昨年の12月に行われた、ジブリのプロデューサー見習い・川上量生さんと、爆笑問題・太田光さんの対談を文字に起こしました。
この対談は、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』DVD・ブルーレイが発売されることを記念したもので、太田さんは『かぐや姫』の“特命コピーライター”に任命され、「あゝ 無情」というコピーを作成。太田さんが、『かぐや姫』を観て何を感じ、このコピーが生まれたのか話しています。
ジブリはネットの宣伝をしなくてもいい
太田:
意外と人が少ないね。今日は、みんな流行語大賞のほうに行っちゃってんじゃないの。
――是非、ニコニコ生放送をご覧のたくさんの皆さんに向けても、今日はよろしくお願いします。
太田:
ダメよ、ダメダメ。
――お二人は、これまで共演経験っていうのは、あったんですか?
川上:
初めてですね。
太田:
もう、昔からよく知ってますから。あはは。初めまして(笑)。
――初めてお会いして、印象はいかがでしたか?
太田:
いや、もう、ほんと、イケメンでね。付き合いたいなと思いますけどね。一度寝てみたいなと思いましたけどね。
――川上さん、太田さんとお会いになられていかがですか?
太田:
私は、絡みづらいんでね。けっこう、困らしちゃってると思いますけど。
――今、川上さんにお伺いしたいなと思いますけど。川上さんは、太田さんにお会いになられていかがですか?
太田:
やっぱり、そうですねぇ……(笑)。
――川上さん(笑)。
川上:
はい、はい。緊張しますね。
――太田さんのマシンガントークに呑まれないように。
川上:
太田さんに、今日は引っ張っていただこうと思いますので。
太田:
田中とやるより、全然やりやすいですよ。
――川上さんは、2011年にスタジオジブリにプロデューサー見習いとして、入社されたんですよね。これはどんな切欠で?
川上:
たぶん、現実から逃げたかったんだと思うんですけども。鈴木さんとお会いしてね、鈴木さんと一緒にいなきゃいけない、って気になったんですよね。仕事を捨てても。
――何がそうさせたんでしょう?
川上:
それは、ほんと直観なんですよね。衝動で、鈴木さんと話してる最中にそのまんま。たぶん、2回目ぐらいのときだと思うんですけど、2回目にお会いしたときに、「弟子入りさせてください」ということを口走ってしまって。そして、それを鈴木さんに正面から受け止めていただいたんですよね。それで、「じゃあ」ということで。
――実際には、どのようなかかわり方をされてるんですか?
川上:
鈴木さんと話してるだけですね。毎日喋ってるだけで、べつにアニメを作るとか、絵も描けないですし。作品作りに関して、特になにかできるわけでもないので。もっぱら、鈴木さんと話してるだけです。
――どんな話をされることが多いですか?
川上:
いろいろですよ。昔の話をしていただいたりもするし。今の、日本の世の中とかね。社会問題とか、今はどういう時代なのかとか、そういう話が多いですよね。
太田:
映画に関わったりもしてんでしょ? その中身というか。
川上:
いや、ほとんど関わってないですね。
太田:
そうなんだ。ストーリーをこうしていこうとか……。
川上:
一応、「ネットの宣伝は、ぼくが担当しますよ」って言ったんですけど、ぼくがいろいろ考えた結論は、ジブリはネットの宣伝をしなくて良い、っていうのが結論だったんですよね。
太田:
必要がないと。
川上:
する必要がなくて。だから、ぼくの仕事が無くなったんですよ。それを決めたのが、ぼくの仕事なので。
――今日は、『かぐや姫の物語』の宣伝を存分にアピールしていただいて……。
太田:
そうだよね、これネットでやってんでしょ? おれ、初めて出るんだよね。この、なに、シコシコ動画だっけ?
――えーと……、ニコニコ生放送。
太田:
「バカヤロウ」とか、いろいろ流れてくるやつでしょ? 「太田しね」とか、いっぱい流れてるんでしょ?
――いろいろ皆様からの温かいコメントを戴きながらやっていきたいと思いますけども(笑)
良い作品は、言葉にできない感動がある。自然を見た感覚に近い。
――『かぐや姫の物語』の魅力について、お二人にたっぷり語っていただきたいと思いますけど、初めご覧になったとき如何でしたか、太田さん。
太田:
これねぇ、言葉で説明できれば簡単なんだけどね。だけど、言葉にできない感動っていうのは、良い作品っていうのは全部そうじゃないですか。ここはこう良かった、こう良かった、って言えりゃ楽なんだけど、言えたら作品作る必要ないしね。
例えば、川上さんに会って、こういう人だっていうのを上手く、言葉で説明できたら、それはあれだけど。これも一つの感動じゃないですか。
おれは、子ども産んだことないから分からないけど、よく子供が産まれたときに、何も言えないような感動があるみたいなことってあるじゃない。映画解説者なんて、それを無理やり言葉にして言うわけだけど、おれはそういう評論家でもなんでもないし。
だから、悲しいとか、陳腐な言葉になっちゃうけど。嬉しいとか、楽しいとか、そういうような言葉が全部こう……、良かった、楽しかった、感動した、っていう言葉じゃとても表せれない、全部入っているような感じがしてね。胸騒ぎみないなものもあったし。嫌な気持ちにもなったしね。凄いなと思いましたね。
――川上さんは如何ですか?
川上:
ぼくってだいたい映画を観ると、途中で必ず、平均十か所くらい怒るんですよ。おかしいだろうと。これは変だろうと。それが無い映画って、ほとんどないんですけど。『かぐや姫』っていうのは、それがまったくなかったんですよね。すべてが引っかからなくて、作品の中に没頭できたし、時間も長く感じなかったですからね。それが、ぼくはビックリしましたね。
太田:
あれだけ長い映画で、飽きるとこというか、ちょっとダレるとこが無かったね、確かに。
――すっと観たら、最後まで引き込まれる作品でしたね。
太田:
引き込まれるっていうかね、自然の風景見ているような感じだったね。なんか、こう富士山とか……、別におれは富士山をよく見るわけじゃないんだけど、人が作ったわけじゃないもので、なんでこんなに感動するんだろうっていうときあるじゃないですか。音楽でもそうですけど、風の音やら、海の波の音やらね。そういうのって、ストーリーがあるわけでもないし、理屈があるわけでもないけど、ボーっと見ていて時間が過ぎてく。で、何か良かったなって。何が良かったかっていうと、言えないんだけど。そういうものに近い、自然を見たっていうのに近いような感覚はあったかもしれないね。
川上:
ジブリの中で、制作の過程で聞こえてくる噂話っていうのがあって。いちばん最初に、どのくらいの長さになるのか計ってみたら、7時間分のシナリオがあったとかね。とにかく、長いのを縮めるのをどうにかしたい、っていう話をずっと聞いてたんですよ。だから、長すぎる話なのかなと思ったら、中見てみてら、削る部分がほんとにないなって。
太田:
だから、元々の『かぐや姫』の話に、なにか新しいエピソードを足してるわけでもないし。
川上:
そうなんですよね。
友達に、よくきかれるんですよ。『かぐや姫』が良いっていうと、「どんな話?」ってきかれるんですよ。そしたら、「かぐや姫が、月に帰る話」みたいなね(笑)。
太田:
それだけですからね、ほんとに。
川上:
「知ってますよ、あなた」みたいなね(笑)。そういう内容なんですよね。
高畑さんは省略するセンスが図抜けてる
――高畑作品は、もともと太田さんは大好きでらっしゃるとお聞きしましたけど。
太田:
大好きというか、ぼくは宮崎さんが嫌いでね。
川上:
やっぱり、それ言われるんですね(笑)。
太田:
嫌いっていうか、売れすぎてるだろうっていう、ジェラシーですよね。どっちかっていうと、ジブリでいうと高畑派だなっていうのがあって。もちろん高畑さんのほうが先輩で、尚且つジブリをここまでツートップでやってきた人だから、もうちょっと高畑さんの評価も上がって良いんじゃないかなっていう。そういう気持ちもあって、宮崎バッシングをするわけですけど。別に、おれがバッシングしたとこで、どうにもならないから、安心して悪口言えるんだけど。
――高畑作品が、海外でも高い評価を受けているのは、どんな理由があると思いますか?
太田:
おれは海外で評価されることがどうなのかって、正直なとこ分からないんだけど。さっきも言ったように、自然の風景を見て、「良い」って思うのは、当たり前じゃない。だから、日本の富士山を見て、外人が感動するのは当たり前のことであって、それは理屈でどうこう言えることではないと思うんだよね。だから、評価されて当たり前なんじゃない、っていう気はするし。どこに理由があるかっていうのは、考えること自体がナンセンスなような気がするけどね。
――当たり前のことをするって、難しかったりしませんか?
川上:
そうですよね。ぼくも、そういうのは、ジブリに入るまで意識したことなかったんですけど。アニメーションって、派手なアクションシーンが簡単らしいんですよ。空飛んでるシーンとかあったりしても、現実に空飛んでないから、本物か嘘かなんて、そもそも区別ができないわけですよ。空想の世界ですから。ところが、日常芝居と言われてる普通の動作ですよね。歩いたりとか、タバコ吸ったりだとか、そういうみんなが知ってる動作をアニメーションでするのは、実は非常に難しくて。それをずっと挑戦して、結果出しているのが、高畑さんの作品の特徴のひとつですよね。だから、何気ないところが凄いという。
太田:
景色を作ってるようなもんなんじゃないのかな。自然の景色を人工的に作れないじゃない。でも、高畑さんっていうのは、おれたちが見てきた懐かしい景色っていうのを、いわゆる最先端の技術を使って作ってる、っていうことなんじゃないのかな。
不思議なのは、こうやってぼくらが見てる、現実に肉眼で見てるものっていうのは、いちばん美しいはずなんだけど。例えば、テレビがハイビジョンになったり、画面が綺麗になったり、3Dになったりね。
3Dって、あんなバカバカしいことはなくて。普段生活してるのは、みんな3Dじゃんって思うんだけど、ああやって改めてやられると、凄いなと思うのは、いつも不思議なんだけど。でも、ああやって、「あなたたちの見てる風景そのものが、美しいんだよ」ってことを、ああやって転換してくれないと、我々は気づけないんだね、もしかしたら。で、それを高畑さんは教えてくれてるっていうか、そういう面は大きいんじゃないかな。
川上:
『かぐや姫』は、絵がもの凄くシンプルですよね。で、美術って言うらしいんですけど、背景の画ですよね。この背景の画っていうのが、省略して描くのがいちばん難しいらしいんですよ。で、今回は男鹿さんっていう、非常に優れた方が『かぐや姫』の美術をされてるんですけど。とにかく、必要なものしか描かない。必要なものだけで表現する。これが、あまり上手くない人でも、たくさん描き込めば綺麗になるらしいんですよね。だから、3Dが凄いと思うのと同じだと思うんですけど、たくさん出しておけばそのものには見えるんだけども、そうじゃなくて、数を減らしてやるのが難しい。
太田:
それは、ダ・ヴィンチが凄いっていう、あるいはピカソが凄いっていう、そういうのは、写実的なものが人に感動を与えるんじゃなくて、どこを取り出して、どこを省略してってセンスでしょうね、高畑さんの。それが図抜けてるんじゃないですかね。
――見過ごしてしまった、ほんとうは近くにあった素敵なもの素晴らしいものを、改めて気づかせてくれるような作品ですよね。
太田:
うん……、ん? なんて言った?
――あの……『かぐや姫の物語』は、改めてその……いいですか?
太田:
『かぐや姫の物語』って、ぼくはアニメの監督じゃないけど、もしそういう立場でお金も使えて、新しいアニメを作ろうって状況が整って、まあ、そうとう鈴木さんもブーブー言ってたけど、高畑さんには振り回されるって。
それでも、ある意味、自分の自由なことができるっていうときに、題材として「かぐや姫」を選ぶかなっていったら、そんな単純な……、単純って言っちゃ悪いけど、そんなそもそもな話を作っちゃう? っていうのは、思うよね。だって、言ってみれば日本で一番古い物語でしょ。それを今更作るかっていうのは、なかなか勇気いりますよね。
川上:
普通は考えないですよね。
コピーの「あゝ 無情」は、鈴木さんが勝手に決めた
――『かぐや姫の物語』の特命コピーライターということで、太田さんは任命されたわけですけど。
太田:
任命されたっていうか、鈴木さんが勝手にいろいろね……。気が付いたらそういうことになってて。困っちゃいましたけどね。しかも、その鈴木さんが、今日来ないというね。なんか、歯医者行ってるらしいんですけど。どういうことになってんだと。
川上:
今、うなってます。
――太田さんのコピーにこめた想いについて聞いていきたいと思いますが。鈴木プロデューサーとの対談で、コピーを考えられたということで。この対談は、いかがでしたか?
太田:
いや、対談っていうかね、ザックリとしか聞かずに現場に入って、鈴木さんと適当に話せば良いのかなって思ってて。後日、相談してコピーを決めようって話だったんですよ。
川上:
あれは、その場で?
太田:
そうそうそう、その場で鈴木さんから、「どんなのが良い?」って話が始まって、全然おれとしては、その場でコピーを決めるってつもりじゃなかったんだけど。どんどん、どんどん、進めちゃって。だから、おれが言ったんじゃないんだよね、あの「あゝ 無情」っていうの。
川上:
あれ聞いてると、ほとんど鈴木さんが誘導してますよね。
太田:
自分で決めりゃいいじゃねえかって思ったよね。
おれは、とにかく、時間の流れっていうのは、留めておけないっていうのを、『かぐや姫』を観てていちばん感じたのがその部分で。
やっぱり、止めたいっていうかね。このかぐや姫の可愛らしさ、無垢さを手元に置いておきたいっていう。お爺さんとか、お婆さんとか、あそこの世界の人たちの想いが、どうしても。やっぱり、かぐや姫っていうのは月に帰っちゃう、成長しちゃう、変化しちゃう、それを留めておきたい、みたいなことを感じたなぁ、と言ったら、「じゃあ、『あゝ 無情』とかどうかな?」って。おれ、それしか言ってないのに、「あゝ 無情」って勝手に決めちゃってさ。おれ、あんまりだなと思ったんだけど。
川上:
あれは、あの場で決まっちゃったんですか? そのあと、話し合いもなしに。
太田:
なしですよ。何にもなしですよ。おれは、もっといろいろ考えたかったんだけどさ。「全米が泣いた」とかさ。「野々村が泣いた」とか、いろいろ考えたかったのに。
――「あゝ 無情」いま出ておりますけど、そんな経緯で決まって……。
太田:
書けっていうから、書いたんだけどさ。最初、鈴木さんが自分で書いてたんだよ。で、「う~ん」って何度も書いてるのね、あの人。で、ぼくの言う無常は、“情け”じゃなくて、“常”ですよね。常ならぬっていう、諸行無常の無常なんだけど。最初、鈴木さんがそれ書いてて、「でも、情けのほうが良いな」とか言って。結局、あの人が書いたんだよ。
川上:
でもね、鈴木さんのミーティングは、そういうのが多いんですよ。みんなに考えさせておいて、自分が決めるっていう。そういう感じなんですよね。
太田:
だから、まあ、良いんじゃないですか(笑)。鈴木さんが良いなら、おれは文句ないからね。
川上:
逆に、鈴木さんに、なんで「あゝ 無情」が良いと思ったのか聞きたいですよね。
現実で見てきたものを思い出させてくれる
――次のコピーも見ていきたいと思います。では、こちら、「単純な感動じゃない。見終ったとき、ちょっと哀しい。」
太田:
これは、ふたりで話しているときに、今日みたいな感じでいろんなことを言った中から、たぶん別の人が拾ったんじゃないですか。
終わって、会話の中でいろんな言葉が出たんで、それでやっときますよ、みたいな感じだったんじゃなかな。
――なるほど……、じゃあ、次行きますか。
太田:
いや、でも、これ、どうですか? お姉さんどうですか?
――え、あ、私ですか? いや、ほんとうに、あの見終ったあとに、なにかもの悲しさというか、切なさを感じ……。
太田:
だから、上手く言えないんだよね。コピーで一言で上手くは言えないですよ。ただ、ほんとうに複雑な気持ちにはなったし。
川上:
『かぐや姫』って難しいんですよね、そういう意味でね。ストーリーは、かぐや姫だし。説明できるものがないですよね。
太田:
厄介な作品ですよ。
川上:
良い作品なんだけど。
太田:
『風立ちぬ』とかなら、簡単なんだろうけどね。おれ、観てないから、分かんないけど。
『もののけ姫』より、『かぐや姫』ってどうかな? ……それダメか。
――はい、次にいきたいと思います。続いてこちら、「草木の揺れ方、バッタの飛び方、赤ん坊のはいはい、転がり方、おしりのぷにぷに。」
太田:
これはね、凄いなと思ったのは、メインの見せたい部分っていうのは、かぐや姫なんだろうけど、その背景ですよね。それと、これはジブリは普通と違うなと思ったのは、お爺さんが竹を刈り取ってるシーンで、竹を切るんだけど、おれの感覚でいうと、竹がザザザっと倒れてくるのかなと思ったら、浮かんでるんだよね。上が鬱蒼としてるから、倒れないようになってて、浮かぶっていうね。で、上は見えてないんですよ、そのシーンでは。あ、こういうものなんだろうな、って。そうだ、きっとそうだって思える。
そういう表現っていうのが、随所にあって。カエルがピョンって跳ぶのと、バッタがパラパラって飛んでくのと、それって飛び方が違うんだよなぁって。赤ん坊の肌の、プニプニしてるお尻の感じとかも、そうか言われてみりゃそうだよねって。でも、これは我々が現実で見てきてるはずなのに、そこを特に意識しないで見過ごしているっていうかね。でも、どこか頭の中に入ってるわけですよ。それを思い出させてくれる。そういうのって、ストーリーを重視するのとまた別に、そういうところが画面全部にあって。風が流れてるとか、そういうのを見ているうちに、どのシーンも、バックに写ってる景色も何もかもが、見逃せないっていう感じになる。そこが、やっぱり凄いなって。実写ではないだろうなと思いますね。
川上:
さり気ないんですよね。全部がさり気なくて。
それが、草木とか、虫だとか、自然にあるものもさり気ないんですけど、そのなかで赤ちゃんが突然大きくなるとかね。もしくは、最後に天女が降りてくるとか、そういうシーンも含めて、日常のさりげなさのなかに、非日常も凄く調和してるんですよね。あっさりとそういうのが起こって。それが、ぼくはビックリしましたね。こんなにあっさりやるんだっていうのが。無駄が、ほんとうに無いっていう。
かぐや姫は、女に反感を買う女
――それでは、次のコピーに行きたいと思います。「かぐや姫は、やな女。」けっこう衝撃的ですね。
太田:
言ってないと思うよ、おれ。
――そうなんですか?
太田:
女っていうのは、大抵やな女でしょう? だから、特にあえて言う必要もないけど。最後のシーンで、幼馴染だった男の子と再会するじゃないですか。あのときに、実はブサイクなカミさんがいるんだよね。で、ちゃんとした家庭を築いてるんだけど、幼馴染の男の子は。でも、彼女はそれを知ってか知らずか……知らないですかね、あの人が結婚してるってことは。でも、二人で夢のような時間を過ごすでしょう。それが、まさに飛ぶシーンなんだけど。どっち側の男の立場で見るかにもよるけど、男からしたら、女には反感買うだろうな、って女ではあるよね。でも、女は大抵こういうところあるのかな。
――どうなんですかね、川上さん。
川上:
あんなもんじゃないですか? リアルですよね。
太田:
リアルですよね。やな女って言っちゃうと、あれだけど。それで良いんじゃない、ってことでもあるし。良いんじゃないって言うと、カミさんに怒られちゃうんけど……。
――そうですね、これ以上言うと世の女性から反感買いそうなので、続いていってよろしいでしょうか。では次。「このストレートさは、衝撃的。」
太田:
ストレートっていうのは、さっきも言ったように、まったく新たなエピソードを足してないっていうか。「かぐや姫」をアニメにして、二時間半っていうと、おれは相当いろんな横のストーリーを膨らましたんだろうな、っていう頭で観てたら、まったく昔聞いた「かぐや姫」そのまんまで、ほんとうに直球だなと。こんなこと出来るんだ、っていうか。確かに、衝撃的でしたね。
――川上さんは如何でしょう?
川上:
ほんとにそうですよね。全部がそうなんですよね。なんか、奇をてらった部分っていうのが、ないんですよね。まあ、実際はあるんですけど、それがまったく見えないですよね。
太田:
我々なんかも、それこそ漫才や、自分たちでストーリー作ったり、小説書いたり、自分もするんですけど。ストレートだと不安なんですよ。単純な話だとね。なにかこう、飽きるんじゃないかとかね。絵替わりしなきゃとか。こういう業界いると、考えて余計なこと足して、どんどんどんどん足し算でやってくんで。おそらく、ハリウッド映画なんかもそういう傾向あるだろうし。そうじゃないと、今はまず企画が通らないですよ。だけど、これを出来るっていうのは、やっぱり高畑さんの実績もあるだろうし、これはとても真似できないものだと思うし。でも、これが、いちばん良いんだよなぁ、っていうことで。我々みたいな、素人がやると、それは「つまんねえよ」って言われちゃうんだけど。そこに、細かい気配りや技術、映像の動かし方が出来るからこそ、このストレートさが、ど真ん中に直球で投げられるっていう、裏返しなんじゃないですかね。
あまりにも、「世界、世界」って言い過ぎ
――あともうひとつだけコピーを見ていきたいんですけど。「他のアニメーションが行かない方向に高畑さんは進んでいる。」
太田:
まあ、おれもアニメをそんなに知ってるわけじゃないから、そう言えないんだけど。ただ、なんとなく、日本のアニメが世界に誇れるって言われて、もう久しいですけど。どんどん向かってる方向っていうのは、新しい話であるとか。いわゆるSFであるとか。『妖怪ウォッチ』だとか。そういう、もっと大衆受けする売れるもの。コンテンツとして、商品になるものとか。だんだんそうやって、関わる人数が増えれば増えるほど、金儲けになっていくんだろうけど、逆行している気がするね、高畑さんは。まあ、結果的に、それで金が儲かってるんだろうから良いんだろうけどさ。
川上:
儲かってはいないんじゃないですかね。
――川上さんどうでしょう、世界に通じるためにも独自の路線というか、拘るところとか。
川上:
どうなんでしょうね。特にアメリカの商業主義で作られるコンテンツっていうのは、みんなで決めて作ってるんだと思うんですよね。みんなで決めて作って、これが正しいっていう、いろんなマーケティングの法則とかを引き出してきて、それの方程式に沿って作ってるんだと思うんです。日本の場合の特徴っていうのは、個人が好きなものを作ってる部分が作家性になって、それでユニークなものが出来てるんだと思うんですよね。
ところが、日本のなかでも、そういう自由な作家性を発揮できる環境っていうのが、実はそんなに残ってないっていうのが、いまの日本の問題なんじゃないかなって思います。そしたら、日本のなかの理屈っていうのが、世界に通用するかっていうと、なかなかそうはなってないんじゃないかって、ことなんだと思います。
太田:
ただ、「世界に通用する」って話は、よく言うんだけど、世界に通用するって、そんなに凄いことかね? って思っちゃったね、おれは『かぐや姫』を観たときに。日本の昔から伝わる物語が、これだけ良くて、別に世界のやつらが、これを観て感動しなくなって、構わねえじゃねえかって。だって、日本の物語がこれだけ凄くて、おれたちがこれだけ感動してんだから。それはもう、高畑さんが考えることじゃないじゃない。
川上:
それはもう、ほんとその通りですよね。特に、日本でお話されている方っていうのは、絶対にそう思いますよね。そもそも日本語で、日本の文化のなかで通ずるところで、モノを作ってるのに、そんなの海外に理解されてどうするんだって。
太田:
そうそう。ほんとにそうだと思う。
川上:
言葉なしでやるのか、って
ことになっちゃいますよね。
――世界を気にせず、自分たちのものを作っていけば良いと?
太田:
周りは気にするんだろうけどね。売りたいだろうし。ディズニーとか、『アナと雪の女王』みたいなのが理想的なんでしょうけど、商売としてはね。
でも、高畑さん自身が、それを意識する必要はないと思うし。そういう意味では、鈴木プロデューサーが、そういう状況を高畑さんに与えてるっていうことが、素晴らしいことだと思うしね。あまりにも今、「世界に、世界に」っていうのを言い過ぎ。特にここのところ、外国で賞を取りましたっていうのを売りにするけど、
「それがなに?」っていうのが、おれにはあって。
ぼくは落語が好きなんですけど、落語なんかは日本語わからないやつは、誰も分かんないよ。立川談志の落語の凄さなんて、外人にわかってたまるかって思うけど、わからせたいとも思わないし。「世界、世界」ってあまりにも言い過ぎじゃない?
川上:
日本でハリウッド映画みたいなのを作って、それが世界に通用するのかって言ったら、たぶん通用しないし。実際、そこで日本のものが海外で通用するっていうのは、ユニークなものですよね。言い方を悪くすると、「キワモノ」ですよね。そのキワモノが世界で受けるかっていうのは、ある程度、偶然性によって決まるものだから、狙ってどうこうできるものではないって気がしますよね。
太田:
黒澤明も、世界を意識したとは思えないんだよね。
川上:
世界のなかで、日本の文化がユニーク性を持っているかどうかって話ですよね。それはある意味、知ったこっちゃないっていう(笑)。
――この『かぐや姫の物語』はアカデミー賞ノミネート資格のある作品として、結果として世界でも認められる作品になっているわけですね。
太田:
それは、もちろん良いことだと思う。ただ、売り文句として、アカデミー賞にノミネートされてますっていうことを、『かぐや姫の物語』の一番のセールスポイントにするのは、あまりにも高畑勲に失礼だって、おれは思うけどね。
川上:
結果としてそうなるかもしれないけれど。
太田:
結果としてそうなったのは、別に構わないけどね。だって、日本人の普通の客が観て感動してんだから、それで充分じゃないですか。
川上:
そうですよね。日本人がいちばん解るんだから、まず日本人がどう評価したかっていうのを、日本人はそれを見れば良いって感じですよね。
『かぐや姫の物語』は100年先も残っていく。きっと宝物になる
――日本の皆さんに、たくさん見てほしいですよね。改めて皆さんにメッセージをお願いしたいんですが、特命コピーライター太田さん。
太田:
ブルーレイの発売なんだっけ、これ。長いし、わくわくしてジェットコースタームービーのように楽しめる映画ってことでは決してないと思うんだけど。おれも一回観たら、しばらく観返そうとは思わないんだけども。ただ、日本最古の「竹取物語」っていうのを、高畑勲って人が今の時代に、形を変えないまんま映像として残したものっていうのは、これから100年先もきっと残るだろうし。だから、手元に置いておくことは、きっと宝物になるんじゃないかなっていう。別に、買ってすぐに観なくてもね。いずれ、パッと思い出したときに観たくなるだろうし。観たら観たで、新たなことを感じるだろうしね。買っといて、損はないと思いますね。
川上:
ぼくはジブリに行って、最初に驚いたのが、高畑監督の存在の大きさなんですね。ジブリのなかでは、高畑さんの話題が出ないときがなくて。宮崎さんも、ずっと高畑さんの話をされていて。おそらくは、高畑さんに、まだ勝ったとは思っていない。ずっと、越えられない壁と思って、尊敬してる存在が高畑勲監督です。その高畑監督の、おそらく最後の、そして、あるレベルにおいては最高傑作が、『かぐや姫の物語』ですので、皆さんこの機会に是非ご覧ください。よろしくお願いします。
――ということで、ニコニコ生放送でもお届けしてまいりましたが、ふたりとも今回の公開生対談はいかがでしたか?
太田:
非常に充実した対談だったと思います。また是非ね、シコシコ動画に呼んでもらいたいです。
川上:
呼びますよ、じゃあ。シコシコ動画ということで(笑)。
――川上さんいかがでしたか、太田さんとお話されて。
川上:
いやもう、ほんとにね、あの、……そうですね。ちょっと、はい、……はい。面白かったです(笑)。
太田:
アッハッハッ。
――またお二人の対談をどこかで。
太田:
そうですね(笑)。
『高畑勲監督作品集』
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