宮崎駿宮崎駿さんが都内で講演会を行ない、『もののけ姫』など自身の作品とハンセン病との関わりについて初めて語りました。
『もののけ姫』の製作中に東京・東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全生園を訪れ、「深い苦しみが集積した場所」と感じて衝撃を受けたといいます。



「おろそかに生きてはいけない」と思いました

宮崎駿:
ぼくは、多磨全生園から急いで歩けば15分ぐらいの所に住んでいます。何度か訪ねていったうちに、ハンセン病資料館に入ったんです。これは、たいへんな衝撃を受けた。何度も何度もそこに行くようになるんです。それで、そのたびに「おろそかに生きてはいけない」と思いました。
『もののけ姫』を作りながら、ハッキリと業病といわれた病を患いながらちゃんと生きようとした人たちのことを描かなければいけないと思ったんです。作品を真っ正面からやらなければならない。
(当事者が)どう受け取るのかが恐ろしかったです。映画を見た入所者たちが喜んでくれてよかった。
生きることの苦しさに負けずに生きた人たちの巨大な記念碑を残してほしい。

ハンセン病は、らい菌の感染で末梢神経がまひしたり、顔や手足が変形したりする病気。感染力は非常に弱く、現在では薬で完全に治るようになったが、日本では明治時代以降、国の隔離政策のもと、患者たちは強制的に療養所に収容され、外出の制限や、断種手術・堕胎手術を受けさせられたといいます。こうした隔離政策は、特効薬ができてからも変わらず、1996年にらい予防法が廃止されるまで、40年以上も続きました。