風立ちぬ

宮崎駿監督、最後の長編アニメーションになるはずだった『風立ちぬ』。この作品の企画を提案したのは、鈴木敏夫プロデューサーというのは有名な話です。
鈴木さんは、宮崎監督の年齢からいってこの作品が最後になるはずだと思い、最後の作品に戦争を題材とした、この企画を提案したといいます。



それは、宮崎監督の抱えている矛盾に対する答えが見たいという、野次馬根性だったそうです。

宮崎監督は、軍事マニアとしても有名で、『雑想ノート』では兵器を題材とした漫画も描いています。その一方で、平和に対する想いも人一倍強い。そんな矛盾に対する答えが見たい、というのが鈴木さんの考えでした。

『ポニョ』路線の児童向け作品を作ろうと考えていた宮崎監督からは、強い反対がありました。しかし、結果的に『風立ちぬ』で企画はスタートします。

当初、絵コンテは順調に進んだものの、あるところで行き詰ってしまいます。
それは、空中戦のシーン。『風立ちぬ』は、ゼロ戦の設計技師の物語なので、当然戦闘シーンは描かれる予定でした。しかし、宮崎監督の筆が止まってしまう。
説明のためのシーンならば描けるけれど、表現となると、また別の次元になります。本人が、納得のいくものを描けなかったのが原因だったそうです。

鈴木敏夫プロデューサーは、『仕事道楽 新版』で、こう言っています。

題材が戦闘機である以上、ふつうは空中戦が出てくる。ぼくはそれを描くべきだと思っていました。そのうえでどうまとめていくのか、ぼくの本当の興味はそこにあった。

仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場

描くはずだった重慶爆撃

戦闘シーンを描いたうえで、矛盾に対する答えが見たかった、というのが鈴木さんの考えでした。これは、とても納得がいきます。
しかし、結果的に『風立ちぬ』で戦闘シーンは一切描かれていません。

ほんとうは描かれる予定だった戦闘シーンとは、どんなものだったんでしょうか。

鈴木敏夫さんと上野千鶴子さんの対談で、その内容が明かされています。

上野:
『風立ちぬ』では、戦闘を描かずに、ラストシーンで廃墟だけを見せたのはよかったと思います。

鈴木:
本当は零戦による重慶爆撃を描こうとしたんです。でも、うまく表現できなかった。堀越二郎が技術者だったとしたら宮崎も技術者。設計も計画もしたけど、そこを鮮やかに描けなかった。頭の中ではやらなければいけないと、彼は思っていたんですよ。

上野:
重慶爆撃は世界初の無差別大都市爆撃です。そのシーンを入れたら日本の加害者性はすごくはっきりしたでしょうね。

「AERA」2014年 8/11号

戦闘シーンが描かれていたら、よりメッセージ性の強い作品になっていたはずです。特に、海外での評価が違っていたかもしれませんね。