魔女の宅急便

『魔女の宅急便』でキキが着ている黒い服。作中では、しきたりのため魔女は黒い服を着ているという母親の説明があります。



「もうちょっと素敵な服ならよかったのにね」
町に出てからは、オシャレができないことでキキはこの黒い服に苦しめられるわけですが、どのような意味があって、そのしきたりが生まれたのかは説明されていません。

しかし、この設定について、宮﨑駿監督はインタビューの中で、独自の解釈を明かしています。

――キキの黒い服についても、監督なりの考えはありますか?

宮﨑:
どうしてキキが黒い服を着るのか。自分なりに考えて出した結論は、あの魔女の黒い服は、むかしからのいい伝えどおりそうなっているからだけじゃないんです。黒い服は、もっともそまつな服を着ているという意味だと思うんです。いちばんそまつな服を着て、着かざったりしないで、ありのままの自分の姿で、自分の世界を見つけに行く。それが魔女の修行なんだということだと思う。

思い返してみると、ジブリ作品ではたびたび服装を変えるシーンが出てきます。

たとえば、『天空の城ラピュタ』では、冒頭のシータは紺色のワンピースを着ていますが、ムスカに捕まってからは白のワンピース。ドーラに着替えを貰ってからは海賊スタイルと変わっていきます。

『耳をすませば』では、雫は日常のスタイルと、非日常のドレス。『千と千尋の神隠し』では、油屋で働くようになって、千尋は皆と同じ制服に着替えます。
どれもその場に合わせた服装で、浮いているような印象はありません。

ところが、『魔女の宅急便』だけは違います。キキは黒い服を気に入っておらず、服装によってどのように自我が形成されるかということが表現されています。

人は概して、ファッションなどの外見から、その人がどういった人物なのかを推し量るところがあります。
コリコの町に出たキキは、オソノさんやトンボ、デザイナーのマキさん、老婦人にウルスラ、ニシンのパイが嫌いな女の子などなど、さまざまな人と出会います。
そして、キキは常に自分が浮いているんじゃないか、場に適していないんじゃないかと自問します。

さまざまな喜びや傷つきを重ねながら、キキは出会った人たちの目を通すことによって自分を見つめ、社会に適応していくことになります。

ジブリ作品では唯一、服装によって表現された自己形成物語だったのかもしれません。