「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」が特別企画した3夜限定の上映会「これが出発点だ。」の“第2夜”が、3月22日(土)、東京・新宿バルト9にて開催。宮崎駿監督の初の劇場長編アニメーション作品『ルパン三世 カリオストロの城』(’79)の上映の前に、昨年公開されたスタジオジブリに迫ったドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』の監督・砂田麻美が登壇し、およそ1年間追いかけ続けた“宮崎駿”という日本アニメ界の巨匠の実態を明かした。
宮崎監督について「実際にお会いするまでは、山の上の方にいてスタッフの方々が『先生、今日は書いてくれるかな…』と気をもむような芸術家然としたイメージを持っていた」と明かす砂田監督。しかし、そのイメージとは裏腹に「毎日朝同じ時間に来て、画を書いて、夜9時にはぴたりと鉛筆を置く。調子がいい、悪いに関わらず、毎日それを繰り返していました。まさに職人です。ご自身も仰っていましたけど、“町工場の工場長”という感じ」だったとか。
しかし、天才である一方で変わり者としても知られる宮崎監督。『夢と狂気の王国』の撮影初日に砂田監督はその“洗礼”を受けたそう。「ピクサーのジョン・ラセターさんが、スタジオにいらっしゃる日だったんですが、その前にご挨拶に行ったら『何を撮るの?』と聞かれまして、何か答えかけたところで『バカはバカ! 利口にはならない!』と言われ、初日にして終わったな…と思いました(苦笑)」。
さらに、このエピソードには続きが。「そこに鈴木(敏夫)さんもいたんです。この撮影の時にすごく色んなことをサポートして下さったんですけど、宮崎監督とのトークになると、鈴木さんは絶対に宮崎監督の側につくので、『バカはバカ!』って私が言われる横で何故かずっと頷いてました…。その後、鈴木さんからフォロー(?)があったんですが、『宮さんはすごく緊張してた。だから、あのタイミングはおかしい。終わってから言うべきだった』と言われてしまって…。でも宮崎監督にカメラを向けるのに、何も挨拶しないでカメラを回すのはもはやテロ行為ですよね(笑)」。
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「宮崎監督のアトリエ・二馬力に最後の挨拶をしに行ったときに、『映画を作り続けてください』って言われました。それまでの1年間で『(ジャンルとしての)映画は終わります』って宮崎監督にずっと呪文のように言われ続けてきたにも関わらず、最後の最後でそう言ってくださったことが、すごく重みとしていまも残ってます」。
同じ監督業につく者ならではの何ともいい話だが、その後にはまた鈴木プロデューサーの名前が…。「鈴木さんにその話をしたら、『宮さんってそういう時、本当にカッコつけるんだよね』って(笑)」と明かし、最後まで笑いにあふれたイベントとなった。
また、この上映ではスクリーンでジブリの“出発点”を見るだけでなく、特別なパンフレットも来場者に配られ、中には今回の「これが出発点だ。」で上映される『太陽の王子 ホルスの大冒険』(’68)『ルパン三世 カリオストロの城』(’79)『風の谷のナウシカ』(’84)の原画が印刷された解説書が同封されており、劇場に詰めかけたジブリファンたちは口々に作品の思い出を語り合っていた。
『夢と狂気の王国』映画パンフレット 「風の谷のナウシカ」制作よりはるか以前、今から50年前に高畑と宮崎は出会い、鈴木が合流したのが30数年前。かくも長期に亘り苦楽を共にしてきた彼らの愛憎、そして創作の現場として日本に残された最後の桃源郷“スタジオジブリ”の夢と狂気に満ちた姿とは。 |