『ハウルの動く城』のヒロイン・ソフィーは、物語冒頭で荒地の魔女に呪いをかけられて、老婆にさせられてしまいます。
けれども、物語のなかでソフィーは元の姿に若返ったり、老婆になったりと、年齢がいったりきたりします。なぜ若返るのか、物語のなかでその理由は説明されていません。
しかし、『ハウルの動く城』の原作小説を読んだり、宮崎駿監督のこれまでのインタビューを読むと、その理由をうかがい知ることができます。
原作によると、ソフィーは小さな魔力を持っている。彼女の言葉が、そのまま実現してしまうという設定があります。
自己否定の強い彼女自身が、老婆になることを望んでしまったために、荒地の魔女に呪いを掛けられてしまう。自己暗示によって年を取ったと受け取ることができます。
つまり、ソフィーが、年老いたり若返ったりするのは、心の内を表しているため。
そのため、眠ったときや、素直な気持ちで行動しているときは、自己暗示が解かれて、若返ります。
言葉の力、意思のたいせつさを描いていると思われます。
『ハウルの動く城』制作当時、63歳だった宮崎駿監督は、このように話しています。
「六三になった自分にもそういう経験があるけども、人と話していて、自分が二〇代の若者になっている時もあるし、少年になっている時もある。そうかと思えば、自分がまだ達していない八〇のおじいちゃんになっている時もあって、それを絵にするとこうなるんだ」
また、以下は、宮崎監督が『千と千尋の神隠し』制作時に、言葉の力について語ったもの。
言葉は意志であり、自分であり、力である。
言葉は力である。千尋の迷い込んだ世界では、言葉を発することは取り返しのつかない重さを持っている。湯婆婆が支配する湯屋では、「いやだ」「かえりたい」と一言でも口にしたら、魔女はたちまち千尋を放り出し、彼女は何処に行くあてのないままさまよい消滅するか、ニワトリにされて食われるまで玉子を産み続けるかの道しかなくなる。逆に「ここで働く」と千尋が言葉を発すれば、魔女といえども無視することができない。今日、言葉は限りなく軽く、どうとでも言えるアブクのようなものと受け取られているが、それは現実がうつろになっている反映にすぎない。言葉は力であることは、今も真実である。力のない空虚な言葉が、無意味にあふれているだけなのだ。
(略)
世の中の本質は、今も少しも変わっていない。言葉は意志であり、自分であり、力なのだということを、この映画は説得力を持って訴えるつもりである。
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