8月18日に代官山の蔦屋書店で開催された、鈴木敏夫プロデューサーのトークイベントに行ってきました。
鈴木敏夫 特別編集長による「AERA」の発売を記念して行われたイベントです。テーマは「鈴木書店 鈴木敏夫を作った100冊」という、「AERA」の企画と連動したもの。話の内容は、これまでに鈴木さんが読んだ本をテーマに展開されました。
代官山・蔦屋書店「鈴木書店」は8月28日まで開催されています。
入場チケットの購入の際に、チラシ4種とポストカード3種に、「熱風」8月号をいただきました。、
今回のトークイベントは、「ジブリ汗まみれ」で放送されるようですが、放送日はまだ未定とのこと。
例によって、印象に残った鈴木さんの話を、簡単に書いていきます。
「AERA」特別編集長について
- 特別編集長は、自分の本棚を紹介するということで、本棚のデータベースが出来ると言われ、軽い気持ちで引き受けた。しかし、あまりに大変で反省しきり。
- 要望は、100冊紹介するということだったが、335冊になってしまい、6ページも使うことになった。あまりに多いので、100冊減らして4ページにした。
- ほんとうは、上野千鶴子さんの対談をもっと載せるべきだと編集長に強く言いたい。
(鈴木さんの目の前に編集長がいました)
AERA (アエラ) 2014年 8/11号 ジブリがアエラにやってきた! 丸ごと1冊、鈴木敏夫・特別編集長! 宮崎駿「引退後の初仕事」引退発表から約1年。子どもたちへの思いを凝縮した「クルミわり人形とネズミの王さま展」一挙公開 |
好きな本について
- 斎藤龍鳳って人は、面白おかしく書いて、その中に真実がある。そういうものを書く人が好き。
- 斎藤龍鳳は、風俗レポに映画評論など、いろいろ書いていた。彼が書いた本を何回も読み返した。
- 慶応大学時代は社会学を選んだ。試験に出るということで、3冊の本を読まされた。ところが、これが面白かった。
- デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』、 ダニエル・J.ブーアスティン『幻影の時代』。この3冊の本は、何回も読み返した。
この3冊に共通するのは、大衆消費社会について書いてあること。 - ぼくの生きた時代は、大量消費時代。これからは、時代が変わるので、この3冊は役立たずになる。
- 中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』は、ほんとうに面白い。網野善彦のことがよく分かる。
- 網野さんは面白い。南北朝時代に、あらゆる価値観が変わったと提言した。なぜ変わったのか、大胆な推論をしている。彼が目を付けたのは、後醍醐天皇だった。それが『異形の王権』に載っていた。
- 後醍醐天皇をテーマに映画を作りたかったが、宮さんが乗らなかった。
孤独な群衆 デイヴィッド・リースマン |
自由からの逃走 新版 エーリッヒ・フロム |
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幻影(イメジ)の時代 ダニエル・J.ブーアスティン |
僕の叔父さん 網野善彦 中沢新一 |
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異形の王権 網野善彦 |
なにが粋かよ 斎藤龍鳳 |
『思い出のマーニー』について
- 原作が寒い場所なので、舞台は北海道しかないと思った。
- 映画化の難しい作品なのは分かっていたが、麻呂ならなんとかするだろうと思った。
- 『マーニー』をやることに宮さんは反対だった。反対の理由は、心理描写が多いから。
- 今、お客さんが何を見たいのか、お客さんに聞いても分からない。お客さんは、これまでに見たものを参考に意見する。それを先回りするのが、ぼくの仕事。
- これからの時代は、男女の話ではない。女同士の話だと思う。宮さんも、「それは分かる」と納得した。
- キャッチコピーの「あなたのことが大すき」という言葉は、女の子同士のものではない。老若男女、誰でも人から言ってもらいたい言葉で、自分からも誰かに言いたい言葉。
- ジブリにいる、イッヒーという女の子と喋っていると、何か言葉が出てくる。
- 『借りぐらしのアリエッティ』のキャッチコピーも、イッヒーが切欠で決まった。
出版社時代について
- ぼくが就職したころ、出版社は、まともな人が行く就職先ではなかった。
- 普通の会社で働くには、問題のある人が行く会社だった。
- 新聞・テレビ・雑誌は、元の商売は瓦版。
- 瓦版は、あることないこと書いて、面白ければ良いというもの。
あることないこと書いて売るという名残が、ぼくらが就職するときまで残っていた。 - 徳間書店に就職したことを母親に伝えたら、「外に出るな」と言われた。
出版社も新聞記者も、世間の嫌われ者だった。 - 入社して4日目に、舟木一夫の自殺の取材に行かされて、記事を書かされた。
週刊誌を読んだこともないので、ほんとうに困った。
分析するために週刊誌を読んでいると、文体があることに気が付いた。
接続詞に特徴があり、「とはいえ」、「にしても」がよく使われていた。
それらをすべて引っ張り出して、困ったら接続詞を使い乗り切った。
気が付いたらそのまま雑誌に掲載されて驚いた。なんていい加減な商売なんだろうと。
徳間書店の社長、徳間康快について
- 徳間康快も読売新聞に入社して、ある事件の記事を書いたら怒られた。怒られる理由が「面白くない」。「事件が起きたとき、その場にいたように書け」と言われた。
新聞がエンターテインメントの時代だった。 - 徳間康快は、出版社としてはあり得ないほど、銀行から借金をしていた。
最初に借りるときは頭を下げる。しかし、借金が増えていけば、こちらのほうが強いんだ、と教えられた。
こんなこと教えられたって、真似ができない。 - 『もののけ姫』の完成披露試写で、森重久彌と徳間康快が顔を合わせた。お互いに、どういう態度を取るのか興味があった。
徳間が椅子に座ろうとしたとき、「森重! あのとき貸した金返せ」と言い、耐え難い間ができた。
森重は、「おまえに貸してもらった覚えはねえな」と返した。ふたりとも、かっこよかった。 - 『コクリコ坂から』で、徳丸社長として徳間康快が登場したのは、宮崎駿が追悼の意を込めて出そうと言ったから。
- 徳間康快は、「面白くなければいけない。意味のあることはやってもしょうがない」という哲学を持っていた。第一に面白いこと。第二に多少意味のあること。
- 『となりの山田くん』は興行成績が良くなかった。徳間が「すべて、おれの責任だ」と頭を下げてきた。しかし、社員総会の場で、檀上に立った徳間は「この興行的失敗は、すべて鈴木にある」と叫んだ。もう笑うしかなかった。