宮崎駿さんと高畑勲さんが演出論を書いた、『講座アニメーション3 イメージの設計』という書籍をご存知でしょうか。
1986年に出版され、現在では絶版になっています。これまでも両監督の書籍のなかで演出について語っていることはありましたが、こちらの書籍ではより具体的に、アニメーションの設計技法が語られています。
複数の演出家により執筆されており、アニメーションの演出を志す人にとっては、現在でも参考になる内容だと思います。
執筆陣は、以下の8名です。このなかでは、宮崎駿監督は若い演出家になってしまいますね。
講座アニメーション 3巻 執筆者
第一章 イメージの設計
池田宏 「イメージの設計」
第二章 設計の技法
大竹徹 「シナリオ構成法」
宮崎駿 「私にとってのシナリオ」
池田博 「演出基礎技法」
黒田昌郎 「絵コンテ構成法」
高畑勲 「若いアニメ演出家へのノート」
月岡貞夫 「音響による構成」
第三章 設計の実際
池田宏 「東映動画『どうぶつ宝島』」
発想と展開
高橋克雄 「人形アニメーション」その心の技……
この本が発売されたのは、1986年の1月なので、まだ宮崎駿監督が『天空の城ラピュタ』を発表する前です。宮崎監督の演出論では、ジブリ設立前の作品、『パンダコパンダ』『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』の4作を例に、映画の設計技法を論じています。その一部をご紹介します。
宮崎駿「私にとってのシナリオ」
アニメーションの種々なジャンルの中で、私が知る範囲は、私自身が従事した幾つかのテレビシリーズと劇場用作品に限られている。私は一度も正統なシナリオの勉強をした経験を持たず、意欲的に他作品のシナリオを読んだこともない。ひどい時は、自分の関わる作品のシナリオでも、さっと通読するだけで、あとは勘と気分まかせに仕事をしてきたのである。
このような私が、シナリオを論ずるとなれば、独断と偏見と経験主義に依拠して、自分に合わせて掘った穴を見ていただくしかない。今さら不適任者と指摘されても、もうあとの祭である。(略)
作業現場で他人の仕事を批判する際には必ず必要なことは、対案とその方がよりすぐれていることを納得させるだけの説得力を持つことである。作業現場は、評論家を必要としない。自分が説得力を持たない時は、発信力を付けるまで歯を食いしばって、そのシナリオで作業をするしかないが、これはつらいことである。
(略)
職務の領域は、集まった人間同士の力関係で決まる。そのスタッフがたとえ美術デザイナーでも、力があれば演出や作画の領域にまで、自ずと発信力を持ち始めるし、監督でも力がなければ、アニメーターの力に振り回されていくのが、この世界では自然なことなのである。
(略)
私が従事した作品でのシナリオの実態について、参考までに記そうと思う。
『パンダコパンダ』(劇場短編、東京ムービー・Aプロ作品、1972年)
パンダの主演する作品を、何でもよいから企画しろとのことで、高畑勲氏と一晩か二晩で作成した。制作決定はずーっと遅れ、“中国よりパンダ来る”の報とともに、急拠本決まりとなった。
簡単な構想、どのような作品にしたいかを話して、某ライターに発注、初稿が上がるまでのあいだに、構想を具体化したストーリー・ボードふうにイメージ・ボードを描いた。(略)
『未来少年コナン』(テレビシリーズ、日本アニメーション、1978年)
原作の大幅な改訂を前提に、演出を担当したので、物語の荒組みを私が行ない、可能な限りの細部にいたるプロットを書き、ライターと打ち合わせた。その時点で最良と考えたプロットが、シナリオとして客観化されて、初めて弱点だらけと気付く連続で、シナリオが自分の構想そのものであっても、絵コンテ作業に入れない状態に直面した。
高畑勲「若いアニメ演出家へのノート」
アニメーションの歴史が、映画より古いことはよく知られている。しかし、映画の発明以来、アニメーションはフィルムとして作られ、フィルムのメカニズムに従属し、映画の一ジャンルとなった。これは当然である。フィルムのメカニズムはそれ自体、アニメーションの原理によって成り立っているからである。したがって正しくいえば、実写の映画がアニメーションの一ジャンルなのである。
(略)
私は、“花咲爺”を実写で撮影することを夢見る。冬から春にかけて桜の木木をコマ撮りして、枯木にたちまち満開の桜を咲き誇らせてみたい。ダムによって水没した村を、水の中から忽然と甦らせ、祭り太鼓を鳴り響かせてみたい。森林の壮大な遷移を、その荒廃を、その逞しい回復を一瞬のうちに凝縮してみたい。そして、森林の深遠雄大な尊い変貌にあらためて人々とともに驚嘆してみたい。何世代にもわたる定点観測のコマ撮りが、私の夢である。
(略)
ある素材に取り組むにあたり、その素材をアニメーション化する必然性を感じなければ作ることはむずかしい。特に実写でやるのにふさわしくみえる素材の場合、ただ実写と比較して“アニメ”の表現力の弱さを嘆くだけで、そこをあきらめてしまったなら、あとは“電気紙芝居”の道しか残されていない。少なくとも、その素材の中に潜在するアニメーション的なるものを、何としてでも掴み出し、それにアニメーションとしての新たな表現を与えるという努力が必要だろう。言い変えれば、表現に対する自分のテーマをはっきり持つということである。
ここでいう“アニメーション的なもの”が、キャラクターを漫画っぽくするとか、動物をからませるとかで得られるとは思わない。それが提出しようとする人物像や世界像と深く関わっていなければ、やはり前途多難である。
この『講座アニメーション』シリーズは、本来なら全6巻の構成で出版される予定だったそうです。ところが、4巻が出たところで出版が止まってしまいました。それは、なぜなのか?
本書の編集を務めた池田宏氏による“あとがき”には、このように書いてあります。
あとがき
執筆者の一人が、締切り日から延々と遅れた末に放棄、というトラブルが生じ、出版予定が大幅に遅れてしまったことは誠に残念であり、ご執筆いただいた方々には、本巻編集担当責任者として誠に申し訳ないと存じております。
(略)
こうした状態に奮闘してくださったのが、美術出版社の編集担当者である菅沼氏です。“気むずかしい執筆者”諸氏との調整役、そして、本巻の構成・デザイン……と、本業がデザイナーの菅沼氏ならではの活躍があったからこそ、無事にこの巻も出版までこぎつけることができたのです。心から感謝いたしておる次第です。
本書を出版するまでにも、そうとう苦労をしていることがうかがえます。
4巻以降は、編集しきれずに、刊行が途絶えたのかもしれませんね……。
講座アニメーション 3 イメージの設計 宮崎駿・高畑勲が語る演出論。 宮崎駿の「私にとってのシナリオ」と、高畑勲の「若いアニメ演出家へのノート」を収録。 『パンダコパンダ』『未来少年コナン』『ルパン三世カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』を例に、宮崎駿自ら作品の設計技法を論じる貴重な内容。 |