常々、宮崎駿監督は「アニメーション映画は子どものためのもの」と語っています。
しかし、これまでに大人に向けて作られた作品が、二作だけあります。そう、『紅の豚』と『風立ちぬ』です。
どちらも飛行機が題材となった映画で、宮崎監督の趣味によるところも大きいとは思います。
『風立ちぬ』については、宮崎監督は反対しながらも、鈴木さんの強力なプッシュもあって作ることとなりましたが、『紅の豚』はなぜ作られたのでしょうか。
公開当時の宮崎監督のインタビューには、その理由が語られています。
『紅の豚』は現在の自分への手紙
宮崎:
自分が今まで作ってきた『ナウシカ』や『ラピュタ』や『トトロ』などは、自分への手紙なんです。自分のさえなかった子ども時代や、さえなかった高校時代や、さえなかった幼年時代に対する、ああいうふうにしたかったけれどもできなかった自分自身の全世代にむかっての手紙。それが『トトロ』が終わったときに真四角になって、全部出し終えてしまった。『魔女の宅急便』は、いろいろな事情でやる羽目になって、どこかふかんしながらダメージを被りながら作っていた。そして『おもひでぽろぽろ』も高畑さんとともに、等身大のキャラクターをダメージを負いながらやって、全世代へ手紙を書き終わったときに、これからどうやっていくんだと迷っている中年時代の自分にいくしかないんじゃないのと、『紅の豚』で現在形の手紙を書いてしまった。
最も創造的だったのは『未来少年コナン』から『となりのトトロ』まで
『紅の豚』は90年に企画が動き出し、91年から製作が開始されました。このとき、宮崎駿監督は50歳。既に多くの作品を作り、すべてを出し尽くしていたため、中年期の自分に対して作るしかなったようです。
後のインタビューでも、宮崎監督は、自身が最も創造的だった10年間に、30代後半から40代後半と語っています。その期間に制作していた作品は、『未来少年コナン』から『となりのトトロ』までとなります。『紅の豚』は、もう作るものが終わってしまった後の作品だったといえます。さらに、元々、30分程度の短編として企画されていたこともあって、中年をターゲットとすることに抵抗が無かったのかもしれませんね。
ちなみに
『紅の豚』を作り終えた当時、次に取りかかる作品に対しては、「ずっとやらなければいけないなと思いながら、どうしてもやれる自信がないまま放置していたやつをやるしかない。それは本当にできるかどうかわからないけれど、そういう岐路に立つ」と語っています。このとき、『もののけ姫』の構想を漠然と考えていたのだと思います。
もう、作りたいものをすべて作ってしまった宮崎駿監督ですが、世間的な評価は『もののけ姫』から爆発的に高まっていくことになるのです。
『紅の豚』ロマンアルバム 宮崎駿監督や、主題歌を歌った加藤登紀子氏、主要スタッフのインタビュー、設定資料などを収録。 |