押井守の「世界の半分を怒らせる」。以前、ニコニコ生放送で『押井守ブロマガ開始記念! 世界の半分を怒らせる生放送/押井守×鈴木敏夫×川上量生』という番組が、放送されたのですが、その放送終了後に行なわれた有料会員限定の、アフタートークの全文が公開されました。
その中で、少しだけ鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿監督について話しています。
その部分を引用させていただきます。



鈴木敏夫について

――ありがとうございます。では旧知の仲かと思うんですけれども、鈴木敏夫さんについてなんですけど。

押井:なんかねえ、最初に呼んじゃいけない人間を呼んだような気がする。とにかく自分勝手にしゃべる男だから。結構なんかね、都合が悪くなると話を(よそに)振っちゃうんだよね。だからまともな話をしかかると必ず話を逸らしちゃう。
そういうしゃべり方の汚い男というか。もうちょっとまともな話になるのかなと思ったんだけど。ただ後半ちょっと面白かったかなと。

――ちなみに鈴木さんとはいつごろからのお付き合いになるんでしょうかね?

押井:『うる星やつら』のテレビシリーズを始めたころですね。だからかなり長いです。もう30年以上付き合ってます。

――その間お仕事でも何度か?

押井:いや、仕事したのはね、だから『天使のたまご』のときに(鈴木氏が)プロデューサーで一緒に組んでやったのと、あとは『イノセンス』で――(鈴木氏が)途中から入ってきたんですよ。途中から宣伝プロデューサーということで入ってきて、じつはその2回しか仕事上は付き合ったことはないです。あとは僕が撮った実写映画のほうで3回か4回出てもらってると思う。

――いま話題に上がりました『イノセンス』なんですけど、タイトルなどなど、鈴木さんの助言があって変更されたなどという話も聞きますけど、その辺の詳しいお話を聞かせていただけると嬉しいんですけど。

押井:結構あちこちで出たと思うんだけど『攻殻機動隊』の「機動隊」が気に入らないという話で「機動隊の映画なんて誰が見るんだよ」という話になって「いや、そういうタイトルなんだからさ」という。だけど「このままのタイトルじゃ当たらないからダメだ」という話になって……。現場ではずっと『GHOST IN THE SHELL 2』とか『攻殻2』とかずっと言ってたんですよ。公開寸前までそう言ってたし、作画監督をやってた鉄っつん(西尾鉄也)とかは最後まで「俺は『イノセンス』なんてタイトルは認めないんだ」とずっと言ってたけど、途中からなんとなくみんな慣れちゃったというか、僕自身は映画のタイトルって基本的にプロデューサーがつけるものだと思ってるから「どっちでもいいや」と思ったんですけど。で、海外ではいまだに『GHOST IN THE SHELL 2』になってるんだけど。『イノセンス』というタイトルは日本でしか通用しないから。

 

宮崎駿について

――ありがとうございます。ではいよいよなんですけど、宮崎駿監督について思っていること、作品についてなどお聞かせいただけますと。

押井:あのさ、ずいぶんあちこちでしゃべったんだけど、結局活字にならないんですよね。それがつまりいまあの人が置かれている、ある種の状況なんだと思う。一種のタブーになっちゃってるというかね。それは映画監督にとって決していいことじゃないんですよ。たぶんどのメディアにとってみても、あの人を批判することで利益にならないというかさ。あの人はいまみたいに偉い人間である限り、どこかしら利益につながっていくというさ、そういう構造にはまっちゃったから。だからもう、かわいそうだと思う。僕はさんざん悪口言ってるんだけど、僕が悪口を言わなくなったら本当に誰も言わなくなるだろうと思って言ってるだけで、それはたぶんあの人の耳にも届いてないだろうし、たぶん誰の耳にも届いてないんだろうけど。僕のまわりの人間はみんなうんざりしてるけど。それはさ、やっぱりなんかね、ほとんど鈴木敏夫のせいですよ。90%ぐらいかな。で、残りの10%は宮さんもその気になっちゃったんですよ。「俺ってやっぱりすごいものを作ったのかな」というさ。僕が初めて会った頃は『(ルパン三世)カリオストロ(の城)』のあとだったけど、やっぱりなんかね、「とんでもないものを作っちゃいました」という――監督ってさ、そういう間は本当に自由なんですよ。「でも楽しかった」ということなんだよね。だけどいまはある種の期待のなかで作らざるを得ないというさ。自分を演じるしかなくなっちゃう。それがどんどん行けば自分のコピーを繰り返すことになるんでさ。あの人がさんざん批判してきたことなんだよね。「コピーはダメなんだ」というさ。僕はべつにコピーでも構わないと思ってるんだけど。だからいまはかなり隔離されて生きてるというかさ。隔離してる張本人がいま帰ったけどさ、それはやっぱりあの人は世間で言ってるような人とだいぶ違いますよ。僕は20年以上付き合ったけど。めちゃくちゃな
人だからさ。そのめちゃくちゃなところがあの人のいいところで、寄ってたかって人格者とか巨匠にするなという話なんだよね。1回だからすごいスキャンダルでも起こっちゃえばいいなと思ってるんだけど。そうするとかなり自由になると思う。

よく言われてるけどあの人のダークサイドみたいなのをさ、1回解放すればいいんだと思う。『ハウル(の動く城)』のときはそれが一瞬出たんですよ。だから「行くのかな?」と思ったわけ。だから好きなんだけど。でもそのあとまた元に戻っちゃったの。だから『(崖の上の)ポニョ』みたいなのが一番ダメなんで。自分のなかの愛すべき面のはずなんですよあれは。でもそれちょっと見方を変えると相当グロテスクな話になるんで。で、そのことに気がつかないから。契機がないから。実際あれは本当にかなりグロテスクな話なんで。監督って自分のなかのダークサイドの部分というか、さっき言った4分の1のカチャカチャの黒い25%の真っ黒な部分、あれを絶えず意識しないと、自分のなかでだんだんバランスが取れなくなる。僕の場合はラッキーにもというか、宮さんの100分の1しか売れてないし。ただたまたま海外でそれなりに虚名を売っちゃったから、だからまだ仕事ができてる。本来だったらとっくに干上がってる。売れない監督でいるという選択肢も僕はあると思ってるんだよね。で、売れない監督であっても構わないんだけど、撮れない監督であってはならないというさ。売れないけど撮れるということが本来は監督にとっては理想なんですよ。一番自分が自由に映画に関われるというさ。「そういうふうな方法はなにかないかな」と思ってずっと生きてきたわけで。それでいろいろな方法論を編み出したわけで、そのおかげでいまでも撮れてますというさ。さすがに『スカイ・クロラ』が終わって3年間なにも決まらなくて「そろそろ自分のやり方通用しないのかな?」ってさすがにちょっとあせったんだけど、ここのところ立て続けに決まりかけてるんで。