宮崎駿監督の引退に伴い、急きょ『紅の豚』が放映されることになりました。
今回の放映に合わせて、『紅の豚』のいろいろな情報をまとめてみました。
『紅の豚』といえば、元々は短編の予定で作られるはずが、宮崎監督が絵コンテを進めるうちに構想が膨らみ、長編化してしまったことが有名ですね。
『紅の豚』には原作がある
大日本絵画から出版された「月刊モデルグラフィックス」の創刊号から、宮崎駿が連載していた漫画『雑想ノート』の中の14話『飛行艇時代』が原作となっている。
『飛行艇時代』はポルコ・ロッソのシリーズとして14話~16話まで連載された。
後に、『飛行艇時代』は書籍化されている。
当初、豚を主人公にした映画でお客を呼べるとは思えず、30分程度の短編ビデオ作品として企画されていた。
「日本航空」の機内上映作品として作られていた
短編作品として企画された『紅の豚』だったけれど、当初の予算では宮崎作品のクオリティが維持できないことが判明。企画は暗礁に乗りかかる。しかし、鈴木敏夫プロデューサーの発案で、かねてから親交のあった日本航空に企画協力を持ちかけ、機内用映画として企画がスタートする。
短編作品が長編作品に
当初、宮崎監督はこの企画を「おもひでぽろぽろ」で神経質になったスタッフのためのリハビリ映画と位置づけて、気軽に作れる短編映画として企画がスタートしていた。
上映時間は30分で、予算も2億円と決定していた。しかし、絵コンテを進めるうちに宮崎監督の妄想がどんどん膨らみ、長編映画となってしまった。
当初の機内上映を主体とする方針は、劇場用作品として転換された。
日本航空の企画書によると、完成予定は“91年6月”とあるが、実際に完成したのは“92年6月”となった。
スタッフのリハビリどころか、長編作品の長丁場に耐えることになってしまった。
『紅の豚』の企画書
国際線で海外に向かう、あるいは日本に帰ってくる。飛行機での長旅というものは少なからず疲労感と緊張感を伴うものです。そんな時、こんな映画に機内で思いがけず出合えたら、必ずハッピーな気分になれるでしょう。広大な空という舞台は、人間社会から遊離した一種の異世界です。現実のしがらみから見る人の意識を解放します。そしてこの映画を見る人が、実はいま自分も空の上にいるのだと気付いたとき、作品の内部における空想世界を、実感として共有できるのです。そして一見何もないように見える現実の空に、夢を馳せることができるのです。
ポルコ・ロッソの本名
ポルコの本名は、マルコ・パゴット。
空中戦で抜群の腕を発揮するマルコは、空賊たちに恐れられ、畏敬の念も込められて“ポルコ・ロッソ(赤い豚)”と呼ばれている。
「ポルコ・ロッソ」は罵り言葉
イタリア語で「ポルコ・ロッソ」は、卑猥な男、淫乱、赤い豚野郎という罵り言葉となる。
これについての、宮崎監督のインタビュー。
宮崎:
ポルコ・ロッソというイタリア名にしたらイタリアの中産階級以上の人はみんな猛反対しましたよ。ポルコと言うのは罵り言葉で卑猥な男とか、淫乱とかそういう意味があるんです。しかもロッソで、赤い豚野郎となると非常によくない語感だ、ポルノ映画と思われるというんですね。
ポルコの年齢
ポルコは、1893年生まれで、『紅の豚』の時代設定が1930年なので37歳ということになる。
パンフレットによると、時代設定は1920年代末とされているが、当時のインタビューで宮崎監督は“1930年”とコメントしている。
以下、宮崎監督のインタビュー。
――「紅の豚」は1930年代の設定ですね。
宮崎:
本当は1928年頃にしたかったんです。ただ、その時はまだ世界恐慌が始まってませんでしたし、1929年になってもイタリアには恐慌の波が到達していませんでした。ですから、結局は1930年にしました。ただ、時代に関しては多少ごまかしているところもあります。
『紅の豚』の舞台がアドリア海になった理由
舞台設定がアドリア海になった理由は、宮崎監督の好きな飛行機が多かったから。
当時のインタビューで宮崎監督が語っています。
――今までの作品と比べると今回は社会的・政治的な事件への言及が多いようですが?
宮崎:
舞台と時代が限定されてますからね。戦闘飛行艇が、しかも僕が好きな奴が飛んでる時代というと、局限されてきて、それでアドリア海になった訳です。ところがアドリア海が、政治的な紛争の中心になってきたものですから、ただ青い海、白い雲が浮いているアドリア海があるんだってのは、――初めはその気だったんですけど――できなくなったんですね。
宮崎駿『紅の豚』への想い
国際便の疲れきったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。少年少女たちや、おばさまたちにも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」であることを忘れてはならない。
陽気だが、ランチキさわぎではなく、
ダイナミックだが、破壊的ではない。
愛はたっぷりあるが、肉慾はよけいだ。
誇りと自由に満ち、小技のしかけを排してストーリーは単純に、登場人物たちの動機も明快そのものである。
男たちはみんな陽気で快活だし、女たちは魅力にあふれ、人生を楽しんでいる。そして、世界もまた、かぎりなく明るく美しい。そういう映画を作ろうというのである。
飛行艇時代―映画『紅の豚』原作 92年刊の増補改訂版。 |