君たちはどう生きるか

『君たちはどう生きるか』の冒頭に、とても印象的な火事のシーンが登場します。
これは、宮﨑駿監督が幼少期に体験した、太平洋戦争下での空襲や火災が反映されたものと思われます。



1944年、宮﨑監督は3歳のときに東京から宇都宮に疎開します。そして、宇都宮は1945年7月に空襲を受け、火災が発生。このとき宮﨑監督は4歳。夜間に家族とトラックで逃げる際、炎に照らされた空や町の混乱を目撃したと、これまでに書籍やドキュメンタリー等で語られています。

君たちはどう生きるか

これらの体験のひとつに、『君たちはどう生きるか』で病院が火事になるシーンと似たような話が、宮﨑監督によって語られています。
それは建築家の藤森照信さんとの対談でのこと。

藤森:
宇都宮の町が空襲で燃えたのは覚えてますか?

宮﨑:
東武の線路の土手の上から見た光景を覚えています。下に見える町が延々と燃えているのを見ました。焼夷弾が落っこちてくるのも覚えてます。夜なのに昼間と同じくらい明るいので、怖いという感覚はなかった。それよりも火事のほうが怖かったですね。灯火管制のなかで火事があるとすごいんです。
大きな病院が火事になったとき、真っ暗ななかで遥か彼方から火の粉がワーッと飛んでくるのを家の2階で見ていて、そのときのほうが怖かったですね。

「ジブリの立体建造物展」図録収録

君たちはどう生きるか

映画冒頭の眞人が火事を目撃するシーンは、おそらくこのときの経験が映像化されたものと思われます。
こうして火事のシーンは、宮﨑監督の個人的な体験に加え、普遍的な「喪失と向き合う物語」として描かれました。

君たちはどう生きるか

ちなみに、火事のシーンを描いたのは、ベテランアニメーターの大平晋也さんです。
大平さんは、作品に絵柄を合わせず圧倒的な画力でねじ伏せる職人のため、宮﨑監督からの信頼も厚く、絵コンテの段階からこのシーンは大平さんに描いてもらうと決めていたそうです。原画段階では、ほとんどチェックもせず任せっきりだったといいます。出来上がったものを見て、「こういうものだったんだ、すごいね」と宮﨑監督も感心していたのだとか。

生き物のように炎が動き、行きかう人々の混乱をリアルに表現した、大平さんらしい印象的なシーンとなりました。

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