もののけ姫今年の3月21日に、ジブリ美術館で宮崎駿監督の短編作品『毛虫のボロ』が公開されました。
この作品って実は、『耳をすませば』に続く次回作として、長編アニメーションとして企画されたものだったんです。しかし、結果的に、『もののけ姫』が作られることになり、社会現象を巻き起こす大ヒット作品が生まれることになるのです。



『毛虫のボロ』から『もののけ姫』へ

なぜ、あのときに『毛虫のボロ』ではなく、『もののけ姫』が作られたのか。そこには、鈴木敏夫プロデューサーによる説得がありました。

毛虫のボロ もののけ姫

『もののけ姫』を作った理由のひとつに、ジブリ作品の流れがあったと言います。『紅の豚』という大人向けの作品はあったものの、これまで『魔女の宅急便』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『耳をすませば』と続いており、活劇らしい活劇をやっていません。穏やかな、癒しのジブリというイメージも出来つつありました。
そこにきて、毛虫の生活に焦点をあてた作品というのは、あまりに地味で、鈴木さんはどうしても乗り気になれなかったそうです。

不良債権問題でムシャクシャしていた

そのことに加えて、当時はバブルが崩壊して世間は不良債権問題で騒いでいた時代。スタジオジブリの母体でもある徳間書店も例外ではなく、鈴木さんが中心になり徳間の不良債権問題に当たっていました。そのため、鬱憤の溜まっていた鈴木さんは、とてもじゃないけど毛虫の話に乗っかることはできず、冒険活劇の『もののけ姫』を提案することになります。

もののけ姫

当時、『もののけ姫』はテレビスペシャル用の企画として、宮崎駿監督が描いたものの実現しなかったイメージボードがありました。鈴木さんは、それの映画化を提案します。
すぐに、それらのイメージボードはまとめられ、絵本という形で出版されました。しかし、宮崎監督の中では迷いがあり、なかなか企画は進みません。『毛虫のボロ』の企画も、なかなか捨てられなかったようです。

鈴木さんは3つの理由で、宮崎駿監督を説得した

そこで、鈴木さんは3つの理由を持ち出して、説得に当たります。

ひとつは、宮崎駿監督の年齢のこと。
当時、宮崎監督は50代後半に差しかかり、還暦も近づいていました。年齢的にみて、本格的な冒険活劇を作れるのは最後かもしれない。

二つめは、ジブリで働くスタッフのこと。
ジブリはアニメーションスタジオとしては珍しく社員化しており、研修制度で育成した若手スタッフが着々と成長していました。力がみなぎり始めているこの時期に、その力を思う存分発揮できる企画にするべきである。

三つめが、予算について。
この時期のスタジオジブリは、現在ほどの爆発的ヒット作は生んでいないものの、アニメーションスタジオとしてはヒットメーカーとして見られていました。そのため、予算がこれまでの倍はとれる。それまで、10億円がジブリ作品だったのが、20億円かけることができる。製作期間も1年だったものを、2年かけることができる。

この3つ理由で、宮崎監督も説得されて、『もののけ姫』の企画が動き出すことになるのです。


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