スタジオジブリの所在地といえば、東小金井なんですけども、この場所に移転したのは1992年のこと。
1985年6月15日の設立当初は、まだスタジオジブリとしての社屋をもっておらず、吉祥寺駅の近くにあるビルを間借りするかたちで入居していました。
その建物は、今もなお残っており、スタジオジブリ跡地として神聖化されてなんかいませんけども、マニアックなジブリファンの間で、「ここにあったんだよ」と囁かれております。
第1スタジオ
そのビルは、東急百貨店の裏にあるこちらの建物。ここが一番最初にジブリがスタートした場所です。この2階に入っていました。後に第2スタジオが作られ、ここは第1スタジオと呼ばれていました。
この場所で、『天空の城ラピュタ』や、『火垂るの墓』『魔女の宅急便』などが作られました。若き日の高畑勲監督と宮崎駿監督は、ここに毎日通っていたんですね。
そして、鈴木敏夫さんが、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』を同時上映すると言ったばっかりに、スタジオのスペースが足りなくなってしまいました。
そのため、もう一つスタジオが必要になり、この場所から約50メートル離れた場所に、第2スタジオが作られることになりました。
第2スタジオ
それが、こちら。
これもまた、2階に入居していました。
当時、このビルは出来立てホヤホヤで、まだテナントも決まっていなかったことに加えて、第1スタジオと不動産管理が同じだったこともあって、すんなり決まったそうです。1スタ近くで探していたので、これ以上ないくらい、もってこいな場所だったんですね。
1987年4月13日に、ここ第2スタジオの“スタジオ開き”が行なわれました。
ここは、『となりのトトロ』を作るために用意されたスタジオです。宮崎監督は、ここでテーブル卓球なんかして、息抜きしていたんですね。よもや、歴史に残る名作がここで生まれるとは、当時想像していた人はいたのでしょうか。
スタジオジブリは、1985年から1992年までの7年間、吉祥寺を拠点にしていました。
『紅の豚』を最後に、ジブリは吉祥寺を離れて、現在のスタジオがある東小金井の新社屋に移ることになります。
しかし、現在でも「三鷹の森ジブリ美術館」がありますし、吉祥寺周辺はスタジオジブリと縁の深い場所として親しまれているのです。