映画『もののけ姫』の企画が始まった当初は、宮崎駿監督が1980年に描いた、テレビスペシャル用のイメージボードを基に考えられていました。
しかし、話を考えたのは昔のことで、そのときの気分は宮崎駿監督の中に残っていません。
息抜きになった『On Your Mark』
『もののけ姫』は、スタジオジブリが世の中に広く浸透するきっかけとなった作品ですが、企画の発端は宮崎監督のスランプから始まっています。
『もののけ姫』を作ることを決めながらも、ストーリーを構成することができず、半年ほど経過したといいます。
ところが、モヤモヤとして企画の進まないところに、CHAGE and ASKAのプロモーションビデオ『On Your Mark』の制作依頼が舞い込みます。このとき、宮崎監督も鈴木敏夫さんもCHAGE and ASKAを知らなかったそうですが、息抜きを兼ねて、これを引き受けました。
この7分程のPVを作る中で、宮崎監督は行き詰った『もののけ姫』の構想を、別角度から見直すことができたと言います。これが切欠となり、宮崎監督はスランプを脱することになります。
『もののけ姫』は、日本版『ギルガメシュ叙事詩』
その後、『毛虫のボロ』の企画を考えたりと、少々寄り道はしたものの、鈴木さんの説得もあり企画は『もののけ姫』一本に絞り込まれます。
宮崎監督は、自分で描いた初期版『もののけ姫』のイメージボードの構想をすべて捨て、アシタカを主人公にした新たなストーリーを作り始めます。
ところが、絵コンテを読んだ鈴木さんは、「ギルガメシュ叙事詩」の日本版と受け取り、悩んだと言います。
自身でも、剽窃の天才という宮崎監督。きっと、いろいろな要素が入り交じり、オリジナルなものという認識だったに違いありません。
もうひとつ、鈴木さんが気になったのは「森の神殺し」ということ。日本は土壌が豊かで、雨も多いことから、いくら木を伐っても、すぐに生え変わります。森を殺すことはできないのではないか。鈴木さんはそう考え、高畑勲さんにも相談しました。すると、高畑さんも同じ意見をもっていたので、宮崎監督に日本が舞台であることをぼやかすことを提案します。こういうときの宮崎監督は、意外とあっさりしているもので、簡単に受け入れるといいます。
絵コンテ作りは連載方式
こうして『もののけ姫』の絵コンテは作られていくわけですが、順調に進むわけもなく、1年経っても半分ほどしか出来上がりません。最初に製作期間を2年と設定したことで、作業が間延びしたようです。
絵コンテを描き、作画作業に移り、また絵コンテに戻る、ということを繰り返して、ますますペースは遅くなります。宮崎監督自身も、描いていて不安になったらしく、鈴木さんに「こんなことで大丈夫だろうか」と相談します。
そこで、鈴木さんは「雑誌の漫画連載と思えばいいじゃないですか」と提言しました。
この言葉に、宮崎監督も膝を打ち、連載の気分で絵コンテを描き進めていきます。
宮崎作品で、制作の終盤まで絵コンテを描き続け、ラストシーンがわからないまま作画作業を続けるスタイルは、この『もののけ姫』で誕生したのです。
こうして、『もののけ姫』の絵コンテは1年半の期間を費やし完成するわけですが、そこにはエボシ御前の片腕がもぎられるシーンや、タタラ場の炎上もなく、非常にあっさりとした終わり方をしたものでした。
この終わり方に、鈴木さんは悩みを抱えてしまうわけですが、これはまた別のお話で……。