ジョン・ラセター 宮崎駿2014年の10月24日に、第27回東京国際映画祭で「ジョン・ラセターが語るクールジャパン」という、スペシャルイベントが開催されました。こちらの模様は、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で放送されたのですが、同時通訳という性質上、聞き取りづらいところもあったので、文字に起しました。



ジョン・ラセターの学生時代

皆さん、こんにちは。
今日は、とても興奮しています。私にとっては、とても特別な講演になります。
今回は、私の大事な友達である鈴木敏夫さんに、「クール・ジャパン」で話してくれないかとお誘いを受けました。そして、「もちろんです」とお答えしました。日本の皆さんを、私は愛しているからです。この講演の準備をしているうちに、改めて日本がいかに、私に大きな影響を与えてくれたのか、実感しました。そして、宮崎駿さんに、いかに影響を受けたか、さらに実感してしまいました。

私が、初めて日本文化と出会ったのは、漫画でした。私は、とにかく漫画が好きでした。そして、今でも大好きです。
ティーンエージャーの女の子に興味を持ったり、車に興味を持つような年齢になっても、まだ私は漫画が大好きでした。そして、数年後になって、気が付いたんですけど、私の大好きな漫画は、ほとんどが日本で制作されたもの。『マッハ Go Go Go』や『鉄腕アトム』でした。英語の吹き替えでしたから、当時は日本のものだと知らなかったんですね。とにかく、クールだと思っていました。そして、私の漫画への愛は、ずっと続きました。

高校1年のときに、読書感想文を書かなければいけなかったんですけど、図書館で『アニメーション』という、ボブ・トーマスが書いた本に出会いました。そのときに、漫画を作る人たちが実際にいるんだ、アニメを作ってお金が貰えるんだと、気が付いたんです。そのとき初めて、これを自分の職業にすると決めました。

私の母は、38年間公立の先生をしていて、私の生まれ育ったカリフォルニアの先生でした。
幸いなことに私の両親は、アニメーションを一生の仕事にしたいという、私の夢をサポートしてくれました。そして、ディズニーで働きたいと思ったわけです。私が高校を卒業したときに、ディズニーのキャラクタープログラムというのが、カリフォルニア・カレッジ・オブ・アーツで教えられていました。ここの先生が、ディズニーの素晴らしいベテランのアニメーターたちで、引退後に大学で教えてくださっていたわけです。そして、実際に彼らから、学ぶことにしました。さらに、私はこの先生だけじゃなく、生徒たちにブラッド・バードもいましたし、同級生たちから、いろんなことを学びました。ティム・バートンもそうですし、クリス・バックもそうです。素晴らしいアニメーションのフィルムメーカーたちが、全員同級生だったんです。

私たちは、同じものにインスパイアされました。それは、何かというと、ウォルト・ディズニーとチャック・ジョンソンの作品です。そして、我々がカル・アーツで学んでいるころに、アメリカのアニメーションで改革が起こりました。それが、『スター・ウォーズ』でした。
公開初日に観に行ったんですけど、たいへん大きな影響を受けました。よく覚えているんですが、6時間待ってようやく席に座ったときに、場内は満員でした。そして、あの映画は、たいへん私を楽しませました。映画が、これほど観客を楽しませたことがあるだろうか? 無かったわけですね。
私も、同じように観客を楽しませたいと、そのときに思いした。そのとき感じたことは、アニメーションが子供だけのものではなくて、大人も楽しむもので、全員のものであると思いました。これは、ウォルト・ディズニーもそうです、チャック・ジョンソンもそうです。彼らは、すべての観客に映画を作っていました。

ディズニーに就職。そして、宮崎駿との出会い。

そして、私はカルアーツを卒業して、ディズニーに就職したわけなんですけれど、当時のハリウッド業界、特にアニメーション業界というのは、子供向けのものとしか考えていなかったんですね。しかし、かつて作られた映画は、決してそうではなかった。ただ、テレビで放送されるようになると、子供向けになります。そして、子供向けの午前中の時間帯にしか、放送されていませんでした。子供のものというイメージが、付いてしまったわけです。とても残念なことでした。

しかし、私はディズニーで、なんと日本のアニメーションを発見しました。1981年に、日本でアニメーションのプロデューサーをしている、藤岡豊さんという方に出会いました。彼のスタジオは「東京ムービー新社」です。彼は、アニメを勉強するために、アメリカのスタジオに来てくださった。そして、何度かいらっしゃって、そのうちの一人に、若き日の宮崎駿さんを連れていらっしゃいました。そして、藤岡豊さんと話していると、私が何をやっているか、とても興味を持ってくださいました。そのときに、宮崎駿さんのデビュー作、『ルパン三世 カリオストロの城』のクリップを見せてくださったんです。
それを見たときに、私はビックリしました。全編見せてくれたわけではないんですが、いろんなシーンを見せてくれました。そのとき初めて、『ルパン三世』を見まして、たいへん大きな影響を受けました。

あらゆる年齢層を楽しませるために作られた、初めての映画だと感じたわけです。これは、決して子供向けの映画ではない。私がこれまで感じていたことを証明してくれた。「ぼくだけではなかったんだ」と感じました。
全員に見せたいという気持ちがあったので、そのフィルムを取り寄せて、見せました。これこそが、私たちのやりたいことだと思いました。これは子供だけじゃない、ティーンエージャー、大人、誰が見ても楽しい。

そして、アニメーションを知っている方なら、制作の仕方がすごく賢いことがわかります。素晴らしいアクション・シークエンスなんですけど、節約してやっているんですね。アニメーションの背景が、パンしているだけであったりするんですが、もの凄く興奮するし、もの凄くよく出来ているんです。非常に、賢い作り方です。とにかく興奮して、何回見たかわかりません。私の魂は、こういうことがやりたいんだ、という想いでいっぱいになりました。

ちょうどこの時期なんですが、私はサンフランシスコの「ルーカス・フィルム」のコンピュータ・ディヴィジョンに移りました。1985年に、サンフランシスコのコンピュータ会議で、「シグラフ」というのがあるのですが、そこで出会ったのが、素晴らしい女性です。ほんとうに、一目惚れでした。そして、私は夕食に誘いました。大勢で一緒に夕食に行ったんですが、私のかっこいいビクトリア調のアパートに行きました。そして、私のオモチャのコレクションをまず見せて、このVHSのカセットで『ルパン三世 カリオストロの城』を見せて、彼女がどう反応するか見たんです。幸いなことに、彼女はその映画が大好きになりました。ですから、私に相応しい女性だとわかりました。宮崎駿さんのアニメーションのお陰です(笑)。宮崎さんが、私に大きな影響を与えたのは、これがまさに証明です。
ほんとうに、語りつくせないぐらいですね。この映画、このシーン、私の人生において、そして仕事において、妻、家庭、すべてに影響を与えてくれたんです。

ピクサーの立ち上げ。宮崎駿と日本から受けた影響。

日本に初めて来たのは、1987年11月です。ちょうど一年半前に、ピクサーを立ち上げていて、短編『レッズ・ドリーム』というのを作りまして、そして「ニコグラフ」というコンピュータグラフィックスの会議でレクチャーをしました。これが、1987年11月です。
『アンドレとウォーリーB.の冒険』と、『ルクソーJr.』、『レッズ・ドリーム』という3つの作品についてのレクチャーでした。
とにかく、日本に初めて来て、いろんなところに行きました。夜のネオン、そしてスケール感、私は東京に恋をしました。なにもかも、見るものすべてに恋をしました。信じられないのは、自動販売機です。何でも買えるんです。ウィスキーも買えます。こんな自動販売機で売っているなんて、信じられません。
それから、食品サンプルです。とにかく、食品サンプルをたくさん買いました。これは、信じられないものでした。そして、もの凄く好きなのが新幹線です。とにかく乗ってみたくて、乗りました。ほんとうに素晴らしいものでした。

『ルクソーJr.』と『レッズ・ドリーム』をピクサーで撮り終えて、次の作品はブリキのオモチャが生きているという、そういう映画を作りたかったんですね。「トミー」のオモチャをいっぱい持っていました。ネジで巻くやつですね。このオモチャの個性は素晴らしいものでした。私は、あまりお金を稼いでいませんでしたから、ヴィンテージのオモチャは買えなかったんですけど、こういうものは1ドルから5ドルくらいの料金だったので、いっぱい買い集めました。もう大好きなオモチャだったんですね。
それで、このオモチャに命が吹き込まれたらどうかと思ったんです。そして、リサーチを始めて、素晴らしい書籍に巡り合いました。北原さんという方が書いた、日本のブリキのオモチャについて、いろいろな文献が出ていました。私はブリキのオモチャに恋をし始めて、これをコンピュータアニメーションにできたら、最高だと思ったんです。たぶん、リアルなブリキに見せることが出来ると。そして、横浜に来たときに、北原さんの持っているミュージアムに行きました。すごくインスパイアされて、動き方、デザイン、展示の仕方、そのディテールが素晴らしいんですね。印刷技術も素晴らしかったし、レトロ・ヴィンテージの雰囲気があって、とても新鮮なんです。私は、もうほんとうに興奮して、コンピュータアニメーションで何ができるか、いろいろ考えました。たぶん、これをCGでやったら、最高だろうと思ったんです。

ですから、北原さんと、彼のミュージアムと、その写真がインスピレーションになって、ピクサーの短編『ティン・トイ』になったんです。
この『ティン・トイ』がベースになって、長編の『トイ・ストーリー』に繋がるわけなんですけど、この『ティン・トイ』はアカデミー賞を受賞しました。
1988年のことです。これは、短編アニメーション賞を受賞したわけなんですが、初めての3Dアニメーションの作品になりました。ですから、もの凄く私にとっては大事な作品ですし、日本で得たインスピレーションのお陰です。

そのときに、私は素晴らしグループと出会いました。「ニコグラフ」の主催者の一人に、私は日本のアニメーションが大好きだと話していて、いちばん好きな作品は何かときかれたので、『ルパン三世 カリオストロの城』と答えました。そしたら、「宮崎さんが好きなんだね」と言われました。「もちろんだ」と。そしたら、スタジオジブリに行ってみないかと、誘われました。私は即答して、「行きたい」と。それで、電車に乗って、スタジオジブリまで行きました。1987年11月11日です。このとき、宮崎さんは、『となりのトトロ』を作っていました。もう30年前のことです。この写真は、私たちふたりの友情の始まりでした。この関係は、私にとって、もの凄く貴重なものです。そして、宮崎さんと、宮崎さんの作品が、私のいちばんのインスピレーションです。

宮崎さんは、スタジオを案内してくれました。そして、忘れられないことなんですけど、この絵を見せてくれたんです。それは、「ネコバス」です。なんと、猫がバスなんです! 猫がバス!? バスが猫!? そして、宮崎さんの独特な笑みがありますよね。あのイタズラっ子そうなスマイル。あの笑みを浮かべていて。「キャットバスですか?」ってきいたら、ニコって笑われたんですね。そして、このネコバスと宮崎駿さんは、まったく同じスマイルだと思いました。ほんとうに、監督というのは、作品そのものだと。心血注いで作ってますから、作品そのものだと言われますけど、まさに宮崎駿さんは、その通りだと思いました。「彼の作品=彼自身」なんです。それは、触発されました。やはり、こういうふうに作品を作らなければいけないと感じました。その日、ぼくに、サインをポスターにしてくれました。これは、ぼくの宝物で、ぼくのオフィスに飾ってあります。1987年11月11日と、日付が書いてありますね。宮崎駿さんに初めて会った日にちが書かれていて、とても嬉しく思います。

そして、そのときの日本の旅で、私はレーザーディスクを買いました。それが、この2作、『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』です。それで、アメリカに持って帰りました。家にはナンシーと、5人の息子がいます。そして、私の5人の息子は、宮崎駿さんの作品を観て育ちました。彼らは、私と同じくらい、この作品を愛してくれています。そして、何度も何度も、観返しました。『カリオストロの城』が、私のいちばん好きな作品なんですけども、『ラピュタ』はそれに勝るとも劣らない作品です。

この時期に、私のいちばん最初の長編アニメーションの製作に入りました。それが、『トイ・ストーリー』です。私が作りたい映画は、ほんとうに観客に感動を与える映画。新しいテクノロジーを使いながら、素晴らしい物語のある映画を作りたいと思いました。

そして、自分自身のオモチャに対する愛情、映画に対する愛情、アニメーションに対する愛情を投影させたいと思いました。
日本への2度目の旅は、『トイ・ストーリー』のプロモーションでした。そして、もちろん、スタジオジブリにも行って、宮崎さんに再び会いました。彼は、コンピュータアニメーションが好きではないことは、何度も聞かされていたんですけど、私の映画をとても愛してくれました。それは、何故かというと、使われているテクノロジーではなくて、彼は作品のスピリット、どういった物語であるかを見てくれた。私の『トイ・ストーリー』という作品を愛してくれたんです。

『トイ・ストーリー』は4年かけて作りました。何人ものスタッフ
を抱えて作ったわけなんですが、何度も何度も、物語を書き直して作りました。そして、宮崎さんに、作品の作り方についてお話を聞いたら、自分でストーリーボードを描くことを教えてくれました。最初から終わりまで、ずっとストーリーボードを描いていると、話してくださったんですね。自分ですべてのストーリーを作るのかと、ぼくは驚きました。とにかく、宮崎さんには、驚かされるばかりなんですね。
もう何度も日本には来ていますが、毎回日本に来るたびに、スタジオジブリに一日掛けて行くようにしています。それで、『カーズ』『カーズ2』と機会があるたびに、かならず行っています。

ラセターさん、ありがとう
ジョン・ラセターと、宮崎駿監督の20年にわたる交友を記録したドキュメンタリー。二人の友情はもちろん、宮崎監督訪米のすべてや『千と千尋の神隠し』のアカデミー賞受賞に至るまでを丹念に描く。

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