スタジオジブリ作品の青春モノとして、今や大人気の『耳をすませば』。本作は、柊あおいさんが描いた、同名の少女漫画が原作です。
スタジオジブリで原作ものをアニメーション化するときは、作品をしっかりと読み込んで、入念にミーティングをして決定している、と思われるかもしれませんが、この『耳をすませば』においては、そんなことはありません。
では、どのようにして、この作品がアニメーション化に至ったかというと、宮崎駿監督の思いつきによるものでした。
偶然読んだ『耳をすませば』
版画家をしていた宮崎駿監督のお義父さんは、信州にアトリエをもっていまして、夏休みになると宮崎監督をはじめ鈴木敏夫さんらは、毎年そこで過ごすのが、恒例になっていたといいます。
そのアトリエは、周辺に娯楽施設が何もない場所で、テレビもなければ新聞も雑誌もない。そうすると、一日も長いもので、散歩をする、料理をする、風呂に入るといったことしかありません。
そんな一日に飽きてきたころ、宮崎監督は部屋の片隅に、古い雑誌が置いてあるのを見つけます。
このアトリエは、宮崎監督の親類が、代わる代わる泊りにくる別荘として使われていたため、姪っ子が読んだまま置いていったものでした。それが、少女漫画雑誌の『りぼん』です。
その中に、連載中だった『耳をすませば』の第二話が掲載されていました。それを読むなり、宮崎監督は「この物語の前はどうなっていたんだろう?」と考察を始めます。
「こうだったんじゃないか」「それがこの話に繋がった」「この先どうなるんだ」と宮崎監督と鈴木さんは、想像をめぐらせ楽しんだそうです。
しかし、夏休みが終わって仕事が始まると、日々の忙しさに追われ、『耳をすませば』のことは一旦片隅に追いやられます。
自分の考えたストーリーと違う
そして、すっかり忘れてしまった一年後。再び信州の山小屋に行くと、宮崎監督はまったく同じ『りぼん』を見つけて、「鈴木さん、これ面白いよ!」と再び盛り上がります。
読み進むうちに鈴木さんも思い出し、「これ、去年も読みましたよ」と言うと、「そうだっけ?」とまったく覚えていない宮崎監督。こうして、二度目の考察が始まり、自分たちのアイデアだけでストーリーが出来上がってしまったのです。
二回目ともなると、宮崎監督も何か思うところがあったのか、東京に戻ったときに「これを映画化しよう」と鈴木さんに提案します。
しかし、このときはまだ宮崎監督も鈴木さんも、『耳をすませば』の1話分のエピソードしか読んでいません。
前後のストーリーは、自分たちで考察した状態で、映画化を決めようとしました。
そこで、改めて『耳をすませば』の単行本で全編を読んだところ、自分たちで考えたストーリーと違っていたため、宮崎監督は怒り出します。
自分で考えたストーリーなので、原作と違うのは当たり前なのですが、そこが宮崎監督らしさでしょうか。
しかし、原作と違うとはいえ、ここまでインスピレーションも湧いたのだからやりましょうよ、と鈴木さんが説得をしてアニメーション化の話は進んでいきました。
もし、『耳をすませば』との出会いが、単行本から始まっていたら、ジブリ作品にはなっていなかったかもしれません。
漫画『耳をすませば』 解説エッセイ/鈴木敏夫、対談/近藤喜文&柊あおい、あとがき/柊あおい |