昔、ガイナックスから『逆襲のシャア 友の会』という本が出版されていたそうです。

その中に、庵野秀明と富野由悠季の対談が収録されているわけですが、その対談を書き起こしたブログを見つけたので、勝手に引用させていただきます。


 
全文は、”シャア専用ブログ@アクシズ“ブログでご覧ください。

こちらでは、庵野秀明による宮崎駿批判の部分を中心に引用させていただきます。
『紅の豚』を公開して間もないころのようです。1992年頃の対談と思われます。

また、この本は”復刊ドットコム”サイトでも、復刊の投票を募集しています。
復刊ドットコム – 逆襲のシャア 友の会
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=24616



逆襲のシャア友の会 富野インタビュー

庵野:
あの、僕、「逆襲のシャア」って凄く好きなんですよ。

富野:
(戸惑い)ああ、ありがとうございます。

庵野:
スタッフとして参加していたんですけど、コンテをある程度見ていたにも関わらず、最初に見たときには全然わからなかったんですよ。その後、富野さんと同じ監督という業種を経験して、ようやくわかったような気がしたんです。いや、馬鹿でしたね。

小黒:
アニメ業界に目をやると、多いんですよ。「逆襲のシャア」が好きだっていう人が。その人達の意見をまとめられないかと思って、この本を作ってます。

富野:
(笑)好きだなァ、とも思うし、お世辞じゃなくて、ありがたいとも思うし………そうですか? 逆に、そこまで好かれているなんて全然聞こえてこなかったし、ひとりで、ヒネていたんですよ。

庵野:
全然、聞こえてこないっていうのも不思議なんですよね。公開当時は、山賀くんと出渕さんと3人で「ファンクラブを作ろう」なんて盛り上がっていたんですけど、それ以外には全然、話を聞きませんでした。アニメ誌にも、ムックとかも、あまり出ないし。
いわゆる世間の声は全然聞かなくって、これがまた、不思議なところなんですが、僕は、大変、大袈裟な云い方をすると、文化的遺産として、「逆襲のシャア」について総括したものを残しておきたいんです(真顔で話す)。

富野:
へぇー。

一同:
(笑)。

富野:
逆にそれほどのものだとは思ってないんですよ。作っている本人としては。
3月程前、アニメージュの対談で押井さんとも話たんだけど、お世辞だと思って聞き流しましたから。

庵野:
いや、押井さんもかなり本気で好きみたいですよ。押井さんはあんまり人を褒めないですから。

富野:
それは知ってる。やっぱり「年上の人にあったらそのくらいのこと言わないとマズイよね」と思ったんじゃないかと。

庵野:
押井さん、そんなに世渡りうまくないです(笑)。

井上:
人間ができてないですから。

小黒:
一緒に他の人の作品について話したらケチョンケチョンですからね。特に「紅の豚」についてとか。

庵野:
いや、「紅の豚」なら僕も。

富野:
「紅」は何が悪いの?

庵野:
僕は、映画としてはイイものもあると思うんですけど。宮崎さん個人を知っているから、そういう目で見れなくて。フィルムの向こうに、宮崎さんが露骨に見えすぎて、ダメなんですよ。つまり、カッコつけて出てるんですよ。

富野:
何が?

庵野:
豚という風に、自分を卑下しておきながらですね、真っ赤な飛行艇に乗ってタバコふかして、若いのと年相応のふたり(女性)が横にいるわけじゃないですか……。

富野:
ハァッハハハハハハハ。わかっちゃったよ、言ってる意味。僕には年齢的には同年代でしょ。僕にはわかっちゃうんだよ(気持ちが)、無条件で。「困ったもんだ」という感じで、怒る気もおこらない(笑)。

庵野:
僕なんかが言うと、凄くおこがましいんですけど。富野さんの作品は(富野さん自身が)全裸で踊っている感じが出ていて、好きなんです(コブシを握っている)!
宮さんの最近の作品は「全裸の振りして、お前、パンツ履いてるじゃないか!」という感じが、もうキライでキライで。「その最後の一枚をお前は脱げよ!」というのがあるんですよ(すでに調子に乗っている)。

富野:
ハッハハハハ!

庵野:
(さらに調子に乗っている)おまけに、立派なパンツを履きやがって!

富野:
そう言われちゃうとね。ミもフタもないんだよね。………言ってる事は、みんなよくわかります。

庵野:
(恐縮して)すいません。

富野:
よくわかると言って、宮崎弁護をするつもりはないけどさ。おおむね、年を取るっていうことは、ああいうことなんだぜって………アッハハハハハハ………いや、失礼(笑)。
僕のことで言えば、いや、きっと、そうなのね。ここまで言葉として聞かされたことないから、初めて聞かされたけど。僕の言ってること、もう、わかると思うけど。「映画って、やっぱり、ああじゃなくっちゃ」ってね。やっぱり、チンチンを振り振り見えてるほうが気持ちイイんだよね。

庵野:
ええ、そうなんです。なんかボカシが入っているようなのは、嫌なんですよ。やっぱフリチンはフリチンのほうが。もしくは、ものすごくいい格好をして………。

富野:
そう、全部ね。

庵野:
ええ。そういうものを演じて見せてくれれば良いんですけど。それが出来ないんでした。「裸のフリしやがって、こいつめ!」っていうことに。

富野:
それから、僕なんかの世代からみた時に宮崎作品に共通することなんですけど。我々の世代のエンタテインメントに関する弱点が見えすぎてるって気がしますね。特に映像に対して。どっかで「映画って高尚だ」と思っているんだろうなって。
僕が、いつも使ってる言葉で、オープンエンタテインメント、つまり、みんなで「ワーっ」と見ちゃう、そういうお楽しみ、活動大写真だったはずなんだけど。それが……やっぱり、宮さんとか高畑さんは頭がイイんだよね。技術あるんだよね。感性も、それほど悪くない。……まぁ、ロリコン趣味以外は。

一同:
(笑)

富野:
それが見えちゃってるのは、すごく辛いなっていうのはあります。映画についてのことで言えば、皆さん好きじゃないかもしれないけれど。「ニュー・シネマパラダイス」っていう映画が、僕、とても好きなの。「ニュー・シネマパラダイス」っていう映画の中で、若い兄ちゃん達が、あの島の兄ちゃん達が、ブリジットバルドーだかなんだかのビキニのちょっと出ている絵を見て「どうもこいつらセンズリかいてるらしい」っていう(シーン)のがあって「映画ってこうなんだよね(笑)」。……っていうあたりの根本的な違いがありそうだな。(宮崎さん達には)「映画を目指している」っていう描き方っていう感じが、ちょっとあるけれどね。
ただ、若い方に言われちゃうと全部こちらに対しての言葉っていう気がしてくるから、宮さんのことだとは、ちょっと思えないんだよね。

一同:
(笑)。

富野:
本当、気を付けているんだもの。

庵野:
(富野さんの作品の)「裸」の感じがすごく好きなんですが。それが客から見て嫌悪感を抱かれるかもしれないんですけど。その辺は、もう(気にしないところまで)いっちゃってるんでしょうか。作り方が。

富野:
そこまで意識するほどは、いってないです。

庵野:
押井さんは「それは確信犯ではないか」と。

富野:
確信犯って言われたいし、そう言われるように振る舞っているでしょうね。ただ、振る舞っているだけで、本当に確信をもって(裸を見せるかどうかの)境界線が見えているかどうかというと、それは見えてないよ。ぼくにはそこまで才能ないもの。その時その時で、良いにつけ、悪いにつけ、全力投球でしかやってない。僕流の言葉で言えば「若くあれ、それから、気合だ」。
その上で、「逆襲のシャア」あたりだと、「オンビジネスで、やってみせる!」っていう意識のほうが先行してるから、作品を作った意識っていうのはないですね。そっちにふれてるから、その確信論はないです。
やっぱりね、「逆襲のシャア」に関して作品論で言われちゃうと困ることがあるのは、仕事上の問題、つまり、取りまとめ意識しかないものだから。本当に、今、おっしゃられたことを考えるスキっていうのが、一度も、一度も、なかったの。
それから、もうひとつ。仕事の取りまとめ論だけじゃなくて、もうひとつ問題があるのは、あの時のアニメーター達の作画の仕方を、ほとんどプッツンしちゃうくらい拒否しちゃったのを、全部使わなくならなかったわけね。だから、そういう風に言われると、もうひたすら恐縮するだけ。

庵野:
でも、あの、それからもうひとつ、「逆襲のシャア」で好きなのは、画を否定しているところなんですよ(これは演出描写が画面に頼っていない、という意味で)。

富野:
そう、そう、そう。否定しているかもしれない。

庵野:
ええ、羨ましいです。

(中略)

庵野:
ところで皆、見慣れているから感じないみたいなんですけど。どうも僕にはアニメに出てくる人間が、「セル」にしか見えないんですよ、すごくうすっぺらい。

富野:
それはわかる。

庵野:
記号的ですよね。「セル」って凄く稚拙な表現手段に見えるんです。その薄っぺらい表現で、僕は初めて富野さんのアニメを見てセックスを連想したんです。ランバ・ラルとハモンなんですけど。あの二人は夫婦じゃないですよね。内縁の妻というのは汚い関係ですよね。
それをなんか、「あっ、この二人は夜は寝ているんだな」という感じを、それをカゲ無しのセルのああいう絵でですね。その表現を感じさせてくれたというのは、これはもう僕はすごい賞賛というか絶賛に値すると思うんです。それは高畑さんのアニメでも、宮崎さんのアニメでも、感じないことなんですよ。セックスを連想させてくれるのは、富野さんのアニメだけなんですよ。「逆シャア」というのは、特にそれを感じてですね。シャアとナナイに(この辺りは力説している)。

富野:
うん……うん。だとしたら、嬉しいな。

庵野:
あと好きなのは「ガンダムⅢ」のララァとシャアが、お茶を飲むだけという、あそこの描写がですね、こ、これはスゴイ(ここもコブシを握って)!

富野:
うん、そう思うっていうのは、それしか無いんだから。それに賭けるっていう部分。

庵野:
あの淡々とした描写で、あの二人の関係が出ちゃってるというのは、スゴイと思います。

富野:
ナナイの話をされたから、思い出したんだけど。北爪くんのキャラクターとか、作画のチェック。それが何故、嫌なのかというと、「ここまでやっているのに、こいつらって! そういう事がまるでわかっていない!」っていうのが、もの凄い不快なんです。
実を言うと、セックスを連想させるっていうのは、人様を連想させることに関する一番大切なキーワードなんですよね。こいつら、セックスというのものを、ひょっとしたらオマ○コを見せてもセックスをわからないかも知れないっていうの(スタッフ達)を相手にしてナナイというキャラクターを出さなくっちゃいけないっていう事で、その事で疲れたっていうのはものすごくあるもの。
特に、男と女がひとつの場所に立つという瞬間。それを無視して、それを感じないで絵を描けるやつ。本当に、嫌い。嫌いだと言う。

庵野:
そうですね。同じ画面に「二人の人」を意図して並ばせている、ということが、何故わからない。

富野:
そうなんだよね。コーヒーカップの芝居でも、それが見えるのに、抱き合ってもそれが見えない絵になってしまうのは。
作劇論として言うと、業務の時に今、言ったほどハッキリした意識でやってるわけじゃないんです。「このフィルムの展開では、そういうことになるだろう」と思って見た時に「戯作者としての僕が構成を間違えちゃっているじゃないのか」という方に行っちゃうんだよね。「逆シャア」の時には、その意識が凄く強くて。どうも、コンストラクションの問題なんじゃないのかという。

庵野:
僕は、それは単純に絵が、ついて来ていないのだろうと思います。

富野:
今、わかるのは明らかに絵の問題なんです。そういう嫌悪感が僕の場合は、尾を引くね。
だから、さっきも言った宮崎さんのフィルムがロリコン趣味の部分が見えてね、って事についてね。「本来、ロリコンなんでしょ、だったらそれ言っちゃいなさいよ」。それを言わないでこうしてるから、いけないんだ。どういうことかっていうと、白いパンツが見える、その瞬間を、この描き手というか、演出家が、ファッションでしか見せていなかったり、知った風なものでしか見せていなかったり。(キャラクターの)肉付きがね、見えるって所まで意識しないで出すんなら、それは止めて欲しい。
それで、パンツの向こうも、もうひとつ脱がしたいんだろうって、それがあるのか、無いのか。やっぱり知った風な、ロリコン漫画風になっているのなら、それこそ教育上良くないから止めて欲しい。アニメなんていくらでも、見せないで済ませられるんだからね。
見せるからには、少女のお股の所に食い込んでいる白いパンツがね、光っているのか光ってないのか。「見えちゃったんだよ」なのか、「見えたから、どうなんだ」という部分なのか?
それはキチンとやって欲しい。例え、セル絵であってもなの。
だから、「その子のパンツを見てしまった」「見えてしまった」「見なくちゃいられなかった」。つまり、どっちかキチッとしてくれないと。そのキャラクターを出した意味が無いというよりも、僕、失礼じゃないかと思うんですよ。うかつにパンツを描いちゃって。失礼じゃないか。

庵野:
そうですね。………耳が痛いです。

一同:
(笑)。

庵野:
全然、押さえられなくて。

富野:
抑えきれないっていうのは、見せちゃえって事でしょう。見ちゃえってことでしょう。

庵野:
いや、アニメーターの暴走も抑えられなくって。

富野:
そして、そうでなければ………それはちょっとヤバイよ。うん、ヤバイよって。だから、そういうものは正にヤバイものとして、アングラとしてキチンとやりなさい。
そこで吐きだしちゃえば、少なくとも表に出ないで済むんだから。そのためにセンズリってあるんだよ。センズリをこっちでかいて、その代わりこっちでやるのはこうなんだって。

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