映画『風立ちぬ』が、あまりにも良かったので、堀辰雄の小説『風立ちぬ』も読んでみました。
もちろん、映画とは別ものなので、登場人物や物語の展開は違います。
小説の主人公は、堀越二郎ではなく、「私」として語られていていますし、航空技師でもありません。
ヒロインも菜穂子ではなく、「節子」となっています。



しかし、この小説が映画の下敷きとなっていて、結核を患っているヒロインと、親身に寄り添う主人公は同じですから、恋愛の部分においては似たような空気感が感じられます。とりわけ、“生きる”ということと、“愛”ということについては、零すことなく汲み取られているように思います。
映画『風立ちぬ』が、一篇の詩のような作品になっているのは、堀辰雄の小説のお陰なのでしょう。

小説を読んで、映画と同様に感じることは、いろいろあるわけですが、なによりも、映画『風立ちぬ』を観て、上手く言葉に変換できなかったことが、この小説では主人公のセリフになっていました。
宮崎駿監督は、精神的なところで、同じものを表現しようとしたのかなと思いました。
きっと、その精神の部分で、堀越二郎とも繋がっていったんだと思います。
すこし、『風立ちぬ』を深めることができました。

別ものの『風立ちぬ』ですが、宮崎駿と堀辰雄は、精神的なところで繋がっています。
映画を観る前でも後でも、一読をオススメします。

風立ちぬ
私と節子は高原のサナトリウムで、死の影におびえながらも愛の生活を営んでいた。残された時間の中に、幸福の姿を見出そうとするように…。作者自身の体験をもとに、静謐な純愛の世界を描き出した作品。

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