スタジオジブリが発行しているフリーペーパー、「熱風」10月号を貰ってきました。
今月号の特集は、「3.11後、作り手の課題」でした。
作家や漫画家、映画監督による、震災についてのインタビューやエッセイが寄せられています。
特集記事の寄稿者は、以下の方々です。
「バベルのがれき拾い」
冲方丁「身体の喪失」
角幡唯介「漫画だからできることがある」
しりあがり寿「その先に暗い未来しかなかったとしても」
国分拓「日常の根底が揺らいでいる世界に向けて、父親となった自分が描きたいと思うこと」
是枝裕和「何かが道をやってくる」
萩尾望都
若干、重い内容ですけども、知っておかなければいけないことのように思います。
8月号ほど話題にはならないかもしれませんけど、今月号もかなり読み応えがありますよ。
『熱風』が配布されている書店は、こちらでご確認ください。
スタジオジブリ – 熱風
http://www.ghibli.jp/shuppan/np.html
冲方丁さんの文章を、引用させていただきます。
バベルのがれき拾い
東日本大震災がもたらしたものはなんであるか? こういう問いに神経を逆なでされるような思いを味わう人々がいる。逆に、やたらと食いつく人々がいるかと思えば、まったく興味が持てない人々がいる「災中」の人、「災後」の人、「災外」の人だ。
僕は「災中」の思いが強い。福島県福島市に仕事場兼自宅があり、一ヶ月の半分はここで過ごし、残り半分を東京での打ち合わせなどに費やす。震災から数日後、ひどい物質不足と放射能汚染に立て続けに襲われ、妻子とともに、母と妹夫婦のいる北海道に移った。(中略)
しばらくして、福島の現実は、他の被災地の現実とは異なることも知った。それどころか、同じ市内でも、愕然とするほどの現実の格差が生まれていた。
そして気づけば、東京では「災後」が話題にされ始めた。都心では震災は終わったらしい。事実、目に見えてボランティアの数は減り、寄付金はニュースにならなくなった。(中略)
政府が躍起になって建てさせた仮設住宅の群は、住宅と呼ぶに価しないしろものだ。「有料」かつ「期限付き」で提供されるそれら「救済小屋」は、まかり間違えばただの自殺者製造小屋にすぎない。
(中略)
寄付金は何百億円も集まった。一人で百億出した人もいる。だが足らない。何兆円もの損害による、途方もない生活の「格差」を埋め合わせながら、「復興」しなければならないのだから、足りるわけがないのだ。
では、どうするか? 続けるしかない。ひたすら、同じことを繰り返す。寄付するなら、最低十年は出し続けられる額を出すべきだ。ボランティアをするなら、定期的に、十年は習慣的に同じことを続けられるような助け方をすべきだ。一歩一歩の距離は短くとも、継続されるということに人は希望を抱く。
逆に、あるときお祭り騒ぎで復興音頭を唄い、その後ぱったり、というのなら何もしないほうがいい。復興はお祭りではない。十年、二十年と地道な努力を繰り返す、地元住民の生活そのものだ。一度限りのお祭りは、かえってその後の失望感を強めかねない。
スタジオジブリ – 熱風
http://www.ghibli.jp/shuppan/np.html