もののけ姫

『もののけ姫』といえば、「生きろ。」というキャッチコピーが有名ですよね。この一見簡単そうに思える言葉を生み出すまでに、そうとうな苦労があったことをご存知でしょうか。
このコピーを作ったのは、コピーライターの糸井重里さん。『となりのトトロ』から『ハウルの動く城』までジブリ作品のキャッチコピーを担当していました。



『もののけ姫』以前の作品は、キャッチコピーもすんなり決まっていたと鈴木さんは言います。
しかし、『もののけ姫』では、糸井さんの提案するキャッチコピーが50案近くに昇るほど、やりとりを繰り返していました。

そのときの様子は、『「もののけ姫」はこうして生まれた。』のなかで紹介されています。
鈴木さんと糸井さんのFAXによるやりとりを、振り返ってみましょう。

1995年3月21日
鈴木さんから、糸井さんへ

糸井重里さま。
やっと、cパートが半分近く完成しました。
取り急ぎお送りする所存です。
このあとの展開は、乙事主たちとタタラ一族の戦いが、まるでボスニア・ヘルツゴヴィナの内戦よろしく繰り広げられる筈です。
巻き込まれるアシタカとサン。
しかし、ふたりは、かつてのヒーロー、ヒロインのように全体を解決すべく大活躍するわけではありません。戦いの中で「惨事」を目撃することになるんです。
コピーの一日も早い完成を首を長くして待っています。
宜しくお願い致します。

鈴木敏夫

糸井さんから返事が来たのは、これ約3か月後の6月に入ってから。
わざと誤字を混ぜた遊び文で書かれています。

6月4日
糸井さんから、鈴木さんへ

鈴木さま敏夫さま

いくら映画の進行が父として進まぬ状体だからといって、私までのんびりとしていては池ませんでしたよね。も牛わけないで酢。
(やっぱり、難しかったんです)

「映画の気持」と、「もののけ君の気持」が、どうやら合同というか相似ではないかと気がついてはじめて書けるようになりました。

キャッチコピー案
①おそろしいか。愛しいか。
②おまえには、オレがいる。
③惚れたぞ。
④ひたむきとけなげのスペクタクル。

①は、ま、口説き文句みたいなもんですね。
本当は「おとろしい」のほうがいいと思ったんですが、どうしても「おとろしい」は辞書に出てこないのであきら目ました。

②ラブストーリーでもあることを前面に出してみました。
こういう怪物的なプロポーズを堂々と言えたら気持ちいいな、と。

③「愛してる」以外に、いいコトバはないかと考えてたのですが、日本人なら、これ…かな? と。

④わかりやすそうで(口あたりがよくて)ナンセンスな感じをだしてます、ね。絵本の帯コピーをいじってつくりました。
いつも、映画の出来にコピーが救われてるという逆転劇で助かってますが、
今回は、どうですかねぇ。アカンかったら また やりなおします。
とに角、お届けしますので、みてやって管さい。

※日本語フリーハンド・ワープロの調子が割るくて誤字が多くてすみません。

遊び人の金さんこと 糸井重里 より

このコピーは、絵本版の『もののけ姫』を読んで考えたそうです。
映画のイメージとずいぶん外れているのは、そのためですね。鈴木さんは、同日にすぐさま返事のFAXを送っています。

6月4日
鈴木さんから、糸井さんへ

再考を!
宮崎も「ちがう」というし、小生もちがうと思いました。
愚かにも着かない理屈を並べるなら、

1.ラブストーリーといい切るなら、その背景となる混沌とした世界の広がりが欲しい。

2.物語の行き着く先が混沌としているのに、いずれも「答」が出てしまっている。答のないコピーは?

――てなところでしょうか。

勝手ばかりいってスミマセン。宜敷くお願いします。

小生が気になっていた台詞は、これです。

「そなたは、美しい…」

これ、宮崎駿がいっているという気もするのですが、如何でしょう。この前、糸井さんが「カッコイイとはこういうことさ」も「タヌキだってがんばってるんだよ」も宮さんがいっているというのを思い出した次第。

では、待ってます。

鈴木敏夫

このときのことを、後のインタビューで糸井さんは、こう語っています。

糸井:
いつも鈴木さんの話を聞いてスッとできるんですよ。ところが今回は、どうも作れないんです。鈴木さんも、いくら説明しても、し足りない感じだし。で、困っちゃったんです。しかも、今だから言うんですけど、大失敗をしたんです。
『もののけ姫』の絵本が出てますよね。あれを読めば全体が見通せるかと思って、読んだら、コピーができたんですよ、一応。でもそれを出したら、鈴木さんも宮崎さんも“全然違う”って(笑)。当たり前ですよ。映画とは話が違うんだもん。

6月18日
糸井さんから、鈴木さんへ

鈴木敏夫様

もっと距離をおいてコピーを書けばよかったのですが、袋小路に入ってしまって、ちがうボタンを押しまくってしまいました。
今回の提出分も、まだ迷い子のままなのかもしれませんが、ご検討ください。
「もののけ姫」の、観客の顔が、いつもより見えなかったのが、柄にもなく悩んでしまった理由のようにも思えます。

やっぱり、ジブリ作品は「次の時代の主役たち(若者)」に観てもらうのだろうと勝手に決めて、そこから逆算してコピーを考えることにしました。AとBが私の考えた結論です。

A.だいじなものは、ありますか。
B.昔々は、今の今。
a.おまえは、まぶしい。
b.死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。
c.死ぬなっ。
d.それでもいい。私と共に生きてくれ。
e.ハッピー?

迷走する巨人(ファン) 糸井重里

この頃から、鈴木さんの返事の記録が確認できなくなっています。

6月25日
糸井さんから、鈴木さんへ

もののけノイローゼです。
どうも、他の仕事は進んでも、
「もののけ姫」になると く、く、苦しくなるのです。
柄にもなく左脳型の思考になっちゃうみたいです。
もののけ、というキャッチーなコトバが、良すぎるのかしら? オウム以後の冒険物語をどう語ればいいのかの混乱状況のせいかしら?
私個人の寿命がつきたのかしら?
「もーののけー!」というようなコピーでも本当は成立するようにも思いつつ、(つまり、わからないことでシンボル性が強くなる)。
三度目の答案用紙を提出します。
だいち、「答案」という考え方自体が、ダメです。

また、ヒントになるようなおたよりをください。

1.悪からでも善からでも、おまえを守る!
2.弓を誰にひく!?
3.あなたは 何を守る!?
4.なぜ、俺は生まれてきた。

糸井重里

7月1日
糸井さんから、鈴木さんへ

すいません。鈴木さんの原稿を読んで、また、もっと混乱してしまいました。
なんか…「映画館に行こう」というお客さんたちの気分と、制作者たちの「思い」との間が距離があるというか……どうしても、なぜかイデオロギー的な感じが情報ソースに混じってきて苦しいのです。
ジブリスタッフや宮崎監督が、いわゆるイデオロギー色の濃いエコロジストでないことはわかっているつもりなのですが、今回はなんだかキツイのです。
何作か、続けて「映画コピー」を書かせていただいてきましたが、「映画館に行こう」という人々に、軽く背中をおすというもので、なんとかなっておりました。
どうも、「もののけ姫」は、そう行かなくなってしまったみたいです。①作品の思想を表現し②集客をうながす、という2つの目的が必須なのはわかるのですが、①の複雑さをズバリ表現しきることは、難しい気がします。

1.生きろ。
2.LIFE IS LIFE!
3.化けものだらけ。
4.神々は、なつかない。
5.森には、おそろしい神々がいる。
6.暴と愛の嵐
7.人間がいなきゃよかったのか
8.わからなくっても、生きろ!

ついに、ここで「生きろ。」が登場しました。

7月2日
鈴木さんから、糸井さんへ

前略糸井重里さま、

生きろ。
ぼくは凄くよいと思いました。
たった3つの文字なのに、そこに込められた時代性。
イケルと思いました。
宮さんにコピーを見せつつ、僕の考えを話すと、「近い!」とひとこと。
(似てますが「ちがう!」ではありません。念のため)
できれば、もうひとひねりといい出しました。
最後のお願い、聞いて戴けるでせうか。
宮崎の断っての願いということで。

鈴木敏夫

7月7日
鈴木さんから、糸井さんへ

前略糸井重里さま、

宮さんにもうひと押ししました。
「不安」を抱える現代人に、必要不可欠な、
生きろ。
このいろあって宮さんもついに納得しました。
というわけで、本当に、
ご、ご力強いコピーだと。
いろ苦労様でした。
「迷道」に誘ったりしてスミマセンでした。
これで前に進めます。
ともあれ、遅くなりましたが御礼のFAXです。

鈴木敏夫

長い長いやりとりを重ね、1995年7月7日、ここでようやくキャッチコピーが「いきろ。」に決定しました。
いろいろな要素が入りまじった、複雑なものを言葉で表現しようとすると、シンプルなものに行き着くことが分かりますね。

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