コクリコ坂から 港の見える丘公園宮崎吾朗監督作品の『コクリコ坂から』のロケ地めぐりに行ってきました。
実はこの作品、スタジオジブリ作品としては初めて、ロケ地を明言している作品なんです。それまでの作品では、モデルとなった場所を特定するような発言は控えてきたジブリですが、この作品では横浜市とタイアップしていたこともあって、ロケ地がたくさん紹介されています。



桜木町駅

コクリコ坂から 桜木町
映画でも何度か登場した桜木町駅です。
映画の時代は1963年でしたので、駅舎はまったく違うものになっているため、その当時の面影を見ることはできません。

港の見える丘公園

コクリコ坂から 港の見える丘公園
「港の見える丘公園」には、『コクリコ坂から』の公開を記念した国際信号旗が掲げられています。
映画で、海が庭で揚げていたものと同じですね。
この旗には「安全な航海を祈る」という意味があります。

コクリコ坂から 港の見える丘公園

本作は横浜市とタイアップもしているので、記念の看板も建てられています。
公開当時は、映画のロケ地を通して観光のPRも行なわれていました。

神奈川近代文学館

コクリコ坂から 神奈川近代文学館
「港の見える丘公園」には神奈川近代文学館があって、ここでは以前スタジオジブリは、「堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世。」という展覧会を開催したことがあります。
そして、映画でコクリコ荘があった場所は、ここが想定されています。

谷戸坂

コクリコ坂から 谷戸坂
映画の中で、海はたびたび坂道を歩いていますが、そのイメージの元になっているのは、「港の見える丘公園」の裏手にある谷戸坂です。
元々、この公園近辺は立地的に坂道の多い場所なので、イメージの源泉となるような風景はたくさんあります。

西洋館

コクリコ坂から 西洋館
コクリコ荘のイメージには、山手エリアにある西洋館が参考にされました。
特定の建物が明言されているわけではありませんが、映画のガイドブックには下記の建物が紹介されています。
いろいろな建物を部分的に参考にしているのだと思います。

横浜市イギリス館
コクリコ坂から 横浜市イギリス館
上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在地に建てられました。

山手十番館
コクリコ坂から 山手十番館
昭和42年(1967年)に、明治100年を記念して建てられていて、現在は1階はカフェで、2階はレストランとして使用されています。

山手資料館
コクリコ坂から 山手資料館
明治42年(1909年)に建造された、横浜市内に残る唯一の「和洋併設型住宅」木造西洋館です。

山手243番館
コクリコ坂から 山手243番館
1923年9月1日に発生した関東大震災で横浜の多くの家屋が失われ、駐留していた外国人は神戸や上海など他の都市に移り住む者が相次いだため、横浜市では外国人に市外から戻ってきてもらうべく、復興事業として建設されました。

エリスマン邸
コクリコ坂から エリスマン邸
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、フリッツ・エリスマンの邸宅でした。大正14年(1925年)から15年(1926年)にかけて、山手町127番地に建てられました。

ベーリック・ホール
コクリコ坂から ベーリック・ホール
イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として、昭和5年(1930年)に設計されました。現在は、結婚式場としても使用されています。

ブラフ18番館
コクリコ坂から ブラフ18番館
関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデンの住宅でした。

外交官の家
コクリコ坂から 外交官の家
ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43年(1910年)に東京渋谷の南平台に建てられました。

個人的には、これらの建物の中では「山手資料館」がコクリコ荘に似ているように感じました。
庭園の雰囲気は、「外交官の家」が近いものを感じます。庭の様子は、動画をご覧ください。

旧柳下邸

コクリコ坂から 旧柳下邸
ここは、公式のロケ地ではないんですが、横浜市磯子区の「根岸なつかし公園」内にある、旧柳下邸がコクリコ荘とよく似ています。
正直、ここがコクリコ荘と一番近いような印象を受けました。
ここはロケ地とはされていないのですが、『コクリコ坂から』は横浜市とタイアップしていて、PRできるエリアに制限があったのでしょうか。
というのは、穿った見方かもしれません……。

「旧柳下邸」については、こちらの記事をご覧ください。

線路とトンネル

コクリコ坂から 線路とトンネル
映画のなかで、松崎海の通学路に、線路とトンネルが見えるシーンがあります。
ロケ地周辺で、線路とトンネルが見えるのは、この石川町駅と山手駅の中間にある、ここだけらしいです。

しかし、あの風景は、宮崎駿さんが美術の参考用に想像で描いたものなので、ここがモデルというわけではありません。

宝田洋食器店

コクリコ坂から 宝田洋食器店
元町商店街には、「TAKARADA」という洋食器店があります。
このお店は、映画で直接的には描かれていないんですが、路面電車の看板広告に「宝田洋食器店」と名前だけ登場しています。
1882年創業の老舗です。

丸英商店

コクリコ坂から 丸英商店
元町商店の脇道には丸英商店という精肉店があります。
ここで俊は、コロッケを二つ買って、海と一緒に食べていました。
実際に1950年創業で、海たちが食べていたサクサクのコロッケも実際に販売されています。
がしかし、ロケ地めぐりをしている日は、夏休みだったのか閉まっていました。無念……。

宮崎生花店

コクリコ坂から 宮崎生花店
このお花屋さんは、俊と海が自転車を2人乗りして坂道を下るときに通りました。
なんと、1873年創業で、当時から変わらないモダンな外観なんだそうです。代官坂の途中にあります。

元町厳島神社

コクリコ坂から 元町厳島神社
海の通学路には、鳥居がありましたけど、おそらくここがモデルだと思います。

クイーンの塔

コクリコ坂から クイーンの塔
夜の山下公園を歩く、海と俊の後ろには、このクイーンの塔が見えていました。
映画では、実際には見えない位置から見えていたのですが、あれはアニメーションならではの嘘をついた風景ですね。

ホテルニューグランド

コクリコ坂から ホテルニューグランド
こちらも、山下公園から見えるホテルニューグランドの看板です。
映画では、海と俊の歩く横からのアングルのときに、この「HOTEL NEW GRAND」の文字が大きく描かれていました。

マリンタワー

コクリコ坂から マリンタワー
そして、海と俊の歩く先には、煌々と輝くマリンタワーがありました。
当時は、塔自体がカラフルに光っていて、灯台の役割も果たしていました。

いま現在のマリンタワーは工事改装中で、2022年4月に再オープン予定です。

氷川丸

コクリコ坂から 氷川丸
この氷川丸は、映画でもそのまま氷川丸として描かれていました。
当時のカラーリングだったので色は緑でした。

また、映画の終盤で登場した外洋航路船の「船洋丸」も、氷川丸と似ていましたね。

以上

『コクリコ坂から』のロケ地めぐりでした。
本作は、ジブリ作品としては初めて、公式にロケ地が公表されました。

映画のガイドブックにもロケ地が掲載されていますので、皆さんも本を片手に、ロケ地めぐりをしてみてはいかがでしょうか?