本日の「金曜ロードSHOW!」の放送に合わせまして、『天空の城ラピュタ』にまつわる豆知識をまとめてみました。
『ラピュタ』鑑賞をより楽しむために役立てればと思います。
ジブリファンの皆さん、今晩の放送を見逃さないようにしましょう!
ラピュタ城のモチーフは、「ガリバー旅行記」の浮き島
空中に浮遊したラピュタ城は、スウィフトの「ガリバー旅行記」に出てくる浮き島をモチーフにしています。
飛行石のモチーフは福島鉄次の『砂漠の魔王』から。
『天空の城ラピュタ』公開当時の雑誌インタビューで、宮崎駿監督は「ラピュタ」という名前について語っています。
――ラピュタは、「ガリバー旅行記」に出てくる浮島の名前だそうですが、最初から登場させようと。
宮崎:
いや、全然思ってなかったです。古めかしい機械が出てくるんで、うんと漫画映画っぽいものをやろうと話しあってたんです。その後に企画書を書きはじめて、どうせなら「宝島」みたいなものをつくろうと思ってたんです。それで海の向こうにある宝島より、空に浮いている島がいいやと突然思いついて、途中から企画書に入れはじめた(笑)。確かそういうのは「ガリバー旅行記」に出てたなあと思って。企画書に「ガリバー旅行記・第三部」に出てくると書くと、それを読んだことのないオジサンたちが、何となく、ああ、そうか! と思うでしょ。説得力があるんですよ(笑)。女房に電話して、百科事典を調べてもらったら、ラピュタという名前だと聞いて、ガッカリしましてね。これは良くない名前だなと思ったんだけど、ヤケクソで「ラピュタ」って題名にしちゃったんです(笑)。
『天空の城ラピュタ』の舞台は、イギリスのウェールズ地方をモデルとしている。
『天空の城ラピュタ』製作前に、宮崎駿監督はイギリスのウェールズにロケハンに訪れ、鉱山都市のスラッグ渓谷の参考にしている。
シータが捉えられていた要塞と雰囲気が近いカーナヴォン城などがある。
ウェールズのロケハンを提案したのは、同作でプロデューサーを務めた高畑勲によるもの。
宮崎監督はその後、鈴木敏夫プロデューサーや、押井守監督らを引き連れ、同地に再訪している。
背景美術は、映画『わが谷は緑なりき』を参考にしている
『天空の城ラピュタ』で美術監督を務めた山本二三さんは、背景画を描く際に、映画『わが谷は緑なりき』を参考にしている。白黒映画だけれど、二三さんは「風景が緑に見えた」と語っている。この話は、筆者が直接聞いたこと。
企画当初のタイトルは、『少年パズー』だった
『天空の城ラピュタ』の企画当初、タイトルの候補は以下4つ。まったく違うものが候補になっていた。
- 少年パズー・飛行石の謎
- 少年パズー・空中城の虜
- 少年パズー・空とぶ宝島
- 少年パズー・飛行帝国
『天空の城ラピュタ』は、宮崎駿が『ニモ』に参加していたときに考えたアイデアが基になっている
日米合作のアニメーション『ニモ』の企画に宮崎駿が携わっているときに、空中の島などを描いており、飛行船に乗った海賊などのイメージもこのときに生まれていた。
後に、宮崎駿は『ニモ』の企画から離れ、『天空の城ラピュタ』にこのときのアイデアを使用している。
パズーとシータの名前は学生時代に考えたもの
シータの名前は、宮崎駿監督が学生時代に書いた人形劇のヒロインの名前が使われている。由来は、サイン・コサイン・シータから。
パズーも学生時代に考えた船乗りの名前を使ったという。
おかみさんの年齢は20歳
親方の奥さんは、20歳の設定となっている。
宮崎監督は、おかみさんの年齢についてこう語っている。
「20歳のおかみさんです。今でも労働者階級はざらに15歳ぐらいで結婚してますから、20歳ぐらいでもいいだろうということですね」
ちなみに、親方のダッフィーは40歳前後の設定。
ポムじいさんのモデルは、近藤喜文と森やすじ
ポムじいさんは、アニメーターの近藤喜文と森やすじがモデルになっている。
ポムじいさんについて、宮崎監督はこう語っている。
宮崎:
これは近藤喜文さんと森やすじさんを足して2で割ってできたキャラクターです(笑)。
ポムというキャラクターの性格は、人前では内気でしゃべれない。だから、人と話しているよりも地下で石と会ってるほうがいいという人なんです。世間ずれもしていない。世の中でうまく生きていくのがヘタな分だけ、なにかもっと大事なことに気付く人なのではないかと思って設定しました。
飛行石のモチーフは、『沙漠の魔王』に登場した宝石
宮崎駿監督が子供のころに読んだ、『沙漠の魔王』という絵物語に、飛行石を持つと飛べるという話があり、ラピュタの飛行石のモチーフとなっている。
壊れた建物に引っかかったロボットが落ちてきた
宮崎駿:
どうしてロボットが落ちてきたかと聞かれるとですね、壊れている建物にひっかかってたのが落ちてきたんだって言ってます(笑)。そうすると石も落ちてきたはずですが、それは海に落ちたんでしょう。隕石が当たって建物が壊れて落ちてきたという説もあったんですけど(笑)。
ムスカ情報
政府調査機関の特務将校。何事にも冷静な秀才。
ジブリのなかで、唯一の悪人と言われているキャラクター。ネット上での人気は高い。
アニメージュによると、年齢は28歳。ロマンアルバムだと、32歳。どちらにしても、意外と若い。
ムスカの、もう一つの名前は「ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」。ラピュタ王家の一族で、シータとは親戚。
ムスカは、宮崎駿監督が初めて監督をした『未来少年コナン』に登場するレプカの先祖。
つまり、『未来少年コナン』と『天空の城ラピュタ』の世界はリンクしていることになる。
飛行石の間
天空の城の心臓部「飛行石の間」のデザインは、演出助手の飯田馬之介さんのアイデアが原案。
当時のインタビューで、宮崎監督は城の心臓部について語っています。
宮崎:
あれは困ったんですよ。心臓部を作らないといけないって、それで飯田くん(演出助手)と話をしました。元は液体の中に球が浮いててキーンコーンって鳴ってるのはどうだろうとかね。
よくSFに出てくる心臓部というと原子炉みたいなイメージですよね。それじゃ面白くないって一致しまして、それで結局ああなったんです。
それで、飛行石があってチューブが走っているんでは変だなとか話が進んでいったんです。それで、最終的に木の根っこが飛行石を包んでいる形にしたんです。
ムスカの落下シーン
物語の終盤、「バルス」の呪文で城が崩壊するとき、崩れ落ちる城やロボット兵と一緒に、ムスカが落下しています。
ほんの一瞬なので、目を凝らして見てみてください。
ドーラ情報
ドーラがモールス信号を盗聴するときのノートの背表紙は「ANGO」と書かれている。
ドーラの部屋には、ドーラの若い頃の写真があり、シータと似ている。
ジブリ作品関連資料集によると、シータが年を取るとドーラになると書かれている。
タイガーモス号は、ドーラの亡き夫が作った遺産
ドーラ家の愛機・タイガーモス号は、全長40メートル。ほかの船にはない鳥のような翼がついている。主翼のないほかの飛行船には真似のできない芸当もやってのける。音もなく忍びより、スピードも最新鋭の軍艦に次ぐ。
この船は天才科学者だったドーラの亡き夫が作った遺産。ドーラは、この飛行船を得て、海から空の海賊に転身した。
タイガーモス号の老技師の名前はハラ・モトロ
名前の由来は、製作進行の原俊嗣氏に似ていて、アニメ『もぐらのモトロ』みたいだったことから、ハラ・モトロと付けられたと、当時製作進行だった木原浩勝氏は明かしている。
フラップターの最高時速は182キロ
通常の飛行時は時速111キロ。ブースターに点火すれば、最高時速182キロで飛ぶことができる。
航続距離は218キロまで飛べる。戦闘機ではなく、ドーラの亡き夫が作ったスポーツ機である。
ロボット兵のボディは、セラミックで作られている
ロボット兵のボディは、セラミックの一種でできており、砲弾を食らってもそう簡単には壊れない。
しかし、宮崎駿監督いわく「翼が出たり引っ込んだりしてますから、硬いものはありえないですよね。だから、ロボット兵の体は金属ゴムだなんて言ってます」とのこと。
ロボット兵の身長は2.44メートル、重量は228キロ。
ラピュタ語は、基本的にでまかせ
「リーテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール」などのラピュタ語は、「口から出まかせ」であることを宮崎駿監督は語っている。
なるべく英語でもなく、日本語にもならないように考え、影響を受けたものはケルト語としている。
おまじない
シータが、困ったときのおまじないとして唱える「リテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール」という言葉は、ラピュタ語で「我を助けよ、光よ蘇れ」という意味がある。
ラピュタの封印が解かれ、飛行石自体も活性化し、離れ離れになったラピュタ城を指し示す「聖なる光」を発して、地上に降りた王家の者を再び城へと導く。
この呪文一つでラピュタの機能全般が活性化するようで、ロボット兵も反応して活動を再開した。
バルス
「バルス」はトルコ語で平和という意味がある。
しかし、映画の設定では、「閉じよ」の意味で使われている。
諸星大二郎の漫画『マッドメン』で登場した、ビジン語の「飛行機(バルス)」が元ネタとされている。
ラピュタ城中枢に浮かぶ巨大飛行石により、下部の半球体にある石版のメインコンピュータ回路を自壊させ、城全体を崩壊に導く。
ロボット兵の初登場は『ルパン三世』
ラピュタに登場するロボット兵が、初めて登場したのは『ルパン三世』。
有名な話ですけども、宮崎監督が演出を担当した、TVシリーズの『ルパン三世 さらば愛しきルパンよ』に登場しています。
このときのロボットの名前は「ラムダ」。ラピュタのロボット兵のように意思を持ったロボットではなく、人が操縦して動くものでした。
アニメージュのインタビューで、宮崎監督がロボット兵について、少しだけ語っています。
宮崎:
「ルパン」の最終話で出したロボットなんだけど、時計の中みたいなあの顔がすきなんですよ。あのデザインをテレビではとことん生かしきれなくて心残りだったから、あれを使うことにしたんです。観客が、死んでしまうロボット兵を見て、かわいそうだと思ってくれればいいのですが……。
『天空の城ラピュタ』を作る切欠は、制作費を稼ぐため。
『風の谷のナウシカ』完成後、映画のヒットで得た資金により、ドキュメンタリィ作品『柳側掘割物語』の製作に入る。しかし、監督を務めた高畑勲は、予定の資金を使い果たし、撮影が頓挫していた。
金策に困り果てた宮崎駿は、鈴木敏夫に相談。そして鈴木に映画をつくることを提案され、『ラピュタ』の企画が動き出した。
ラピュタと同じ企画から生まれたのが『ふしぎの海のナディア』
庵野秀明監督が作った『ふしぎの海のナディア』は、宮崎駿監督が用意していた企画が基になっています。
『未来少年コナン』のあとに、宮崎監督がNHKでのTVシリーズ用に企画を立てたものの、そのときは実現せず、後に宮さんはその企画をジブリで『天空の城ラピュタ』として作品化します。
そのままNHKに残された企画は、庵野秀明監督によって『ふしぎの海のナディア』として生まれ変わりました。
後に、庵野監督は『ナディア』についてこのように語っています。
――『ふしぎの海のナディア』を見たときに、すごく『ラピュタ』を感じたんですけれど。
あれはNHKから「『ラピュタ』をやってください」って注文があったからなんですよ(笑)。NHKの注文を聞く限りでは『ラピュタ』以外の何物でもない。できるだけ排除しようとしたんですけれど、ちょっとずつ取り入れて、ずらしながら路線を変更させていこうっていう戦略でした。最初に予定されていた監督は「これじゃ『ラピュタ』ですよ」って言って、大ゲンカしてやめちゃった。その後、僕が監督に入って、やった方法論っていうのはそれなんですよ。NHKの希望を可能な限り取り入れて、徐々に崩しながらやっていく。
『ナディア』の時に三人組が出てくるんですけれど、最初、あれはおばあちゃんと子供だったんですよ。もう、もろに『ラピュタ』でしょう。そう言われるくらいだったら、僕は『タイムボカン』って言われたかった。
パズーとシータのその後の生活
映画では描かれていない飛行客船襲撃よりも前のエピソードや、映画のラストの半年後を舞台としたエピローグが書かれており、その他細かい設定や、登場人物の心情描写の補完がなされています。
オマケ
『天空の城ラピュタ』に登場した虫型飛行機のフラップターを、実際にラジコンで作っている方がいました。凄いです。
参考書籍
- 映画 天空の城ラピュタ
- 映画天空の城ラピュタGUIDE BOOK復刻版
- 小説 天空の城ラピュタ〈前篇〉 (アニメージュ文庫)
- 小説 天空の城ラピュタ〈後篇〉 (アニメージュ文庫)
- 天空の城ラピュタ ロマンアルバム
- スタジオジブリ作品関連資料集 1
- 『月刊アニメージュ』の特集記事で見るスタジオジブリの軌跡―1984-2011
- The art of Laputa
光る飛行石 「バルス」アイテム。 『天空の城ラピュタ』でシータが身に着けていた飛行石。スイッチを押すと、石が光ります。 「目がぁ!目がぁぁ!」というほど、明るくなりません。 身に着けても、高いところから飛び降りれるわけでもありません。 |