宮崎駿監督の新作『風立ちぬ』の完成報告会見が行なわれました。
初号試写で初めて自身の作品で涙したという宮崎監督は「本当に情けないと思いました。みっともない監督でした」と自嘲。庵野氏は「宮さん、泣くんだ。初めて見ました。宮さんの涙を見られて幸せでした」といたずらっぽい眼差しを向け、「わかりますよ」と同じクリエイターとしての共感を示していた。
涙の理由について宮崎監督は「長い間の積み重ねあって出来上がった作品なので、涙を流したのかな」。最新作は、『風の谷のナウシカ』(1984年)で巨神兵の原画を担当し、その才能に目をかけていた庵野氏が主演し、『魔女の宅急便』(1989年)で主題歌を担当したユーミンが高校生の頃に作った「ひこうき雲」と謎のシンクロニシティを見せ、空、飛行機、恋、たばこ…監督が大好きなものがたくさん詰まった作品に仕上がった。
松任谷さんの名曲「ひこうき雲」(荒井由実名義)の主題歌での起用も、鈴木プロデューサーから宮崎監督に持ち込まれたもの。この曲に関しても部屋で聴かされた宮崎監督は「不覚にも…年を取ると涙腺が…」と涙してしまったことを告白。松任谷さんは、この曲を作ったのが高校時代であることを明かし、「荒井由美というのは、分身のようでもあり遠い人物のようでもある。40年の時を経てこういう素敵な作品に参加できて…高校生の自分に(40年後の主題歌提供のことを)言ってやりたいですね。荒井由美が亡霊のように現れました」と満足そうに語った。
出来上がった作品を観て「本当に感激しました。我慢しようと思っても嗚咽が止まらなかった。素晴らしい作品にかかわらせていただいて本当にうれしいです」。映画の余韻を増幅させるエンドロールに「ひこうき雲」が流れる。松任谷さんは「この作品は一見、大人向けに見えるけど、私が高校生の時に作った『ひこうき雲』の世界観ともびっくりするくらい重なっていて、中高生にもすごく響くんじゃないかなと思いました。日本人、一人残らず観てほしい。映画館で」とアピールした。
宮崎監督とは35年の付き合いになる鈴木敏夫プロデューサーも「他人の作品ではよく泣いているんです。高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)や『ココリコ坂から』(宮崎吾朗監督、2011年)でも泣いていたな。もともと涙腺はゆるいほうなんだろうけど、それでも自分の作品で涙していたのは初めてだった」と話していた。
同作は、ゼロ戦の設計者・堀越二郎と文学者・堀辰雄、同時代に生きた実在の二人の人物を融合させた青年技師“二郎”の約30年にわたる半生を描いた壮大な物語。美しい風のような飛行機を造りたいと夢見た少年が、やがて東京の大学に進み、大軍需産業のエリート技師となってゼロ戦を作り上げるまでのストーリーを縦糸に、美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れのラブストーリーを横糸に絡めた完全フィクション。
主人公・二郎の声には『エヴァンゲリオン』シリーズなどの庵野監督を抜てき。この意外なキャスティングについて宮崎監督は「誤解を招くかもしれないけど、庵野は傷つきながら生きている。それをそのまま出してきてくれたから、ちゃんと堀越二郎になっていると思いました」と解説。これに対して庵野は、「当たらずとも遠からず。しんどい生き方ですよ。最終的にはそれが作品に出てくるんで、そのままやっていましたよ」と振り返った。
その庵野は、声優として“主演”を務めあげるも「恥ずかしいです。ラブシーンは嫁に見せられない」と大照れ。「自分の声は嫌いだし、役者や声優ではないので、役作りは無理。自分の経験を思い出して、自分はこういう目にあった時にこんな感じだったなと、マイクの前で思い出しながらやっていました。いろいろ経験しておいてよかった」といい、「マイクの前に立つ人の気持ちがよく分かったので、次から(監督として)気をつけたい」と笑いを誘った。
約30年前に『風の谷のナウシカ』の巨神兵の原画を担当した庵野への宮崎監督の信頼は厚く、庵野も「この業界に入ってすぐのころに、いろいろ教えていただいた。宮さんを超える超えないは別にして、アニメとは、映画とは、見本を示してくれた。僕の師匠。こういうことは言ったもの勝ちなので、もう既成事実です」とニッコリ笑っていた。
5年ぶりではなく「5年かかった」と自ら言い正した宮崎監督。その間にリーマン・ショックや東日本大震災など、ちょうど描こうとしていた1920~30年代の日本と重なる出来事があり、宮崎監督は「ファンタジーを簡単に作れない時代がきた。悪戦苦闘しました」と苦悩を明かしつつ、「(モデルとなった堀越二郎の)ご子息と夫人が喜んでくれたのでほっとしました」と笑顔を見せた。
劇中の登場人物たちは、時代の波に翻弄されつつ、長くはない人生を懸命に生きようとする。宮崎監督はこれを「切迫した時代」と表現し、「これからそういう時代が来る。だからこそ作る意味があると思った」と現代と共通するものを感じたと明かす。
実在の人物を描くことも、実際の戦争を題材にすることも初めてのチャレンジだったが、「たとえどんな時代でも力を尽くして生きることが必要」と力強く語っていた。
実在の人物をベースにしたリアリティーあふれる描写は宮崎監督の新境地ともいえるが、庵野さんは「いずれはこういうのをやると思っていたけど、70過ぎてこれかと。本当は『崖の上のポニョ』の前くらいにこういうのがくるかと思っていた。だからむしろ『ポニョ』の方が意外だった。でも『ポニョ』があったから、あれのリバウンドでこうなったのかなとは思いました」と分析。
庵野はお気に入りのシーンとしてラストシーンを挙げたが、実はこのシーン、映像はそのままに「台本のセリフを180度変えた」(庵野)とのこと。「最初は『何じゃこりゃ?』と思ったけど、(セリフを変えて)よくなったと思います。
さらに「72を超えてようやく20歳過ぎの映画が作れた。失礼な言い方かもしれないけど、宮さん大人になったなと。地に足が着いた映画ですよ。今まで少し浮いていましたからね。まあ、今回の映画もところどころ浮いていますけど」と庵野らしい表現で、本作を褒めたたえていた。
松任谷さんも「見たことのない、勇気が出るような不思議な終わり方になっていると思います」と頷いた。