愛知県の愛・地球博記念公園が「ジブリパーク(仮)」として生まれ変わることが決まり、話題となっております。
ジブリファンからすると、テーマパークの建設は「待ちに待った」という感じでしょうか。
しかし、宮崎駿監督がテーマパークの建設を検討したのは、今回が初めてではありません。
今から19年前。1998年のこと、宮崎駿監督は『もののけ姫』の制作も終わり、充電期間に入っていました。そんなときに、建築家の荒川修作さんが作った公園「養老天命反転地」に出会うことになります。
その公園は、もの凄い急斜面だったり、とつぜん崖が現れたり、建物内の壁や天井が上下左右まったく関係なく配置されていたりと、従来の規則をまったく無視した、視覚的な錯覚を楽しめるような公園です。
この常識に囚われない空間に感銘を受けた宮崎監督は、荒川さんに興味を抱くようになり、彼の計画していた臨海副都心のプランにも惹かれていきます。何か協力したいと考えていた宮崎さんですが、次第に自分自身でも街の設計ができないかと考えだします。
(『虫眼とアニ眼』参照)
そして宮崎さんは、宮沢賢治の思い描いた「イーハトーブ」の街を再現できないか、荒川さんに持ちかけました。
そのときのことを、宮崎さんはこう語っています。
宮崎駿:
最初に荒川さんとお会いしたときにある映画のプランを話したんです。一つのカギは、宮沢賢治の思い描いた街というのはどういう所だったのか、ということなんです。西洋から流れ込んできた物と、この国が持っていた伝統的なものがぶつかりあうのではなく、上手く調和して、最低でも100年位はおだやかに生活できる街があるとしたら、宮沢賢治が夢見た街なのかなあと思ったわけです。はじめてその街角に立った人が、あまりの懐かしさに、涙してしまうような街をつくれないだろうか、その街をもし映画にできたら、まあ夢のような話ですけど、それを現実にどこかの空間につくって、そこに来たら何かから解放されるような場所にしたい、という話をしたんです。そうしたら荒川さんに、「たしかに、そこは素晴らしい所になるだろう。しかし、お前は絶望をつくるだけだ」といわれてしまった。つまり、そこが素晴らしければ、素晴らしいほど自分の家に帰ったときに現実とのギャップに、人は落ち込まざるを得ない。なるほど、と思いました。僕は絶望を作ろうとしてたのかって(笑)。
(『アニメージュ特別編 宮崎駿と庵野秀明』参照)
このとき思い描いたテーマパークの構想は、実現しませんでした。しかし、このすぐ後、「三鷹の森ジブリ美術館」を作ることになり、宮崎さんの思いは別の形となって実を結ぶこととなったのです。
「ジブリパーク」とは?
そして、今回、新たに建設が決まった「ジブリパーク(仮)」とは、どんなテーマパークになるのでしょう。
まだ、詳細はわかりませんが、今ある自然を残す形で建設されることは明かされています。
ジブリファンの中には、ディズニーランドやUSJのような遊園地になってほしくないと思っている人が、少なからずいると思います。私もその一人でして、ジェットコースターなどのアトラクションを作り、消費を目的とした、“商品”としてのテーマパークにはなってほしくないです。着ぐるみを作って、客寄せなんかしてほしくありません。
とはいえ、テーマパーク建設に期待している面もあります。スタジオジブリ作品に登場する建造物に焦点をあてた、ジブリ版「たてもの園」が作られたら、こんな嬉しいことはないです。
「サツキとメイの家」や「ジブリ美術館」がそうであるように、“作品”としてのテーマパークを作ってもらえることを願います。