例によって、金曜ロードSHOW!に合わせまして、『となりのトトロ』の豆知識を集めてみました。
改めて、トトロの情報を調べていて驚いたことは、サツキとメイのお父さんが、革命的な学説の研究をしていたことです……。
サツキとメイのお父さんは、革命的な学説の研究をしている
草壁タツオの設定資料に、宮崎駿監督は以下のように記している。
草壁タツオの設定
若い考古学者。大学の非常勤講師をやりながら、翻訳の仕事で生活している。今は革命的な新学説の大論文を執筆中。縄文時代に農耕があったという仮説を立証しようと週二回の出勤以外は書斎にとじこもっている。
草壁タツオは、お父さんであって、お父さんじゃない人
サツキとメイのお父さんは、いわゆる何でも知ってるお父さんではなく、子どもたちと一緒に遊ぶ友達のようなお父さんとして描かれている。
宮崎:
声優さんの声をいろいろ聞いてみたんですけど、みんな、あったかくてね、子どものことを全面的に理解している父親になりすぎちゃうんですよ。昔、「パパはなんでも知っている」ってテレビあったでしょ、三十そこそこの親父がそんなになるはずないんだ。それで、これはどこか別のところから人を連れてこなくちゃいけないって話になりましてね。糸井さんがいいっていったのは、ぼくです。
当初は姉妹ではなく、ひとりっこの設定だった
サツキとメイの姉妹として描かれているが、企画の当初はひとりっこの設定だった。
しかし、物語に膨らみをもたせるために、姉妹の設定に変更することとなった。
劇場用ポスターは、初期に作成したものがそのまま使用されている。年齢も、サツキとメイの中間ぐらいの女の子が描かれている。
トトロはメイの問いかけに「ネムイヨーッ。わかりません」と答えている
「あなたはだあれ? マックロクロスケ?」というメイの問いに、トトロは「ネムイヨーッ」と答えています。
そして、「トトロ! あなたトトロっていうのね!」と身を乗り出すメイに、トトロは「わかりません」と言っています。
メイは、「やっぱりトトロね」とひとりで納得しています。
大トトロの年齢は1300才
『となりのトトロ』のイメージボードには、小トトロが109才、中トトロが679才、大トトロが1300才と記されている。
The art of Totoro (ジ・アート・オブ・トトロ)
『もののけ姫』のコダマが、トトロになる
『もののけ姫』のラストシーンで一匹だけ登場するコダマは、後のトトロに変化する設定で描かれてる。
『もののけ姫』の制作時、ラストシーンの打ち合わせをする宮崎監督はこう語っている。
宮崎:
ちょぼちょぼの実に情けないね、禿げ山になるだけの話だから。そう思ってるんです。そこが大森林になるとか、そういうのは嘘だなっていう。そう簡単に回復したりしない。時間がかかることだって。せいぜい、荒地のさ、小灌木か草なんかがブワーっと、石ころと泥の中に生えてるような山容になるだけでね。
シシ神の池のところにも、似たように倒木だらけのなかに、ヒコバエが生えてるくらいの山に収まるっていうね。そういうことなんだな、って思うんだよね。で、二木さんたっての希望で、チビで一匹で良いから、コダマがのこのこ歩いてるやつ入れてくれっていうね。それが、トトロに変化したって(笑)。耳が生えていたってことにすれば、そうすると首尾一貫するんです。なんだか、わけわかんないけど(笑)
太古の昔、トトロと人間は戦っていた
裏設定では、大昔にトトロ族が存在している。トトロ族と人間は戦いを繰り広げ、トトロ族はやっつけられてしまう。
その生き残りが、時代時代のなかで顔を出し、あるときは「もののけ」や「オバケ」と呼ばれ、所沢に現れたのが、そのトトロ族の末裔ということになる。
糸井重里のキャッチコピーを、宮崎駿が変更した
当初、糸井重里が提案したコピーは「このへんないきものは、もう日本にはいないんです。たぶん」だった。
しかし、宮崎監督が「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん」に変更している。
当時の、ふたりのインタビューで以下のように話している。
糸井:
「このへんないきものは、もう日本にはいないんです。たぶん」って書いたんですよね。“たぶん”がついてるから、いるかもしれない、というリアリズムをこめてぼくは書いたわけ。たぶん、ぼくも子どもたちにそういうふうに説明しちゃうと思ったんです。そうしたら、宮崎さんは「いるのです。たぶん」にしてくれって言ってきた。それ聞いたとたんに、すぐに、そうだと思ったの。宮崎:
「いるのです」って言ったときには、「いないのです」といったときよりたぶんという意味が重いんですよね。
時代設定は1953年
時代設定は、昭和30年代初頭とよく語られているが、これは間違い。1953年(昭和28年)を想定して作られている。
『コクリコ坂から』のパンフレット「企画のための覚書」で、宮崎監督は「『となりのトトロ』は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である」と語っている。
サツキとメイの家は未完成
草壁家が引っ越してくる家は、先代に住んでいた人が結核で亡くなってしまって、完成していない家という裏設定がある。
『となりのトトロ』のサツキとメイの家は、結核患者が住んでいた家
ネコバスは、“風の精”ではない
突風を起こし走り抜けるネコバスを見て、風の精霊のように受け取られがちだけれど、そうではないらしい。
宮崎:
ネコバスっていうのは突風みたいな感じで来るでしょう。じゃあ、突風がネコバスなのかって決めると、そうすると日本からズレちゃうんです。日本には風の精ってないんですよ。袋かついでブウッと風をおくるやつはいるんだけどね。だから、そこでネコバスは風の精だとしちゃったら、とたんに日本の物じゃなくなるんですね。
近代化してるでしょ、日本が。でもどこか近代化しきれない、そこら辺の実に過渡期な段階でのおばけなんですよ、トトロたちは。
トトロは傘を楽器だと思っている
サツキがトトロに傘を貸すシーンで、雨水が傘に当たる音を、トトロは楽しんでいる。
宮崎:
雨だれでポトン、ポトンと傘が鳴ったら、それは喜ぶかもしれないなあと思いついた。
あの傘をトトロは、なにかすてきな楽器だと思ったんです。
『となりのトトロ』と『火垂るの墓』はスタッフの取り合いだった
当時、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は同時上映だったため、制作も同時期に行われていた。
そのため、宮崎駿監督と高畑勲監督でスタッフを巡った取り合いをしていた。
以下、鈴木敏夫プロデューサーのコメント。
鈴木:
『トトロ』と『火垂る』その企画を成立させるまでも大変だったんですけど、結局これでやることになりました、っていうその日に、宮崎駿はそこにいたスタッフ全部手に入れましたからね。全員に声かけて、『トトロ』手伝えって。だから、その瞬間は『火垂る』はスタッフ、ゼロなんですよ。宮崎駿ってそういう人ですから。
制作時の息抜きはテーブル卓球
『となりのトトロ』製作中の宮崎駿監督の息抜きは、テーブル卓球をすることだった。
背景用の大きい机をふたつ合わせ、ネットの代わりにボール紙が使われていた。なかでも、宮崎監督と美術監督の男鹿和雄さんが、テーブル卓球の名手で、よく対戦していた。
大御所ふたりが無邪気に遊ぶ姿は、おそらく、もう見ることができない。
プロデューサーは原徹
ジブリ作品というと、すべて鈴木敏夫さんがプロデューサーを務めているイメージがあるが、当時のプロデューサーは原徹さんだった。
原徹さんは、宮崎監督が『風の谷のナウシカ』を制作したときのアニメーションスタジオ「トップクラフト」の元代表取締役社長。後に、スタジオジブリの常務取締役となる。
経営上の方向性の違いから、宮崎駿監督、鈴木敏夫さん、徳間康快社長らと袂を分かち、1991年6月にスタジオジブリを退社した。
黒澤明が一番好きなジブリ作品が『となりのトトロ』
黒澤明は「ネコバスが凄く気に入った」と語っており、「黒澤明が選んだ100本の映画」にてアニメ作品で唯一、『となりのトトロ』が選ばれている。
宮崎駿監督曰く、『となりのトトロ』がピークの作品
2013年のインタビューで、『となりのトトロ』がピークだったと宮崎監督が語っている。
宮崎:
ぼくは結果的に、「トトロ」っていう作品が、峰になっちゃってるんですよ。あれがピークだったんです。
美術的なピーク。それは自然というか日本の風土をね、関東地方ですけども、それを愛情持って描こうとしたんですよ。どういう木が生えてるかとか、どういう風景があるかっていうのを、理想化して描こうっていうことを初めてやって、それが初めてうまくいったんです。
『となりのトトロ』の都市伝説
物語のラストシーンで、病院のお母さんを見ているサツキとメイたちは死んでいて、トトロは死神だったという説がある。
サツキとメイには影がないと噂されているが、この説は鈴木敏夫プロデューサーが否定しているため、『となりのトトロ』の都市伝説は事実ではない。
『となりのトトロ』の都市伝説。サツキとメイは死んでいるのか?