すと思っていたんですが「また一緒か」と感じてしまって。
最終的に(宮崎駿監督が)自分ではい上がって、生きていく方向になったので。それは、すごくうれしかったですね。
宮崎駿監督は、菜穂子を死なせたくなかった
『風立ちぬ』制作時、菜穂子に感情移入した宮崎監督は、菜穂子は死なないと言い出した。しかし、そうすると物語が長尺になるため、原作通り死なせることとなったと、作画監督の高坂希太郎が語っている。
高坂:
あのラストシーンは、実は、作っているうちに宮崎さん、「菜穂子は死なない」とか言い出して。――菜穂子に対する思いれが強くなって、生かしたくなってしまったのですか?
高坂:
ええ。いつもそうなんです。『もののけ姫』だって、最初エボシは死ぬはずだったのに死ななくなっちゃったんですから。でも、それだと全然尺が足りなくなってしまうし、だいたい第二次世界大戦に突入して自分の飛行機が特攻に使われているのに、一方で二郎は菜穂子とイチャイチャしているなんてことになってしまいますよね。「より諦観を強調するなら菜穂子との生活を入れたらダメだと、やはり原作通り死ななくてはダメだ」と言ったんです。ところが宮崎さんは、「菜穂子が死んでしまったらもう出てこなくなってしまう」と。それで、「じゃあ、カプローニと一緒に出せば良いじゃないですか」と言ったら、その意見を使ってくれたんです。
宮崎駿監督は、実際にゼロ戦を購入しようとして奥さんに怒られた
宮崎駿監督も奥さんには逆らえないらしい。
――かつて、米国にある本物の零戦を買おうとしたそうですね。
宮崎:
飛行機は空中にある時が一番美しい。飛んでいるのを見たい、と思ったんです。それもアメリカ人ではなく、日本人が操縦しているのを。スタジオジブリの横の高圧線の下を飛んで欲しいとか夢見ていたんですが、女房に「バカもいい加減にしなさい」と一喝されて終わりました。