
高畑勲監督が『火垂るの墓』について語ったインタビューを文字に起しました。
2015年に行なわれたもので、本作を描くことになった経緯や、監督自身の戦争体験などを語っています。
戦争中は悲惨だけではなかった、喜びも楽しみも自由もあったと高畑監督は語ります。

高畑勲監督が『火垂るの墓』について語ったインタビューを文字に起しました。
2015年に行なわれたもので、本作を描くことになった経緯や、監督自身の戦争体験などを語っています。
戦争中は悲惨だけではなかった、喜びも楽しみも自由もあったと高畑監督は語ります。
4月5日に肺がんのため亡くなった高畑勲監督の葬儀・告別式が、9日に東京都内の斎場で家族葬として行なわれたことがわかりました。
前日8日の通夜に続き、親族や鈴木敏夫プロデューサーら近親者のみ数十人が参列し、棺の中で安らかに眠る高畑監督に花を入れて別れを告げました。
高畑勲監督が阿波の狸合戦に着想を得て作られた『平成狸合戦ぽんぽこ』。作中には、小松島市の「金長だぬき」が登場しており、1994年6月にはヒット祈願を兼ねて同地に訪れています。
昼食会場となった地蔵寺の服部宏昭住職は「物静かだが、知的好奇心が旺盛な方だった。金長だぬきは雄々しく立派な役を与えてもらい、タヌキと人間が共生する理想郷として描かれていた」と話す。
高畑勲さんは、柳川市の掘割再生運動に焦点を当てた実写ドキュメンタリー映画『柳川堀割物語』の監督・脚本も務めていり、永眠の知らせに柳川市の掘割の存在を広く伝えた功労者を惜しむ声が、地元で相次いでいます。
高畑さんは2002年に10人選ばれた最初の柳川観光大使の一人でした。
5日に亡くなった高畑勲監督の訃報を受け、『おもひでぽろぽろ』の撮影などで生前交流があった山形県内の関係者からも悼む声が上がっています。
『おもひでぽろぽろ』の制作でコーディネートを担当したシネマパーソナリティーの荒井幸博さんと高畑監督との出会いは1988年、同市で開催された高畑監督のドキュメンタリー映画上映会とシンポジウムの席上でした。
高畑勲監督が4月5日に亡くなられ、各界の著名人から悼む声があがっています。
スタジオジブリの鈴木敏夫さんを始め、一緒に『かぐや姫の物語』を作った西村義明さんや、同作で声優を務めた浅倉あきさん、音楽を手がけた久石譲さんなど、高畑監督と関わりの深かった著名人の声をまとめました。
高畑勲監督が4月5日午前1時19分に、肺がんのため東京都内の病院で亡くなったことについて、各回から悼む声が集まっています。
宮崎駿監督は大きなショックを受けコメントを出せずにおり、周囲に「まだその気持ちにはなれない」と話していることがわかりました。
高畑勲監督が、2018年4月5日(木)午前1時19分、帝京大学医学部附属病院にて、肺がんのため82歳で亡くなりました。
スタジオジブリからは、社長の中島清文さんと、鈴木敏夫プロデューサーのコメントが寄せられています。
通夜および葬儀は、近親者のみで執り行なわれるとのこと。
高畑勲監督の『火垂るの墓』が急遽、4月13日に日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で放送されることが決まりました。
この放送は、4月5日に82歳で亡くなった高畑監督を追悼するもの。これまで、高畑勲作品を放送してきた日本テレビから、高畑監督への感謝の気持ちも込めての放送となります。
高畑勲監督が、2018年4月5日に都内の病院で亡くなったことがわかりました。享年82となります。
関係者によると、高畑監督は昨年の夏頃に体調を崩し、その後も入退院を繰り返していたいい、心臓が悪かったという情報もあります。