ジブリの話とは、ちょっと離れますが、東京藝術大学で開催された「第2回映像メディア学サミット LOOP-02 -マンガ・アニメの映像メディア学的再考-」の押井守監督の話を聞きに行ってきました。
押井さんの話は、原発の問題から始まり、例によって、身体論から空手の話まで、予定の時間を30分もオーバーするほど絶好調なのでした。



USTREAMのアーカイブが公開されたので、貼り付けておきます。
そのなかで、若者に向けていった押井監督のメッセージが、奇麗ごとがなくて清々しかったです。

――『スカイ・クロラ』について監督が、「初めて若い人に優しい映画を作ったと思う」ということをおっしゃっていた意味を聞かせてください。

押井:
「優しい」っていうのは、励ますとか、慰めるということとは違うんだろう、というのが僕の考え方で。要するに、親身になったということ。自分の中では優しくなったという感情になるんだけども。
とにかく、若い人に親身になれた、気にかけてあげられた。今までは、どうでもいいと思ってたから。
もう中年に差し掛かり、老年に入ろうとする自分にしか興味がなかったから。逆にそうなったときに、若い人に目が向いたということにすぎない。親身になれるような気がした、っていうこと。今はほんとうにそうなのか、ちょっと妖しいんだけど。

その親身になったときに、何が言えるかというと、そうとう残酷なことかもしれない。
で、言わないよりは、言ってあげたほうが良いんだっていう。言わない大人は、むしろ親身にならないから言わないんだ。
ほんとうにその人のことを心配するんであれば、ほんとうに親身になるんであれば、ほんとうのことを言ってあげたほうがいい。

あの時期は、集中的に小学校とか中学校とか、高校から大学といろんなところに呼ばれて行って、けっこう、いろんなこと喋りましたね。
そのときに言ったのが、「早く幻想を捨てなさい」って、「あなたたち、一人ひとりには、なんの個性もない」とか。
そういうことを言って、先生方に嫌がられたんだけども。
言ってみれば、それは日本の戦後民主主義というかね、戦後の教育を真っ向から否定したわけだから。
「一人ひとりの個性を尊重し」って、「一人ひとりが掛け替えのないオリジナリティがあり」って、それは全部ウソであるって。あなたたちは、そのことに振り回されていると、将来を棒に振りますよ。
あなたたちは、限りなく凡庸であり、無名であり、匿名であり、だからこそ未来があるんだ。あるとすれば、だけどね。

■前半(押井さんの話は2時間後くらいから)

■後半

第2回 映像メディア学サミットLOOP-02
「マンガ・アニメの映像メディア学的再考~なぜマンガ・アニメは面白いのか~」

テーマセッション1
「竹宮惠子 ~《少女まんが》の想像力」
竹宮惠子+桂英史

テーマセッション2
「アニメーションと日本の戦後社会~ロボット、サイボーグ、アンドロイド、そして人間」
押井守、キム・ジュニアン+岡本美津子