お台場の日本未来科学館で開催されていた、デジタルコンテンツEXPOに行ってきました。
なんの催しなのかというと、デジタルコンテンツ分野で活躍するクリエータや企業などが集って、技術を見せ合う交流会のようなものです。
現在の先端技術が集結するだけあって、面白いものがたくさんありました。20世紀初頭から、ついこないだまで未来のものとしてSF映画や漫画で描かれていたようなものが、もうすでに実現しつつあって、これまで想像されてきた未来に着実に歩んでいるんだな、と印象付けられました。
僕はそういった現代の先端技術だけを見に行ったわけではなくって、ほんとうの目的は、鈴木敏夫さんの講演会。今回、鈴木敏夫さんは、ASIAGRAPH 2010 創(つむぎ)賞を受賞されて、記念講演が行われたのでした。
この創賞って、なんなのかさっぱり分からなかったけれど、なにやら、アジア文化の発展に貢献した優秀なクリエータに贈られる賞なのだとか。過去の受賞者には、井上雄彦や押井守もいるようです。
珍しく、スーツ姿で登場した鈴木さんだったのだけれど、椅子に座ったと思ったら、革靴を脱いであぐらをかいてしまった。このスタイルが、とっても言葉が出てくるのだとか。
たくさんのことを語っていただいたので、その一部を文字におこしました。
受賞のあいさつ
鈴木:
ぼくの友人に 押井守ってのがいまして。長い付き合いなもんですから、すき放題相手の悪口を言いあうって関係なんですけど。
それで実は、今回このお話いただいたときにね、資料等を拝見させていただいたんですけど、そしたら押井守が、この創賞を頂いているんですよね。それでね、悩んじゃったんですよ。頂くかどうか。
だって、彼の後っていうのがねぇ、気に入らなくて。まあ、それは冗談なんですけれど(笑)。
たしか、任天堂の宮本さんも頂いていたような気がして、僕の知っている人がたくさん頂いているので、とっても栄誉ある賞なんだろうと思いまして、ありがたく頂くことにしました。ありがとうございます。
――初歩的な質問なんですけど、プロデューサーはどんなお仕事ですか?
鈴木:
つまらない言い方すれば、最初はなんていったって、企画のスタートですよね。
それでとにかく、なにをやるか、これを主に宮崎駿と話し合う。そして企画が決まるじゃないですか。そしたらつぎはスタッフですよね。誰をメインスタッフでやるか。ここが凄く大事なんですよ。
同じ企画でもね、やるスタッフによって 期間と予算が変わるんですよね。
それで、はっきり申し上げるとね、有能なスタッフってなにかっていうと、いろんな観点があると思うんですけど、
有能な人ほど、時間とお金を使うのが得意。無能だとね、お金を使わないんですよ。
だから、あっという間に作りたいときは、才能ない人が良いんですよね。才能がなきゃ、どこでお金を使って良いかわからないわけですよ。
映画って、そういうことで言うなら、二種類しかない。当たり前ですけど、映画はストーリーが伴いますよね。
それで、「ストーリーが単純で表現が豊か、ストーリーが単純で表現が複雑」っていう作品はね、お金がかかるんですよ。
逆にいうと、「ストーリーが複雑で表現が単純」。これ、お金が掛からないんですよ。
そこらへんを見ていくっていうのが、プロデューサーにとっては、とっても大事な条件なんです。
だから、スタッフをどうするかというのは、すごく大きなポイントですよね。
――借りぐらしのアリエッティが出来るまでを教えていただきたいのですが、どなたの企画だったんですか?
鈴木:
これは、宮崎駿が言い出しましたね。
ぼくは、ほんとうは、別の企画をやりたかったんですよ。
「ぼくと〈ジョージ〉」っていう作品がありましてね。それをやりたかったんですけど、宮崎駿って人はね、良くも悪くも、なんていうのかな、誰かの言いだした企画に乗っかるのが好きじゃないんですよ。それだと、自分のやる気がでない。
でも、ほかに企画も無かったんですよ。それで「ぼくと〈ジョージ〉」は企画が進んでいた。
それが、ある日、思いついたんですね。
このままいくと「ぼくと〈ジョージ〉」をやらなきゃいけない。こういう切羽詰ったときに、それを全部ひっくり返すんですよ。
突然ね「鈴木さん、アリエッティをやろう」って言いに来たんです。それで嬉しそうなんですよねえ、アリエッティを思いついたから。もう子供みたいなんですよ。
そうなると、いろんなアドレナリンが出てね、もうアリエッティをやりたくてしょうがない感じ。だからといって、原作を読み直しているわけじゃないんですよ。
というのは、なにしろ、このアリエッティって企画は、宮崎駿と高畑勲のふたりが40数年前に考えていた企画だったんですよ。
それを思い出したんですよね。
――「ぼくと〈ジョージ〉」をやりたくないために?
鈴木:
そうそうそう。
ここが大事なとこなんですよ。というのは、「だったら、あんた言い出したんだから、いろいろ考えてよ」ということになるわけですよ。
ぼくだってね、「ぼくと〈ジョージ〉」の企画をずっとやってきて、あるニオイだとか、こうやってやれば出来るなって、考えているわけでしょ。
そうすると、それを突然ひっくり返されるっていうのは、面白くないわけですよ。
――喧嘩にはならないんですか?
鈴木:
まあ、32年も一緒にやっていますからね。まともに喧嘩するっていうのは、つまらないですよね。だから、別のかたちで喧嘩するんですよ。
別のかたちっていうのは、「宮さんが言い出したんだから、シナリオは宮さんが書いたほうが良いですよね」とかね。言い出したら、その責任も取れと(笑)。
まあ、ぼくだって、高畑さんと宮さんが言い出したやつだから、読む前から面白いって分かっているわけですよ。
そうしたら、もう読んでも面白くないですよね。だって、面白いって分かっているものを読んで面白いっていうのは、つまらないですよね。
だから、どうせならみんなが思いつかないことを、思いつけないかなと思って読むわけですけど。なかなか、難しかったですね。
――今回、宮崎さんは監督じゃなくて若手を登用されたわけですよね。
鈴木:
これはね、あるとき彼が言い出したんです。
自分を奮い立たせるためにね、いろいろアイデアを出すんですよ。
ある日、ぼくのとこにやって来てね、「ジブリの5年間の経営計画立てよう」って。32年付き合ってきて、初めて言ったんですよ。
それでね、「3年で2本作ろう」って。これは、いままでやったことないんですよ。いつも、だいたい2年で1本ですから。
で、理由はあるんですよ。ようするに、世の中が激動していると。それで、明日なにが起こるかわからない。
そういうときは、若い人で勢いがあるものを2本連続で作ったほうが良いんじゃないかって。そのあと、超大作をやろうよって。
だから、最初からアリエッティの企画は、若い人にやらせるっていうことが決まってたんです。
――米林監督に白羽の矢を立てたのは誰なんですか?
それは、ぼくなんですけどね。
企画は決まったけれど、監督候補ってそんなにいるわけじゃないんですよ。
こういうときは、宮さんっていう人は、ほんとうにずるい人でね、「監督はどうするの?」って。
これまで二人で「監督どうしよう」って散々っぱら話してきているわけですよ。なかなか監督がいないってことは、お互い分かっていることなんです。
お互い分かっているくせに「鈴木さん、監督はどうするんですか?」って。ぼくをね、会社の責任者として扱うんです。
ぼくも麻呂(米林監督)のことを考えていたわけじゃないんですよ。こういうときって、悔しさのあまり、具体的な名前を言おうって気になるんですよね。それで思わず「麻呂」って言っちゃったんですよ。
麻呂はね、宮崎駿の後輩で、彼が育ててきたアニメーターなんです。崖の上のポニョで、「ポニョ来る」っていう魚に乗ってやってくる一連のシーンを描いたやつで、宮崎駿にとってもの凄く大事なスタッフなんです。
それを監督にするっていうのは、どういうことかというと、彼の腕から奪い取るということなんですよ。監督とアニメーターっていうのは、違う仕事じゃないですか。そうすると、宮さんのスタッフになるでしょ。
ところが、麻呂が監督になっちゃったら、同業者になるんですよ。その瞬間、ライバルなんですよね。
それで、ぼくは本能的にそれを思ったんですよ。麻呂の名前を出せば、宮さんは困るだろうって。
だから、ぼくが「麻呂」って言ったとき、かつて見たことがないほど困った顔してましたね。
そりゃ宮崎駿は、次の作品から、自分はどうしたら良いかわからなくなるでしょ。そこを狙うんですよ。
だから、ぼくも先のこと考えてないんですよ。
ようするに、ぼくが「麻呂」って言えば、宮さんは困るだろうということだけなんです。
――宮崎さんの反応は?
鈴木:
宮さんは、目を伏せて時間稼ぎしていましたね。それで下向きながら、「いつから考えてたの?」って言ったわけです。これがポイントなんです。これは、彼が心を乱されたから、それを整えるための準備なんですよ。
それで、ぼくはすかさず「2、3年前ですかねぇ」って、止めを刺すんですよ、こういうときは。32年一緒にいて、常に意表をつかなきゃいけないから、大変なんです。
それで、宮さんはすぐに麻呂を呼ぼうって言い出したんです。麻呂が引き受けるか、いま決めちゃおうって。それで、みんなで迫ることになるんです。
驚いていましたね、彼にはなんにも知らせれていませんでしたから。それと同時に、説得しているぼくが一番驚いているんですよ。
だって、30分前にはなんにも考えてないんだもん(笑)。
――キャラクターはどうやって決めていかれるんですか?
鈴木:
キャラクターを決めるってね、ヘアスタイルと洋服を除いて顔ですけど、皆さんご存知のように、だいたいジブリって似たような顔しているんですよ。
まあ、こんなこと言っちゃうと身もふたもないんですけど(笑)。
そうするとね、ヘアスタイルって大事なんですよね。
だから、アリエッティにおいて、どんなヘアスタイルを作るかっていうのは、大きい問題でしたよね。
そのヘアスタイルが性格を決めたりしますからね。
例えば、「魔女の宅急便」を作ってたとき、宮さんはどうやってキキを作ろうか悩んでいて、二人で延々吉祥寺の町を散歩したことがあるんですよ。
それで、なかなか思いつかなかったんですけど、彼が突然歩いている途中で「リボンだ」って言い出したんですよ。「リボン大きくすれば良い」って。
それで、喫茶店に入って、そこらへんにある紙に顔を描いて、リボンをでっかく描いたんです。
なんでリボンが大きかったかっていうことなんですけど、ぼくが翻訳すれば、ようするに、このリボンがキキの持っているもの。つまり、まだ自立はしていないということ。
リボンひとつごときが、けっこう大事だったりするんです。
ぼくが一番悩んだのは、ラピュタのパズーですよね。
これね、宮さんが何か持たせたいって言ったんですよ。
未来少年コナンっていう作品があるんですけど、そのコナンは槍を持っているんですよ。
そうすると、槍を持つっていうのは、一回やっているからもうできない。そこで悩んだ結果、宮さんが一枚描くんですけど、トランペット持たせようって。それで、あの映画の冒頭、パズーがトランペットを吹くっていう、印象的なシーンが生まれたんです。
それで、これが面白かったんですけど、その後パズーを描いていくとき、「トランペット大変だ」って言い出したんですよ。
トランペットって、槍と違って描くの大変なんですよ。槍は、シュって線を引けば良いけど、トランペットって描くの大変なんですよ。
最初は、トランペットを最初から最後までずっと持っているっていう設定だったんですけど、それをやめようって言い出したんです(笑)。
それでもう、なんにも持たなくなるけど、もうしょうがないって諦めたんです。
だから、ちょっとパズーは弱いキャラクターかなって。
主人公として象徴する持ち物って、すごい大事なんですよね。
――イメージボードは誰が描いても良いんですか?
鈴木:
ええ。イメージボードってね、この映画にこんなシーンが出たらどうかな、ってストーリーに関係なく描くんですよ。
それで、すごく大事なことなんですけど、描いても意味のないやつがあるんですよ。ほとんど意味ないやつですよね。
やっぱりイメージボードって、絵として優れているより、なにか情報が入っていないといけない。
ようするに、映画のストーリーに関係してくる、なにか小物がないといけない。
それが描ける人っていうのは、ほとんどいない宮崎駿はそれを描けるけど、ほかの人はなかなか描けないですよ。
それで、宮さんの真似をして描くやつがいるんですけどね、まあなんの意味も無いですよね。
そんなことをやってる暇があるなら、ほかのことをしろって言います。
やっぱり想像力を膨らませるヒントになるようなものが必要だから。
――テーマだとか伝えたいことなどは決めて作られるんですか?
鈴木:
映画って”メッセージ”で観ないですよね。
あるとき、宮さんと話したことがあるんですよ。
大事なことは三つあるって、一つはまず面白いこと、二つ目はすこしくらい言いたいこと言っても良いかなって、三つ目は商業映画だからお金も儲けようって。じゃないと、次が作れないですからね。
例えば、トトロを作ったときに、テーマ性が素晴らしいとか、いろんな方に高い評価を頂いたんですけど、ぼくらが作っているときに、果たしてそれを考えていたか、ってことなんですよ。
まあ、”自然”を扱おうとは考えていました。本来、子供は自然で遊んだ方が良いって。
それで、トトロが森の精だって、そういうことは考えましたよ。
だからといって、そのことを高らかに謡おうとか、そんなこと考えないんですよ。
それで、なにを考えていたかってことなんですけど、非常に具体的なんですよ。
トトロっていうキャラクタが出てきますよね。トトロって毛で被われているでしょ。
お腹大きいですよね。そのお腹は、押したらへこむかどうか、なんですよ。
皆さん、そういった目で見られているか分からないんですけど、あのお腹を押したらへこむって、実は大変なんですよ。
メイちゃんが、祠に行って、トトロのお腹でピョンピョン跳ねますよね。これを描けるアニメーターって、世界広しといえど、ほとんどいない。
つまり、これが宮崎駿の魅力なんですよ。お腹を押したらへこみそうに、描けないんですよみんな。
トトロの絵コンテは、宮崎駿が描いたんですけど、それを他の監督に渡して、この絵コンテで同じ映画を作ってもうらうように頼んでも、たぶん出来ないでしょうね。
――絵として出来ないということですか?
鈴木:
動きです。つまり芝居ということなんですけどね。
だって、トトロのキャラクタって線で描いてみると分かるんですけど、非常に単純でしょう。
その単純に描いた絵。それのお腹を押したらへこみそうに見せるのってほんとうに難しい。
そういったシーンをどれだけ設定できるかなんですよ。
要するに理屈じゃない。触ったら、その感触が伝わってくるっていうのが大事。
それが描けるかどうかがアニメーターなんですよ。
――ジブリ映画はほんとうに細かくて繊細ですね。
鈴木:
細かくて繊細であれば良いってもんじゃないんです。
ごめんなさいね、揚げ足とっちゃって(笑)。
ようするに、いまの話でいうとね、トトロなんて全然細かくないんですよ。
平面に絵を描くわけでしょ。そこに絵を描いて、お腹を押したらへこみそうっていうのを、非常に単純な線で、しかも枚数を少なくやってのけているんですよ。
それで、それが出来るのはなにかっていったら、才能なんですよ。そういうことを、宮崎駿は日々研究してきたんですよね。
繊細で細かく描いていたら、お腹は押してもへこみません。
だから、ほんとうに優れたものってね、大雑把に描いてあるんですよ。いかに少ない線で、ある感情を出せるかっていうことなんですよ。
だから、例えばね、ナウシカでメーヴェに乗って、ビューンって飛びますよね。
そうすると、空を飛んだ感じがでるでしょ。これをどうやってやるかなんですよ。これってタイミングですよね。
普通の人がやるとね、空を飛んだ感じが出ないんですよ。
だからまあ、半分冗談だと思って聞いてくださいね。
押井守が飛行機をだして空飛ぶとね、飛行機の飛んでる感じがでないんですよ。
官能性がないんですね。頭でばっかり考えているんですよあの人(笑)。
もっと自分の感じるもの、それがないとね。
ほんとう、くどいようですけど、細かく描いて繊細にやれば良いってもんじゃない。
繊細にやればやるほど、逆の効果が出るっていうことなんです。
例えば、となりの山田くんっていう作品があるんですけど。
田辺っていう、非常に上手いアニメーターがいて、すごく感心したんですけど。
となりの山田くんをご覧になった方はいないと思うので、説明しますけれど、二頭身なんですよ。極端に脚が短い。
それが、畳の部屋で芝居するんです。
まつ子さんっていうお母さんが歩いてくるんですけど、ちゃぶ台の前で座るシーンがあるんですよ。
わかります? これをどうやって描くか。二頭身だから、脚がほとんどないんですよ。でも、脚を折りたたんで座るんです。これを自然に描けるかっていったら、まずいない。
それで、その山田くんをやったときにね、これを描けたのは40人くらいアニメーターがいて二人だけでした。
で、これを是非分析して見てもらいたいんですけど、こう歩いてくるでしょう? 座るまえに一瞬背が伸びるんです(笑)。
二頭身だった脚が長くなる。その脚を折りたたむんですよ。それで自然にすうっと座るんです。
これを一連の動きで見ると、脚が長くなったとか誰も気づきません。これが、上手いってことなんですよね。
だから、アニメーションって大きくいうと、二つしかないんです。
みんなの知っていることを描くっていうのと、みんなが知らないこと見たことも聞いたこともないことを描くということ。
例えば、空を飛ぶって、みんなやったことないでしょ? どうやって描いたって、大概空を飛ぶんですよ。それで、誰も不思議を感じない。
ところが、箸を使ってご飯を食べる。これってみんな知っているんですよ。そうすると、どっちを描くのが難しいか。箸を使ってご飯を食べるほうが、よっぽど難しいんです。
空を飛ぶほうは、タイミングさえあえば、大概なんとかなる。だから、日常芝居って、ほんとうに大変なんですよ。そこが、ちゃんとしているかどうかなんです、アニメーションって。
ちょっと偉そうなこと言わせていただくとね、人間が生きていくうえで、何が大事かっていうと、やっぱり食って寝てうんこするってことなんですよ。
ぼくらが一番大事にしていることはね、主人公のキャラクタを作って、次になにを考えるかっていうと、衣食住なんです。「着るものをどうする? これどうやって手に入れてる? 食うものはどうしている? それから、住むとこはどこ?」って。人間っていうのは、この衣食住がちゃんとしていれば生きていけるわけですよ。当たり前だけど、食べることって大事なんですよ。でも忘れているんじゃないですか?
だって、日本が豊かになってからはね、衣食住のうえに付加価値があったわけでしょう。だから、ぼくらの映画はなにを描いてきたかっていうと、常に付加価値を吹っ飛ばして、この衣食住をやってきたんですよ。
――最近のジブリ作品は、有名な役者さんを声優に起用していますね。特に「耳をすませば」の立花隆さんは以外でした。
鈴木:
これは、さっきの話と関係があるんですよ。
ようするに、ジブリの作品って、衣食住を丁寧に描くでしょ。そうすると、日常芝居が多いんですよ。こうなると、芝居のほうも、大袈裟では困るんです。普通の芝居が出来る人じゃないといけない。
それで、大きくいって、声優さんの芝居って、ハレとケにわけると、「ハレ」なんですよ。そして、ぼくらがほしいのは「ケ」なんですよ。
トトロのお父さんは、なぜ糸井さんかって言ったらね。あのお父さんは、お父さんですか? お父さんらしいと思いますか?
――お父さんらしいです。凄く糸井さん良かったと思います。
鈴木:
良いか悪いかじゃなくて、お父さんってあんな声していますか? ちゃんと、お父さんしていますか?
ぼくは違うなあと思ったんです。
だって、自分の研究に没頭してね、家のことはあまりやっていなかったでしょ。
これが、ちゃんとしたお父さんですか?
――でも、こういうお父さん、今は多いと思います。
鈴木:
今はね。昔は?
――昔は、ひとつの一本の柱だから違いますね。
鈴木:
だから、昔のお父さんだったら、重厚な役者さんが欲しいんですよ。
そうすると、糸井重里っていう人の特長は……、つまり威厳がないでしょう(笑)。
これが欲しかったんですよ。
そうするとね、お父さんであってお父さんじゃないんですよ。役者さんで、そういうこと出来る人います?
アリエッティの三浦友和さんなんかだとね、お父さんらしかったですよね。これ、ジブリに登場した初めてのお父さんですよ(笑)。
だから、立花隆さんはね、やっぱり普通の役者じゃだめだよね、っていうところからきたんですよ。
今のお父さんの特長っていうのは、お父さんであってお父さんじゃない。無責任なんです。
だから、ひとつひとつに理由があるんですよ。糸井さんが有名だから使うとか、そういうのは一切ないんですよ。
例えば、ハウルでね、キムタクっていう人を皆さん注目されていたけど。いろんなこと言われましたよね、「これでお客さんを呼ぼうとするのか」って。
大体ね、言いたかないですけど、ぼくとか宮崎ってね、キムタクってほとんど知らないんですよ(笑)。
それでね、真相を話しますね。ようするに、ハウルって男はどういう男かってことなんですよ。ぼくと宮崎はひとつ決めていたことがあるんです。
ハウルは、いい加減なやつって。男のいい加減さを持ったやつって。そういうことでいうとねぇ、これ誰にやってもらったら良いですか?
ほんとうに悩んだんですよね。
そんなあるときにね、木村さんのほうから出演の希望がきたんですよ。それで、ぼくのほうは宮さんよりはましですから、確か人気がある人だよなぁ、って思って。
それでね、ぼくは娘に、「キムタクってどういう人なの?」ってきいてみたんですよ。そしたら、「良い男だよ」って。
それで次に、「いろんなこと言うんだけど、真実味がないんだよねぇ」って(笑)。
これはいけると思ったんですよ。
それで、第一声、木村さんに声出してもらったでしょ。もう、宮さん大喜びですよ。やっていくセリフ、ほとんど直しなし。
だって、男のいい加減さって難しいですよ。昔でいうと、例えば森繁久弥だったら出来たでしょうねぇ。
だから、そういうことでいうと、なかなかいないんですよ。いまの役者さんって、みんな真面目じゃないですか。
で、逆にいうとね、みんなはまらないんですよ。お父さんっていったら、お父さんしかできない。
例えば、いい加減なお父さんやって、って頼んでも出来ないですよね。
――ハウルでいえば、ソフィーをやった倍賞千恵子さんの声もすごく良かったです。
鈴木:
あれは、いろんな人の声を聞いたんですよね。
宮さんが最初に言ったのがね、「若いときもお婆ちゃんになっても、一人で二役できないかな」ってことだったんです。
宮さんの頭にあったイメージっていうのかな、若い人にはまったく分からないことを今から言いますけど、宮崎駿がね、一番最初に推薦した人が実はいたんですよ。
東山千栄子っていうんですけど、もうそのときには、お亡くなりになっているですけど、これがイメージなんですよ。東山千栄子って人の特長は、お婆さんになっても少女の声だったんです。
そうすると、そういう人はいないかな、って考えていったときに、倍賞千恵子さんだったんですよね。
――今回のアリエッティも素晴らしい音楽ですけど、偶然見つけられたとか?
鈴木:
いや、いつもそうですよ。だって、出会いじゃないですか。いろいろ調べたってしょうがないでしょう。そこに誰がいるかですよ。
CDが送られてきたんでね、音楽どうしようかなって悩んでいたときだったから、つい聴いちゃって、まあフランスからなんですけどね。
――迷いはなかったんですか?
鈴木:
出会いだと思ったんですよ。出会い。
本屋さん行くでしょう? そうすると、やっぱり本だって、いろんなものを見ちゃったら、どれを読みたいか分からなくなるでしょ?
行ってみて、目に入ったら、”それ”でしょ。
もののけ姫の米良さんの歌も、宮さんが車のラジオで偶然聴いた曲なんですよ。
こういうのは、インスピレーションなんですよ。いくらたくさん聴いたって悩むだけなんです。
――今日は「クールジャパンの旗手」ということでお越しいただいたんですけど、この「クールジャパン」って最近言われ始めましたけど、日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象、またはそれらのコンテンツそのものをさす用語、ということらしいのですけど……
鈴木:
みっともないから、そういうのもう辞めたら(笑)。
さっきもね、控え室のほうで話していたんですけど、日本のものを正当に外国の人に評価してもらうのって、至難の業だと思っているんですよ。
たしかにジブリのものもね、外国の方に一定の評価を受けていると思うんですけど、しかし、本質をちゃんと受けとめてもらえているのだろうか、っていうことでいうと、甚だ疑問があるんですよね。
それはね、やっぱり、世界の中で日本っていう国は、特殊すぎるっていうんですかね。やっぱりそれは思わざるを得ないんですよ、いろんな外国の方と付き合ってきてね。
さっきもちょっと話してたんですけどね、建築の話をしていたんですよ。ピクサーの方がお見えになっていたんでね、日本と外国の違いっていうことで。
西洋だとね、一番分かりやすいのが教会なんですけど、教会ってヨーロッパだろうがアメリカだろうが、上から見るとみんな十字架の形しているんですよ。これ以外作らないんです。
それで、正面から見ると、左右対称。外国の建物って、みんなそうなっているんですよ、普通の民家に至るまで。
あらゆるものが左右対称。それで、上から見ると、ある形があるんですよ。
それで、教会だったらね、どこに祭壇を置くかとか、懺悔室はどこかとか、これは多少の工夫はあって違いは出てくるんですけど、ところが、日本の建物の作りかたって、皆さんご存知なんですかね。
江戸時代、参勤交代なんてのがあってね、江戸屋敷ってのがあったんですよね、薩摩の江戸屋敷とか。そういうところで建物作るときに、行ってみると分かるんですけど、ごちゃごちゃしているんですよ。
外国の方って、日本の建物見せてくれってよく来るでしょ。で、見てね、頭おかしくなるんですよね。
なんでかって言ったら、複雑に出来ているんですよね。それで、必ず皆さんおっしゃること、「設計図ありませんか」って。
それで、実は日本の江戸屋敷って、今でこそ設計図を作ってから建物を建てるけど、当時、設計図ってないんですよ。
で、なにが基本だったかっていうと、これ室町時代はそうなんですけど、畳の大きさってあるでしょ、
日本の建物ってすべてが、天地180、横90、これが基本になっている。これで部屋の広さが決まるし、それから引き戸の大きさも決まる。
その江戸屋敷の作り方なんですけど、まず最初に、床柱ってありますよね、掛け軸の横にある。この床柱をなんにするかって、もの凄い大事なんですね。それによって、その家の風格がまず決定付けられるんですよ。安いやつ使うとね、ほかも全部安っぽくなって、ちゃんとしたやつでやると高くなる。
それで、まず建てるでしょう。
そうすると、掛け軸の横に引き戸があるでしょう。次に、その引き戸の金具をどうするかって考えるんですよ。
ここに凝ったりして作って、床の間が出来上がるでしょう。それで初めて、部屋の広さをどうしようかな、って考えるんです。
つまり、細かいとこから入っていって、少しずつ作っていくんですよ。それで、一部屋出来上がってから、「隣の部屋どうする?」って考えるんです。
まだ、玄関がないですよね。トイレもない、風呂場も無い。
つまり建て増しで部屋を作っていくでしょ。作っていって、ある段階で、「じゃあ玄関どうしよう?」って、そうやって作っていくんですよ。
それで一番最初に申し上げましたけど、畳の大きさ、天地180の横90、すべてはこれが基本だから、あらゆるものをそれにしておけば、レゴみたいに組み合わせることができるんですよ。
これで、出来上がったものを上から見ると、さっきの教会の十字架とはうって違うと。右いったり左いったり、ごちゃごちゃなんですよ。ところどころ、はみ出たりして。つまり、日本の建物の最大の特長ってね、すべて建て増しなんです。これがね、外国の人に違和感を与える。
整理しちゃうと、非常に簡単なことなんですよ。外国は、全体から部分を作る。日本は、部分から全体にいく。まったく違う発想なんです。
――ジブリと似ていますね、部分からいくっていうところが。
鈴木:
ちょっと、大事なところなんだから、あなた喋らないでよ(笑)。
あのね、思い出していただきたいのはね、「ハウルの動く城」あれどうやってデザインしたんですかね?
この中でも美術の心得のある方はいらっしゃると思うんだけど、ハウルの動く城ってなんとなく覚えていますよね? 足があって動く城なんですけど。
宮崎が、その絵を描いた日のことを未だに忘れもしないんですけど、毎日悩んでいたんですよね、どういうお城にしようって。
普通、頭の中でお城の形ってあるじゃないですか、西洋の。そうすると、やっていくうちに、それはつまらないなってなるんですよ。
それで、「どうしよう、どうしよう」って。そんなある日、ぼくの目の前で、なんとなく大砲を描いたんですよ。
大砲の筒を描いたら、その元はどうなっているか、ってことでしょう。これを描いたあとに、横っちょにね家を描いたんですよ。
家描いているうちに、横からアンテナみたいのが出て、「大砲もう一個くらい描こうかな」みたいになって、いろいろやっていくうちにね、あのデザインが出来てくるんですよ。最初に描いたのは、大砲の筒なんですよ。
最後に悩んだのが、動く城だから、足をどうするか。
それまでは、すいすい描いていたのにね、「どうしようかな」って。
最初は珍しく新しい紙を引っ張り出して、「こうかな?」って描いた絵がね、「足軽」。
戦国時代の一番下っ端の兵隊なんですけど、その足にしようかなって言ったんですよ。で、その足をくっ付けてみると、「違うなぁ」って。
そのあと、ずっと黙ってるんですけどね、突然宮崎が「やっぱりニワトリかな」って。
それで描いて、「よしこれだ」って。あれって、ニワトリの足なんですよね。
で、最後にね、全部出来たとき、彼が真剣な顔になったんですよ、「鈴木さん、冷静に判断して」って。「なんですか?」って言ったら、「これが城に見えますか?」って。
まあ、正直言うと、お城になんか見えるわけがないですよね。だけど、ぼくはまあね、出来上がったものは面白いんだから、「良いじゃないですかこれで」って言ったんです。
ハウルの動く城ってフランスで大評判なんですけどね、何が評判になったかというと、あのお城のデザインなんですよ。
そうすると、さっきから言ってますでしょ、ハウルの動く城を上から見たら、どう見えるか。
わけわかんないですよね、いろんな物が飛び出たりして。
これ、外国の人には絶対描けないんですよ。正面から見たら、シンメトリーになっていないでしょ? 理解不能なんです。
で、フランスの有名な新聞に書かれたんですよ、ハウルの映画評っていうのが。
もちろんフランス語だから、訳してもらったんですけどね、「この豊かな想像力。ありえないイマジネーション」って書いてあるんですよ。
それで、その次に書いてあったのが、「現代のピカソ」って。
で、これ、ぼくは何が言いたいかっていうとね、とにかく外国の人は、シンメトリーで上からみたら、ある形になっていなきゃいけない。これが向こうのルールだから。
そうすると、絵を描くときだってね、一点凝視その他、全部ルールがあるんですよ。
それで宮崎駿っていう人は、それをね、すべて破ってきた歴史があるんですよ。
例えば、魔女の宅急便でね、大きな絵を描いたんですけどね、視点が二つあるんです。
キキが空を飛ぶってシーンでね、一枚の絵のなかに視点が二つあるんです。
まず一個の視点では、地平線の向こうを見ているんですよ。で、手前の絵は真上から見ているんです。それを一枚の絵として描くんです。これはありえないですよね、外国の人には。
平気なんですよ、一枚の絵のなかに視点を何個も作るのが。融通無碍なんですよ。
そうすると、外国の人には、「なんでこんな絵が描けるのか」ってなる。
これね、一番分かりやすい例でいうと、「巨人の星」ってありますよね。
星飛雄馬って人がね、ジャイアンツのピッチャーになって巨人の星を目指すっていう話なんですけどね。
当時、日本は貧しいんで、四畳半の部屋で、この飛雄馬君がお父さんとお姉さんの三人でご飯を食べているんですよ。
それで、ご飯食べていたらね、息子の言ったことがお父さんは気に入らなかった。怒るんですよ。「飛雄馬! なんだお前は!」って。
それで、ちゃぶ台をひっくり返すんですね。そのちゃぶ台を、バーンっとひっくり返した瞬間ね、四畳半の部屋が、四十五畳になるんですよ(笑)。
それで、くんずほぐれつ親子が闘うわけですね。それを泣いて見ているお姉様。
一頻りやって喧嘩が終わるでしょう。そして、いつの間にやら、部屋が四畳半に戻っているんですよ。
これ、皆さん笑ってらっしゃるけど、普段読まれている漫画のほとんどがそうやって出来ていることご存知ですか?
これ、外国ではありえないんですよ。四畳半は四畳半。
で、もう一個、星飛雄馬っていう人はね、「この一球に命をかける」っていう回があったんですよ。テレビシリーズだから毎週やっているんですけどね。これ、見ると面白いんですけどね、ボール一球投げるのに、30分掛かったんですよね。
そうするとね、その30分の間にいろいろ思い出すんですよ。
やっと一球投げ終わったときには、”次回に続く”なんですよね。たぶん、いろんな事情があったと思うですよ、制作が間に合わないとか。でも、これって日本の特徴なんです。日本の大きな特徴は、実際のものを歪めるってことなんですよ。時間と空間を歪めるっていう。
これの一番影響を受けたのが、「マトリックス」ですよね。だから、ぼくは「マトリックス」って映画はほんとうに面白かった。
日本人が絵を描くと、宮さんなんかもそうなんですけど、面白い絵を描くんですよね。レンズをご存知の方だと分かりやすいんですけど、一枚の絵で真ん中は標準で描いてあるんですよ、それでね周りは広角なんですよ。それが一枚の絵の中に全部入っている。これも外国の人にはありえない。
そうするとね、それだけ違う考え方を、お互いをどうやって理解するか、これは大変ですよね。
要するに、さっきぼくがフランスの新聞の例で言ったのはね、「豊かな想像力。ありえないイマジネーション」って言うだけでね、結局は自分たちには理解不能だって、放り出しているんですよ。
――でも、やっぱり良いなという感覚があるから、そういう書き方になるんじゃないですか?
鈴木:
良いなよりも、驚いているんですよ。ただの驚きなんです。
まあ、ストーリーのほうはね、ちゃんとやってあれば、ある一定の評価はあるんでしょうけれど。
でも、ある種煙に巻かれることは確かですよ。
――でも、アニメや漫画だからこそ出来ることをしているんじゃないですか? そのほうが私たちも夢があるとか面白いと思えて、そっちの世界に入りやすい。四畳半は四畳半でしかないと広がらないかと思いますけどね。
鈴木:
ぼくはね、この伝統はついに潰えるかなって、その実感があるんですけどね。
それはなにかっていったら、昨今の漫画をちょっと覗くでしょう。で、いわゆる誇張っていうのは、どんどん減ってきているんですよ。
それからアニメーションは、日本じゃなくて中国で作られている。だから、参考までに申し上げますと、さっき言った建築の違い。
実は、日本と中国では、ありえないくらい違うんですよ。中国はやっぱりシンメトリーで作るんです。上から見れば、ある形になっているんですよ。
そうすると、中国っていうのは西洋文化圏に入っちゃうんです。
ぼくがなにを言いたいかっていうとね、この部分に拘って全体が決まらないでやっていくっていうのはね、どうも日本と韓国の特長なんですね。
言語の文法がそうなっているから、それが関係あるのかなという気がしているんですけどね。
それでまあ、日本はよく言われていますけど、タミールとかそういうところから言語が来ているんじゃないかって。
だから、こういうまったく違うもの、普通だったら相容れないですよ。それでね、お互いにとってなにかあるとしたら発見なんですよ。「こんなものもあるのか」っていう。
でも、それが普及し、定着するかっていったら分からない。
さっきも、ピクサーの方がいらしたので、そういう話をしたんですけどね、例えばピクサーだとあの会社に入るには、いろんな資格を取っていかないと入れないんですよ。
そうすると、すべて基礎的なことは、学校時代に学ぶんですよね。
ジブリは、一枚の絵を見て、良かったら入れちゃうんですよ。
これ、大きな差ですよね。
――ピクサーとジブリは凄く仲が良いんですよね。
鈴木:
これはジョン・ラセターっていう人との、個人的な付き合いなんですけどね。
それで結果として、ジブリとピクサーで仲良くなんったんですけどね。
やっぱりアメリカでは、アニメーション映画を作るっていったら、ディズニーが発明した、いわゆるミュージカル映画。それしか無かったんですよね。
ところが、ジョン・ラセターが若いころ、カリオストロの城を見たと。そしたら、ミュージカルじゃないわけですよ。
ちゃんと普通のお話をやっている。これに衝撃を受けるんですね。そこから、宮崎駿への尊敬が始まったんですよ。
――日本の漫画やアニメを原語で理解したくて、日本語を勉強している外国の人も増えていますね。文化面での交流も期待できますよね。
どうなんですかね。先ほど申し上げたけれど、日本はいま風前の灯ですから、アニメーションも漫画も。
だから、この伝統がもう潰えるのかなっていう気がしていて。再びね、どういう形で新たに再生されるのか、そこに興味を持っていますけどね。
日本のアニメーションなんて、もう95%日本で作っていないんですよ。中国で作っているんです。漫画のほうは、もうほんとに読まれなくなりましたよね。漫画の売り上げって、いつの間にか半分以下になっちゃいましたよね。
例えばね、これ最近仕入れたネタなんですけど、1860年ってことでいうとね、イタリアっていう国が統一されるんですよね。そのとき、イタリア語を喋ったのは3%。そうすると、97%はイタリア語喋れなかったんですよ。
それを、なんとか一つの国に統一しなきゃいけない。それで、国家主義っていうのが出てきて、それでみんなに言葉の普及をする。一つの国を作って支配するっていうのは言語だから。フランスだってそうですよね。
もう巨万というくらい、それぞれの民族、風俗、生活習慣があって、それを一つの国にまとめていくっていう歴史があったから、だからヨーロッパではそれぞれ、いわゆる理性みたいのが凄い大事で、それで国をまとめてきたみたいな歴史があった。それがいま崩れ始めている時代でしょ。
そうすると、どうもね、理性と感性っていうんですかね、そういうものがどっちかが優勢になって、どっちかが劣る。それを繰り返してきたのが、人間の歴史じゃないかなって気がして。
それが崩れかかるときに、日本のアニメーションとか漫画っていうのは役に立ったという気がしているんですよ。
それで、いまちょうど崩れ始めているから、いま一部の外国の人がそれをもてはやす。しかし、この先はどうなるんですかね。
例えば、中国って実は感性の国じゃないですよ。非常に論理的な国ですよあそこは。フランスもそうですよね。
そういう国たちが、例えば中国が世界を制覇する。そういうときに、日本のそういうものっていうのは、どうなっていくか、っていうのはちょっと興味がありますけどね。
――もう変わりつつあると?
鈴木:
実際問題として、世界で騒がれ始めたとき、日本の足元は終わり始めているだもん。
だいたい歴史っていうのは、そういうもんですけどね。
だから、ぼくらは、コンピュータで映像作るとかいろんなことが起きているなかで、手作りでずっとやっていますけど。
ぼくと宮崎が現役でいる限りは、それに拘りたいと思うけれど、しかし、その後、誰がどういう形でやっていくかっていうのは、見守りたいですけどね。
――最後にすこし沈んだ感じになっちゃいましたけど(笑)。
良いんですよ、ほんとうのことだから(笑)。
でもね、そんなわけで、みんな駄目になるから、若い人達にとってはチャンスですよ。