7月26日から8月3日にかけて、ジブリ作品のロケ地を巡る旅をしてきました。
ツイッターでリアルタイム投稿してますし、ログも残っておりますが、改めてジブリ旅をふり返って書いていきます。
さてさて、初日は青春18きっぷを利用して、夜行列車のムーンライトながらで兵庫県まで行きました。
そう、そこは、高畑勲監督の『火垂るの墓』のロケ地です。事前に調べた感覚では、わりとコンパクトにまとまっている印象だったんですけど、実際に歩いてみると、広い広い……。
しかも、その日は、これでもか、というほどの真夏日で、きっと35度くらいあったんじゃないでしょうか。セミの鳴き声が、ぐわんぐわん響いてきました。
さらに、PCやら、カメラやら、着替えやら、水筒やら、バックパッカーのごとく荷物を背負ったまま歩いていたため、この初日がいちばんしんどかったのでした。
なにしろ、初日は夜行列車ですから、大して寝てもいません。寝不足で、大荷物を背負って、炎天下のなか歩いたら、そりゃ疲れます。って、そんなに疲れたことを強調してもしょうがないので、旅の内容に移っていきましょう。
いざ、出発。
ムーンライトながらは、23時10分 東京発の夜行列車でして、5時50分に岐阜の大垣に到着します。18きっぷを利用する場合は、日付が変更してから乗車する人が多いため、小田原駅から乗る人が多いんですけど、わたくしは東京駅からスタートして、東京駅で終ることを決めていたので、そのようにしました。
その場合、小田原まで通常の切符を買っておいて、そこから先は18きっぷでの乗車となります。
東京駅のキャラクターストリートにある「どんぐり共和国」です。シャッターが閉まっているのは、営業時には見ることができないので、初めて見ました。『となりのトトロ』のオープニング仕様なんですね。全店同じシャッターなんでしょうか。
『ナウシカ』のオープニングもシャッターにできそうですね。あと、『ラピュタ』も良いかも。いやいや、『ポニョ』も捨てがたい。
そんなことを考えているうちに時は流れて、出発の時間になりました。ここから、長い旅路の始まりです。
ムーンライトながらの時刻表は、こちらの通り。
東京 23:10発→品川 23:18発→横浜 23:36発→小田原 00:31発→沼津 01:08発→静岡 01:50発→浜松 02:46着 03:15発→名古屋 05:20着→岐阜 05:41着→大垣 05:50着
大垣で乗り換えることになるわけですけど、ここの乗り換え時間は、たったの3分しかありません。
しかも、別のホームになるので、階段を上って、走っていくことになります。乗り遅れてはいけないのと、椅子に座りたい人が多いことで、みんな必死です。
これは、ムーンライトながらの利用者の間では有名で、「大垣ダッシュ」と呼ばれています。
ここで必死になりたくない性分のワタクシは、歩いていました。もちろん、椅子には座れません。ちなみに、この先にある、米原駅というところでも、椅子をかけたダッシュが繰り広げられます。
夙川エリア
そんなこんなで、朝から大垣ダッシュと米原ダッシュに揉まれつつ、電車に揺られること2時間半。さくら夙川駅に到着です。この時点で、朝8時半。出発してから、約9時間半が経ちました。さあ、ここからロケ地めぐりが始まります。
この、さくら夙川駅から300メートル程のところに、阪急神戸線の夙川駅があります。この駅は、『火垂るの墓』で清太と節子が、親戚の叔母さんの家に行くときに利用しています。
ここが、清太と節子が歩いた土手です。映画では、左側に橋があって、右側にポストがあったんですけど、そのようなロケーションはありませんでした。橋だけです。残念。
土手を北に数百メートル歩いたところで、右手に折れると、清太と節子の叔母さんが住んでいた満地谷町に入ります。映画でも、二人が高台で眺めているシーンがありました。
この町は高低差があって、『耳をすませば』のロケ地の聖蹟桜ヶ丘とちょっと似ていると思いました。高級住宅が多い点まで似ています。
満地谷町には、清太と節子が暮らしたニテコ池があります。戦時中は、ここに防空壕があったんですね。二人は、叔母さんの嫌味に耐え切れず、ここに逃げ込みました。いいとこの子だったので、我慢ができなかったんですね。あれくらいのこと耐えていれば、二人とも生きていたでしょうに。と言っても、そのことを描いているのだから仕方がないですね。
実はこの池に、実際に防空壕があったかどうかは定かではありません。
しかし、2014年に放送された、ジブリのロケ地を訪ねるシリーズ「ジブリの風景 ~高畑勲が描いた“日本”を訪ねて~」によると、管理棟の近くにある埋め立てた穴が、防空壕だったのではないかと言われています。
さて、ニテコ池を見たあとは、来た道を引き返して、夙川に沿って歩いて行きます。映画にも、このような橋が登場しましたね。映画では、橋が二個並んでいる画があったんですけど、実際はそういうカットで撮影はできなかったです。絵描きは、絵で嘘をつきますからね。
清太と節子が渡った夙川橋です。阪神国道で大きな通りとなっています。当時は、路面電車と馬車が通っていたようですが、今は車がたくさん走っています。なにやら、路面電車は昭和50年に廃止になったのだとか。
川沿いにずっと進んでいくと、川幅が広くなってきて、海が見えてきました。
そう、ここは、清太と節子が遊んでいた海の、香露園浜ですね。空襲が鳴ったときに、この道を清太と節子が走っていました。映画同様に、右側には西宮回生病院があります。
海の景色は、映画のまんま、とはいかず、埋立地に建物がたくさん作られてしまいました。産業団地や住宅で溢れています。
昔は、清太や節子が遊んでいたように、とても綺麗な海だったのでしょう。関西では、海水浴場として有名だったそうです。今は、とても入る気は起きません。
清太と節子が香露園浜から帰るときに、西宮回生病院が映りこみます。
この病院も、ちょっと前まではモデルとなった建物が残っていたのですが、2015年に老朽化により取り壊されて、今はまったく新しい病棟になりました。来るのが遅かったですね。
御影エリア
さて、次は電車に乗って、さくら夙川駅から4つ目にある住吉駅まで行きました。ここから、阪急電鉄の御影駅に向かって歩いてきました。
写真は、阪急電鉄の高架下です。ここは、映画の冒頭で空襲にあった清太が、節子を背負いながら逃げるシーンで登場します。しかし、避難する人たちで溢れていて、二人はここに入れませんでした。
そして、清太と節子は一旦、海まで走り、一面焼け野原となった町を見て、愕然とします。映画では、砂浜でしたけど、今は工業地帯となっています。当時を思い起こさせる面影は、まったく無いです。
ちなみに、高架下から、海までの距離が1kmくらいあります。炎天下にバックパックを背負いながら行くのは、めちゃくちゃしんどかったです。皆さん、真似はしないように。節っちゃん背負いながら、あそこまで逃げるのは厳しいですけど、映画の世界ではもっと距離が短かったですね。
そして二人は、石屋川に逃げ込みます。清太たちは、ようやくここで一息ついて休憩することができました。
清太は川沿いを歩き、御影公会堂にたどり着きます。
映画では、手前に石屋川駅があって、その先に公会堂がありましたけど、同じような構図で撮ることは物理的に不可能でした。映画とは距離感が違います。
清太がお母さんと待ち合わせをしていた公会堂裏の二本松は、どこにあったのかわかりませんが、裏はこんな感じです。
もうすこし探せば、それっぽい景色があったんでしょうか。このとき、疲れ果てていて、これ以上探せませんでした。
公会堂のすぐ近くにある石屋川公園の川沿いには、『火垂るの墓』の記念碑が作られています。
そして、このエリアで最後となるのは、御影小学校です。
公会堂裏で、国民学校に避難するようアナウンスがあり、学校に行ったところで清太たちは、母親が空襲の被害を受けたことを知ります。
ちなみに、原作小説においては、「御影国民学校」と記されており、この学校がモデルで間違いないのですが、アニメ版の校舎は、成徳小学校の旧校舎が参考にされているそうです。
三ノ宮駅
いよいよ、『火垂るの墓』ロケ地巡りも、終わりが近づいてきました。
最後にやって来た場所は、映画では冒頭に登場するシーンです。
写真は、オープニングクレジットで使われていた、三ノ宮駅の陸橋です。清太と節子は、ここで電車に乗って、空襲で焼け野原になる町を見ていました。
三ノ宮駅のコンコースで、柱にもたれ掛かったまま、清太は息を引き取りました。
現在の三ノ宮駅は、工事をしていて、当時の趣きもなにもない、味気ないものになっています。工事が終了してから、また来なくてはいけませんね。
『火垂るの墓』のロケ地めぐりは、これにて終了。
最後に、電車で神戸駅まで移動して、「どんぐりガーデン」に行きました。品数豊富で、オシャレなお店です。
ここでは、ポニョと宗介のゆび人形を買いました。明日からは、鞆の浦で『崖の上のポニョ』のロケ地めぐりです。
神戸には久しぶりに行きましたけど、アウトレットとかできて、オシャレで賑やかになってました。
ということで、この日は、翌日の鞆の浦観光にそなえて、福山まで移動して早々に眠りにつきました。
とにかく疲れた一日目でした……。
ではでは、2日目、鞆の浦篇につづく。
ちなみに、今回のロケ地めぐりは、「関西ドラマと映画の舞台」さんのサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございます。