東映動画 森康二 政岡憲三

高畑勲監督・宮﨑駿監督はアニメーション界の巨匠ではありますが、当然新人の時代があったわけです。

そんな二人の巨匠が入社したのは、東映動画(現:東映アニメーション)でした。



この東映動画の発足はいつからなのかというと、終戦直後までさかのぼります。
東映動画の前身となる会社は、戦前より漫画映画を製作していた山本善次郎さん、政岡憲三さん、村田安司さんらを中心にして1945年(昭和20年)に創設されました。

東映動画

当初は「新日本動画社」といい、後に「日本漫画映画社」と名称を変更。さらに、1948年(昭和23年)に新会社として「日本動画社」を設立しています。
この日本動画には、後にアニメーションの神様と呼ばれるようになる森康二さんが入社しています。

日本動画で森康二さんは、『トラちゃんと花嫁』『小人と青虫』『子うさぎものがたり』など、数々の作品に動画・原画マンとして携わりました。

森康二

その後、東宝の子会社「東宝図解映画社」を吸収合併し、1952年(昭和27年)に「日本動画社」は「日本動画映画社」と改称し、さらに1956年(昭和31年)には、東映株式会社に買収されることでアニメーション製作会社「東映動画株式会社」となり、東洋のディズニーを目指すようになりました。
発足当時には35名の社員がいたらしく、そのほとんどが旧日動の社員だったといいます。

こねこのらくがき

そして、東映動画の処女作として『こねこのらくがき』が1957年(昭和32年)に作られました。
このとき、東映動画1期生の大塚康生さんが、動画マンとして参加したそうです。
ちなみに、大塚さんは1956年に東映動画に第1期生として入社するわけですが、それまでは麻薬取締官事務所に勤めていました。

白蛇伝

東映動画の発足時は、短編・中編制作の事業計画はあったものの、長編の記載はなかったらしく、香港からの持ち込み企画であった『白蛇伝』を日本初のカラー長編漫画映画として制作をスタートさせることになります。

宮崎駿 高畑勲

まだこの頃は、高畑勲監督も宮﨑駿監督もいません。高畑監督が入社するのは『白蛇伝』公開の翌年、1959年(昭和34年)のこと。宮﨑監督は、それからさらに4年後の1963年(昭和38年)となります。
宮﨑監督は、この『白蛇伝』を高校生のときに観たことでアニメーションに興味を持つようになり、東映動画に入社することになります。