宮崎駿監督の『もののけ姫』は、絵コンテが完成した当初は、公開されたものとは違うものでした。
『もののけ姫』の企画開始から、1年半の歳月を費やし、ようやく完成した絵コンテですが、そこにはエボシ御前の片腕がもぎ取られるシーンや、タタラ場の炎上はありません。
もぎられたエボシの腕と、タタラ場の炎上
最初の完成版では、非常にあっさりとした終わり方になっていたのです。複雑な要素が入り組んだこの物語にしては、非常に物足りないものだったといいます。
この絵コンテを読んだ鈴木さんは、悩みました。このまま作れば、映画は2時間ちょうどに収まる。1997年の夏に向けて、順当に完成させることもできる。
しかし、このままでは物足りない終わり方になっているため、ラストを変えてほしい。すると、当然上映時間は延びるため、夏の公開が危うくなる。
二律背反、鈴木さんはしばらく悩みを抱えて過ごします。
しかし、鈴木さんは口火を切ります。
音楽の打合せのため、久石譲さんのスタジオに行く電車の中で、ラストシーンについて宮崎監督に話しました。
「エボシ御前を殺すべきじゃないですか?」と鈴木さん。
宮崎監督は大声で、「そんなこと思ってたの?」と反応すると、新しい案をまくし立てるように話し始めました。しかも、電車内で、大声で、周りは宮崎駿と気づいているのもお構いなし。
それから数日して、すぐさま宮崎監督は新しい絵コンテを描きました。
宮崎監督は神妙な表情をして、絵コンテを鈴木さんに渡すと、「エボシは殺せない」と言います。内容は、完成版の片腕がもぎられるシーンになっていました。
そこで鈴木さんは、もう一つ提案します。宮崎駿作品は、映画のラストで建物が崩壊することが、一つの特徴となっていたため、そういったシーンを付け加えてはどうかと。
宮崎監督も、これをすぐに受け入れて、タタラ場の炎上シーンが描かれました。こうして、現在世の中に出ている『もののけ姫』のストーリーが完成しました。
『もののけ姫』を助けたテレコムとデジタルペイント
ストーリーは完全なものになったものの、問題があります。絵コンテを変更したことで、映画の尺は役15分延びて、2時間13分となりました。
スタジオジブリの5分辺りの製作期間は約1ヶ月かかります。つまり、単純計算で3か月延びることになりました。
さらに、スケジュール管理をしている制作部門でも、まだ描いていないシーンが完成していることになっているという、チェックミスまであり、進捗状況に追い打ちが掛かります。
この事態に、スケジュールを1から洗い直すことになり、制作デスクの西桐共昭さんが、新たなスケジュール管理の任を受けます。西桐さんは、とても数字に強い人で、「彼がいなかったら、『もののけ姫』は完成しなかった」と、後に鈴木さんは語っています。
窮地に追い込まれた『もののけ姫』の制作現場ですが、このとき助け船が来ました。かつて、宮崎監督が『ルパン三世 カリオストロの城』を作ったテレコムです。宮崎駿・高畑勲の両監督も在籍していたアニメーションスタジオです。
そこの社長である竹内孝次さんが、ある日スタジオジブリにやってきて、「仕事が途切れたので、何か手伝えるものを回してほしい」と言います。渡りに船とはこのことで、これが援軍となり、『もののけ姫』は人海戦術で作っていくこととなります。
さらに、このときまで手塗りでセル画に着色していたものを、デジタルへと移行します。新しい技術を試すという、実験的なものではありません。作業効率のため、急遽スタジオジブリの一階にあるバーにパソコンを並べ、デジタルで色付けすることになったのです。
テレコムの援軍とパソコンの導入、この二つによって、通常では3か月かかる作業を1ヶ月に短縮することができました。
こうして、『もののけ姫』は予定通り、1997年7月12日に公開されることになったのです。