「ジブリの大博覧会」を見に行ったその日、「サツキとメイの家」にもお邪魔してきました。
こちらの家は、愛・地球博の開催に合わせて作られました。万博が開催された10年前に、観覧チケットは外れたのだけれど、愛知まで見に行ったことを思い出します。あのときは、凄い人混みだったなぁ……。
その次に訪れたのが、5年程前だったかな。今回で、3回目ですね。
この、サツキとメイの家にはモデルがあって、宮崎駿監督が子どものころ宇都宮に疎開していたときに住んでいた家を、『となりのトトロ』の草壁家として描いています。そこが和洋折衷の家で、当時としては新しく、宮崎監督にとって印象の強いものとなったようです。
受付けでチケットを渡すと、入場パスとリーフレットが貰えます。受付けには、記念スタンプがあるので、押してみました。が、中心を外していますね。
「サーツキちゃーん!」と呼びたくなってしまう、草壁さん宅の玄関前。みっちゃんが叫んでいたのは、もう少しうしろのほうですね。
この「サツキとメイの家」は、映画の1年後の設定となっているそうで、お母さんの草壁靖子さんは退院し、ボロだったパーゴラの足はお父さんにより修復されています。でも、まだボロイですね。
お父さんの書斎は、本でびっしり埋まっています。なんたって、草壁タツオさんは、考古学者ですからね。新しい学説は証明できたのでしょうか。
壁には、「最新日本地図」が貼ってあります。1961年のものです。
こういった小物は、当時の物を再現して作ったレプリカではなくて、実際に当時の物を使っているのだとか。
衣類や食器なども、たくさんありましたが、すべて昭和30年代のものを揃えたそうです。状態が良いことに驚きます。
テラスでは、誰かが絵を描いていたようです。映画では植物の絵がありましたね。
縁側の窓ガラスも若干ゆがみがあって、レトロな作りになっています。10年前に作られているのに、現代を匂わせるものは、まったくありません。ほんとうにタイムスリップした気分。
庭に、お父さんのものと思われる自転車があります。
小さな子どもは跨ぐことができず、カンタのように三角乗りするわけですね。
メイちゃんが、縁の下に逃げ込んだ小トトロを待ちうけていた場所です。
もう、きっと、別の場所から抜け出していますね。
物干し竿の上には、映画と同様に色あせた缶詰が。
細かなところまで、ちゃんと映画のとおりです。
家の裏には、焚き木用の薪があります。
この量では、お風呂を沸かしたら、すぐに無くなる気もします。当時は、薪割りが日課だったんでしょうね。
井戸も完全に再現されています。タライも、まったく映画と同じよう。
ここでサツキとメイが、洗濯をするお父さんの手伝いをしていましたね。
こちらは、展望台から撮影しています。
このとき、幼稚園の遠足かなんかで、子どもたちがたくさんいて、「マックロクロスケ出ておいでー! 出ないと目玉をほじくるぞー!」の大合唱をしていました。
あまりの数に、ススワタリも驚いて、引っ越しの相談をしていたはずです。
次に来るのはいつになるでしょうか。名残惜しい気持ちを抱きながら、公園を後にしました。
今回は、天候に恵まれて、ほんとうに良かったです。天気によっては、全然違う印象になったと思います。
サツキとメイの家のつくり方
この「サツキとメイの家」は、一冊の本になっています。
昭和の初めころの草壁家を建築するには、現在では使われていない技術もあるため様々な苦労あり、職人さんの力を結集して作られていく様子が描かれています。
また、この本には、「サツキとメイの家」の図面が収録されているので、同じ家を建てることも可能です。
鈴木敏夫さんの把握している限りでは、三軒建てられているのだとか。
あなたも挑戦してみてはいかが!?
サツキとメイの家のつくり方 100点以上の写真。建築に携わった人々の話。建築レポート。設計図などで紹介するまるごと一冊サツキとメイの家のつくり方。 |