中央日報のサイトで、宮崎吾朗監督のインタビューが公開されました。一部を引用します。
『借りぐらしのアリエッティ』を誘われていたというのは、ちょっと意外でした。

詳細は、中央日報サイトでご覧ください。

宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が私の作品に涙」(1)
http://japanese.joins.com/article/149/144149.html


「思春期は父と比較されることを本当に嫌った。何をしても‘宮崎駿の息子’という声を聞いた。大学もわざと地方に行った。そこではみんな知らないと思っていた。ところが合格者発表の日、受付の窓口で『お父さんが宮崎駿さんと聞きましたが』と言われた。今は運命だと思っている」

吾朗氏は公園を造成・開発する建設コンサルタントだった。スタジオジブリと縁を結んだのは98年、東京・三鷹にあるジブリ美術館の総合デザインを引き受けながらだ。01年から4年間、館長を務めた彼は、父の長い間のパートナーであるプロデューサー鈴木敏夫氏の勧誘で「ゲド戦記」を制作することになった。

「評価が良くなくて、『もう人々の目に触れることはやめよう』と決心した。父から『借りぐらしのアリエッティ』(2010)を一緒にしようと言われたが、実際、意欲がわかなかった」

70歳の巨匠は「コクリコ坂から」の試写会でついに涙を流した。海と俊の親が若い頃の記念写真を撮る場面でだ。

「63年は、父が大学卒業後に東映動画に入社した年。個人的な思い出があったのかもしれない。60年代は日本が高度経済成長をしていた時代で、今のように拝金主義が蔓延していなかったし、まだ純粋さが残っていた。今の子どもの世代があるのも親の世代のおかげということを言いたかった。過去を捨てて生きられないのが人間だから。宮崎駿という父を持った私も同じ」

吾朗氏は「父の業績と存在感はあまりにも大きい。だから私にとって‘宮崎駿の後継者’という呼称はとんでもない」と話した。

宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が私の作品に涙」(1)
http://japanese.joins.com/article/149/144149.html

宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が私の作品に涙」(2)
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=144150