太陽の王子ホルスの大冒険 ヒルダ

宮﨑駿監督が敬愛する先輩アニメーターの森康二さん。森さんといえば、アニメーション黎明期から活躍するアニメーターで、数々の作品に参加して、様々なキャラクターデザインを手掛けてきましたが、中でも有名なのは『太陽の王子 ホルスの大冒険』のヒルダじゃないでしょうか。



本作は、高畑勲監督の長編アニメーションデビュー作で、制作が難航したことも有名なエピソードです。
制作開始から半年ほどたったころに、スケジュールがあまりに遅れていることから、会社側から一旦中断させられています。

そして再開されるときに、森さんが制作に加わることになります。しかし、それまでにヒルダのキャラクターはまだ決まっていませんでした。

森さんは、大田朱美さんから「こんな感じでいきたい」とヒルダの絵を見せてもらい、森さんなりのヒルダを描いていくことになります。

しかし、高畑監督はなかなかOKを出さず、粘り強くキャラクターのイメージを作りあげていきます。

あまりにもOKが出ないもので、森さんも嫌になって適当に描いて見せに行くと、「敵意をもって描いてますね」と返されたこともあるそうです。

重厚で繊細な演技を達成した――大塚康生

この当時の出来事を、本作で作画監督を務めた大塚康生さんは、このようにふり返っています。

大塚:
ヒルダこそ森さんのアニメーターとしての表現力のルネッサンスではなかったろうか。

(中略)

ヒルダの内面を分裂して表現していたチロとトトの、可愛らしさと意地悪さも、森さんの表現力の独壇場のうえに花開いている。
森さんのいたずらな小動物が、チロとトトの生命を得たといっても言いすぎではないであろう。

(中略)

しかし、それは森さん自身にとっても相当な苦痛であったことは疑いない。演出の高畑さんの厳しい要求に、
「そんなに言うなら自分で描いてよ」
と突き放されたこともあったほどである。
にもかかわらず『太陽の王子』では森さん本来の清らかなリリシズムと、人に対する厳しさと優しさが本物のドラマの中にしっかりと組み込まれていた。

初めてホルスと出会った廃村のヒルダ、琴を弾くヒルダ、雪狼に打たれよろめくヒルダ……そのどの彼女も、それまでの、いやそれ以降も日本のアニメーション映画の中のヒロインが見せてくれたことのない重厚で繊細な演技を達成しているのだ。

これまでの森さんの持ち味は、可愛らしい小動物などを描き、童話的なちいさい世界を作ってきたのに対して、ヒルダという意思を持ったヒロインを描くことは、そうとうな苦労だったと思います。
しかし、これまでに培った森さんのアニメーターとしての技術があったからこそ、誰も真似できないようなヒルダを作りあげることができたのです。森さんのその力を引き出したのも、高畑監督の粘り強さによるものでした。

なんという圧倒的な表現――宮﨑駿

宮﨑駿さんは、「スタジオジブリ物語」というドキュメンタリー番組の中で、森さんの仕事をこう話しています。

宮﨑:
僕らが想像もしてなかったものを高畑勲はやろうとしていて、それに応えたのは森康二さんしかいなかったんですね。ヒルダがフレップという子供と熊を自分の首飾りを与えて逃して見送る姿を見た時は、凍りつきましたからね。こんな映画を作っていたんだと。初めて観たって感じでね。ショックでした。

そして、「高畑勲 お別れの会」の挨拶でも、『ホルス』のエピソードが語られています。

宮﨑:
初号で僕は初めて、迷いの森のヒロイン、ヒルダのシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。なんという圧倒的な表現だったろう。なんという強い絵。なんという優しさだったろう……。これをパクさんは表現したかったのだと初めてわかった。

パクさんは仕事を成し遂げていた。森康二さんも、かつてない仕事を成し遂げていた。大塚さんと僕はそれを支えたのだった。

お別れの挨拶においても『ホルス』の話が語られるほど、大きな作品であり、森康二さん高畑勲さんが成したことが大きかったことが伝わってきます。

森さんのヒルダだけ本当のヒルダだった――高畑勲

高畑勲監督も、森康二さんが描いたヒルダには感服しています。
森さんの著書『もぐらの歌』の解説で、このように述懐しています。

高畑:
吹雪のシーンの森さんの作画について、ぼくは別のところに書いたのでもう繰り返す事はしないが、そのパトスの表現はまさに鬼気迫るものがあったと自分の作品であっても恥ずかし気もなく断言したい。森さんの描くヒルダは他の誰のともちがっていた。森さんのヒルダだけが本当のヒルダだった。前にも書いたが、首つきからしてちがっていた。森さんからのおそろしいばかりのエネルギーを全身にみなぎらせていた。
もしヒルダをすべて森さんに描いてもらっていたら、という思いを抱いたとしても、ヒルダを描くことに苦労してくれた奥山さん小田部さん宮﨑さんも作画監督の大塚さんもきっとぼくを許してくれると思う。ぼくはこういうコワイような力が森さんのなかから湧き出してくるところにぜひもう一度合わせてもらいたいと心から願っている。

絵描きじゃない監督の方がいい――森康二

苦労の末、日本のアニメーション史に残るヒロイン・ヒルダを作りあげた森康二さん。
どのような思いを抱き描いていたのでしょうか。最後に、森さんの言葉を引用しておきます。

森康二:
ヒルダの表情を描く時、どこを見ているのか、遠くを見ている目と近くを見ている目は違うはずだ、と思って、考えて描いたことは確かです。自分の思うように描けなかった時は辛かったけれど、好き嫌いっていうより、ああいうのを描きたいですね、また。今はないですもんね、ああいう“芝居”をやれるような作品って。

(中略)

それにしても、CD、監督さんは、宮﨑さんみたいな人よりは、絵を描かない人の方がいいですネ。なんぼ注文が多くても、高畑さんなんかいいですよ。オールマイティみたいな監督さんだと、何を描いても違うって言われちゃうもの。僕も高畑さんに言っちゃったけど、描かない人なら、腹立ったら「じゃあお前描いてみろ」って言えますもんね(笑)。

紆余曲折、ぶつかることはありながらも、森さんと高畑監督の関係が悪くなることはなかったようです。
むしろ、絵描きの監督の方がやりづらいという発言もあって、これは宮﨑さん落ち込んじゃいますよ(笑)。