鈴木敏夫「ジブリ汗まみれ」に、日本大学芸術学部で行われた鈴木敏夫さんの講演会がアップされています。話の前半では、鈴木さんの学生時代から、出版社時代の話ですが、後半では製作委員会の仕組みや、宣伝手法ついて話しています。これが、とても勉強になる内容です。
映画をヒットさせるための、鈴木さんの戦略が明かされています。



近頃の鈴木さんは、過去を振り返ることが多くなっているので、これまでのスタジオジブリを総括する段階に入っているようです。もう前線に出ることはないんでしょうね。

 

「製作委員会」と名付けたのは鈴木敏夫

――いま邦画で、製作委員会ってありますけど、電通の方から聞いたんですけど、あれを考え出したのは鈴木さんなんですよと。

鈴木:
正確ではないですよね。正確ではないっていうのは、いろんな企業が、連合軍を組む?
そして、製作委員会っていうのを組織してやっていったら、いろんな会社が、それぞれいろんな機能を持ってるじゃないですか。例えば、テレビ会社だったら、テレビ。代理店だったら、クライアント。そういう、出版社だの、映画会社だの、代理店だの、テレビ会社だのを集めれば、それぞれのメディアを持っていますからね。それによって、一本の映画を大きくすることが出来るっていう元が、今の製作委員会なんですけれど。なんとなく、そういうことを求めていたのが、やっぱり徳間康快だったんですよね。それで、ぼくは製作委員会とかは、当時なにも考えていなくて、博報堂さんが乗ってくれれば、やるんじゃないかなって。それで、徳間社長が、それを聞いた瞬間に、もう即決ですからね。
そこの会長さんと、徳間が親しかったということもあるんですけど、「代理店と出版社が、一緒になって映画を作る? 面白い!」って言ったわけですよ。それで、それに名前を付けなきゃいけなくなって、「さあどうする?」だったんですよ。それで、「製作委員会」って名前を作ったのは、確かにぼくなんですよね。細かく言うと、そういうことなんですよね。

――今やあらゆる邦画がその手法で、あらゆるメディアが鈴木メソッドに従って……。

鈴木:
それも、そろそろ終わりなんじゃないか、という気がしてるんですけど。

 

ぼくらは映画会社であることを最後まで諦めない。

――宮崎監督、高畑監督という二人の天才とずっと付き合われて、制作の仕事、キャッチコピー、予告編などを作っていく作業は如何でしたか?

鈴木:
ぼくなんかは、そういうレッテルを張られていますよね。レッテルっていうのは、ヒットメーカーということで。あまり、皆さんの前で、お話していなかったことを喋ろうかと思ってるんですけど。ぼくは、根本的なところで言うと、会社って自分でやってみてよく分かったんですけど、月に掛かる経費っていうのは、毎月高くなっていくんですよ。そうすると、1本の映画を作る製作費が、どんどん高騰していくものなんですよ。
例えば、ジブリはそうなんですけど、映画だけを作っていたいと思ってたんですけど、なかなかそういうわけにいかないんですよ。というのは、そこで働いている人の問題や、会社をどこに作って、建物を建てなきゃいけない。それで、毎月お金が余分に掛かるようになるんですよ。
そうすると、普通会社っていうのは、それを解消するために、ほかの事業をやったりするんですね。それによって、なんとか保っていく。映画会社だったら、1本の映画を1年・2年で作って、それでやって回していたのを、一度に2本作るとか。それで、気が付くと一度に10本くらい作る会社になって、たいがいダメになるんですよね。
そういうのは、分かってたんですけど、ぼくらは映画会社であることを最後まで諦めない。しかも、作り方は1本に集中する。これを維持することが、ぼくにとってはもの凄く大事なことだったんですよね。
それで、ヒット作をどうやって作ったら良いのか。これも、ほんとうのことを言うと分からないですよね。分かりませんよ。だって、作ろうっていうときは、面白そうだなと思ってやるわけですよ。やるんだけれど、ぼくらの映画の場合は時間が掛かりますから、やっていく過程で、世の中の人に向かってどういう宣伝をしようか、っていうときに初めて宣伝のことを考えるわけですよ。

――それはあとから?

鈴木:
あとから考えるわけですよ。そういうときに、ぼくは前提の話をしたいと思ったんです。「製作委員会とはなにか?」なんです。例えば、徳間書店というところで、ぼくは映画を作り続けたんですけど、徳間グループというのがあって、徳間グループは出版社を中心に、映画会社とか、音楽会社とか、いろいろやってたんですよ。それを全部集めると、1600人いたんです。
それで、一家族が平均三人だとすると、4800人。ぼくは、あるとき考えたんですよ。つまり、徳間書店で映画を作れば、5000人くらいは観てくれるなって(笑)。ほんとに、そう考えたんですよ。
で、博報堂さんが入ってたでしょう。博報堂さんって当時何人だったんですかね。8000人くらいですか? 8000人だとしたら、三倍で24000人でしょう? そうすると、徳間書店と足すと、3万人でしょ? いいですか? 皆さん、算数できます?

――そのぐらいだったら(笑)。

鈴木:
日本テレビというところで、ひょんな切欠で一緒にやることになるっていうのか、ぼくがお誘いを受けたんですけど。日本テレビそのものは、本体が当時、2000人くらい。それで、グループを入れても、3000人から4000人の会社だったんですけれど。実をいうと、日本全国にネット局っていうのがあるんですよ。そのネット局っていのは、43個あるんです。北は北海道、南は九州まで。そうすると、そこに社員って何人いるんですかね? これだけでも、1万2千から、1万5千人になるんですよ。そしたら、6万5千人なんですよ。

 

自分の仲間を増やしていくのが、成功の大きな秘訣。

鈴木:
途中から、ローソンっていうところにも、ご協力してもらったんですよ。ローソンって、全国に何店舗あるか知っていますか?

――(一同笑い)

鈴木:
会社入って、仕事していくときに、こういうこと大事なんですよ、みんな。当時だと、8500店舗あったんです。そうすると、一つの店舗で、何人の方が働いているか、って考えると面白いんですよ。これも、少なく見積もりましょう。5人にしましょう。それで、5人×8000は4万。もう、10万人超えたんですよ。
さっきから言っているように、ぼくは家族の問題を抜いているでしょう。そこに家族を入れちゃうと、実を言うと30万近くになっちゃうんです。で、読売新聞さんとも組んだんです。読売新聞さんって、全国に新聞販売店は、何軒あるか? 6000軒なんです。ひとつの新聞販売店で、何人の方が働いているか? 当時だと、十何人だったんです。そうすると、それに6000かけて、家族を足したらっていうことでしょう。分かりました? どんどん、どんどん、増えていくんですよ。それから、他にディズニーさんもいますよね。東宝さんもいる。そういうことでやっていくと、その人数って、製作委員会をやるっていうときには、その人たちが、製作委員会ぜんぶの組織の仲間ということになるんですよね。端的に言うと、その仲間が、末端まで浸透しているかどうかはともかく、ウン十万人の人がやることになるんですよ。同時に、その人たちが観客になってくれる。で、これが膨らんでいくんですよね。
それで、ぼくがやってきたことの、いちばん大事なことっていうのは、そのウン十万人の人たちに、どうやって仕事を、ひとりひとりにテーマを出すかですよね。
例えばローソンで言えば、『マーニー』なんかもそうなんですけど、どの店舗でも『マーニー』のポスターが貼られました。そしたら貼った人は、今だと1万2千店舗ありますから、1万2千人の人が少なくともポスターを貼ったんです。そしたら、気になるでしょう、『マーニー』って作品が。全員が行ってくれるとは限りませんよ。ただ、以前だとその人たちが全部行ってくれた。
こんなこと、今まで喋ったことなかったんですけど、郵便局とネットワークを組んだことがあるんですよ。郵便局って、全国にいくつ局があるか知ってますか? 2万4千もあるんですよ。凄いでしょう? ひとり務めてたとしても、2万4千人でしょう? でも、郵便局ってひとりじゃないでしょう? 3人としたって、7万? 家族入れたら、20万人もいるっていうことなんですよ。これが、基礎数字なんですよ。だから、ぼくは映画だけじゃなくて、いろんな仕事に当てはまるんじゃないかと思ってるんですけど、自分の仲間を増やしていく。それが、成功の大きな秘訣じゃないかなと。そんな気がしてるんですよね。

 

試写会を開くと、スポットCMがバンバン流れる。これが凄く大きい。

――製作委員会の仲間に入られた人たちに、仲間だから仕事しろというか……。

鈴木:
いや、仲間の印にやっていただくわけですよ。これは、連判状みたいなもんですよね。だから、ほんとうのことを言うと、そのウン十万人の方を、クレジットに全部並べたいぐらいなんですよ。
それで、さっき日本テレビに、ネット局が43個あるって言ったけど、こういうことをやるんですよ。具体的な例ですよ。各局で、試写会を開いていただくんですよ。各地区1個だって、43個あるでしょう。その43個があって、実際に来ていただくお客さんも大事。だけれど、告知をするじゃないですか。そうすると、スポットCMがバンバン流れる。これは、凄く大きい。と同時に、その試写会をやるにあたって、それこそ藤巻さんが頑張って探してくれるスポンサーの方がいて、その方たちと、地方局の方たちと組んでいただくんですよ。そうすると、そこでバラバラだった人たちが、交流を持ったりするわけですね。それによって、またそれが広まっていく。
要するに、ひとつの作品に関わる人を増やすっていうことが、ぼくは基礎数字じゃないかなと思ってるんですよ。それで、何のために、そんなことをするかって言ったら、さっき言いましたよね。製作費が、どんどん上がっている。ぼくは、なにも、凄く儲けて云々って話じゃないんですよ。映画は、いつもとんとんで良いと思ってるんです。そうすれば、次が作れるからです。要するに、それで大きな赤字を生んじゃうと、次が作れません。ここが、いちばん大事なところなんですよね。
だから、今のぼくのお話をお解かりいただけるかどうか。ぼくだって、気が付いたら、いつの間にかそうやってやっていたんですよ。要するに、分かっていない方に訴えかけるっていうのは、実は難しいんですよ。それよりも、仲間になってもらって、同時にその人たちに映画を観てもらう。こっちのほうが、分かりやすいと思ったんです。それが、いちばん大きいことでした。
『千と千尋』のときなんて、諸般の事情があってね。『もののけ』のときは、特にそうでしたけど、もうヒットしなかったら、回収できなかったんですよ。こっちが、いちばん大きい理由なんです。

風に吹かれて
宮崎駿、高畑勲という二人の天才を支え続けてきた、 スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫のすべて。
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