高畑勲さんは、柳川市の掘割再生運動に焦点を当てた実写ドキュメンタリー映画『柳川堀割物語』の監督・脚本も務めていり、永眠の知らせに柳川市の掘割の存在を広く伝えた功労者を惜しむ声が、地元で相次いでいます。
高畑さんは2002年に10人選ばれた最初の柳川観光大使の一人でした。
映画の中心人物だった当時の市環境水路課係長、故広松伝さんの部下だった税務課課長補佐、堤富大さんは突然の訃報に「言葉が出なかった」といいます。5日昼ごろ、近況報告などもあって東京都内の高畑さんの自宅に電話したところ、家族から「他界しました」と知らされました。
高畑さんとの出会いは、入庁2年目の19歳のとき。ウナギを一緒に食べた席で高畑さんから「掘割をきれいにした映画を作りたい」と切り出され、掘割が当たり前だった堤さんにはピンとこなかったそうです。その後、1年半かけて広松さんや堤さんらが掘割を維持管理、水門を開ける様子などが撮影されました。父親ほど年齢が離れているのに「年の差を感じさせず子供のようにキラキラしていた。穏やかで怒ったところを見たことがない。監督の『人間も自然の一部だとアピールしていきたいね』と言っていた言葉が忘れられない。人間は傲慢にならないようにと言いたかったのでしょう。受け継いでいかないといけないのかな」とふり返ります。
堤さんは、高畑さんとの出会いとなった『柳川堀割物語』について、「いつか上映会でも催せたらいいなと思っています」と語りました。