NHKの朝ドラ『なつぞら』の第41話にて主人公の奥原なつは、悩みに悩み漫画映画の世界に入ることを決断しました。
しかし、本作のモデルになった奥山玲子さんが漫画映画の世界に入ったのは勘違いが発端だったのをご存知でしょうか。
「動画」を「童画」と勘違い
奥山さんは父親が教員だった関係で東北大学教育学部に入学したものの、大学2年のときに中退します。そして、家出同然で東京へ行くことになったといいます。
そこで職を転々とし、デザイン会社に入社するものの経営不振となり転職を考えていたときに、叔父の紹介で東映動画の求人があることを知りました。
奥山さんは応募することになるわけですが、「動画」というのを「童画」のことだと勘違いしていたらしく、絵本の仕事をするものだと思っていたそうです。
ドラマ『なつぞら』では、まだ学生だったなつが見学で東洋動画に訪れ、仲努に促されて中割り動画を描きますけど、実際はそういった予備知識などは一切ありませんでした。
東映動画2期生で入社
奥山さんは、面接でいきなり中割り動画を描かされることになり驚いたといいます。
しかし、学生時代に油絵を描いていた経験もあり、絵心があったため採用されることとなります。臨時採用で東映動画2期生として入社が決まりました。ちなみに1期生には大塚康生さんがいます。これが、1957年(昭和32年)のこと。
ちょうどこの時期、東映動画は日本初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』の制作に向けて動き始めており、とにかく人手が必要な時期でした。
初仕事は『白蛇伝』
奥山さんは、この『白蛇伝』で動画マンを務めることになります。これが奥山さんの初仕事となりました。
『白蛇伝』の次は『たぬきさん大当たり』で動画を務め、その次の『少年猿飛佐助』ではセカンドを務めます。セカンドとは、原画の下で動画よりも上という中間に位置します。主に、原画のクリーンアップや、原画のあいだの難しいシーンを描いてから動画に回したり、動画完了後の細部のチェックなどを行ないます。奥山さんはここで、森康二さんや大工原章さんの下で仕事を学び、どんどん実力をつけていきました。
こうして奥山さんは数々の作品に携わり、初期の日本のアニメーション界を支えるアニメーターになったのです。
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