近藤喜文若き日の宮崎駿・高畑勲作品に参加し、『耳をすませば』では監督を務めた近藤喜文さん。
宮崎駿監督が、いちばんに近藤さんの才能を高く評価し、周りに宣伝して回ったといいます。
惜しまれつつも、1998年に47歳の若さで他界してしまいますが、宮崎監督にそこまで惚れこませた近藤さんとは、いったいどのようなアニメーターだったのでしょうか。



近藤さんは、どのようにアニメーターになったのか。

高校を卒業した近藤さんは上京し、当時新橋にあったアニメーションの学校、「東京デザインカレッジ・アニメーション科」に入学します。そこには、大塚康生さんが講師として在籍していました。授業が終わると近藤さんは、当時大塚さんが務めていたAプロダクションの入社を懇願します。それを、何度も何度も繰り返したとそうです。困った大塚さんは、面倒くささもあって、Aプロを紹介しました。しかし、その当時は大塚さんも、近藤さんがどのような絵を描き、どのくらい実力があるのかまだ知りません。後に、その才能の高さに驚いたといいます。

そして、近藤さんはAプロで頭角を表します。そのころ、ちょうど、東映動画から高畑勲・宮崎駿の二人もAプロに移籍し、共に活動していくことになりました。

宮崎監督の『未来少年コナン』で高い評価を得た近藤さんは、高畑監督から誘われ『赤毛のアン』に参加します。その後、スタジオジブリに在籍。『火垂るの墓』から、『もののけ姫』までの、約9年間にわたり活躍します。

近藤喜文は、時間と空間をゆがめない。

鈴木敏夫プロデューサーは、スタジオジブリ作品のBlu-ray化に伴い、これまでの作品を観直していく中で、近藤喜文監督の『耳をすませば』に驚いたといいます。それは、キャラクターの芝居が、他の作品よりも際立って良くできているということ。近藤さんの技術の高さに、改めて感服したそうです。

日本の漫画は、時間と空間をねじ曲げて表現することで有名です。鈴木さんが、よく例に出しているように、『巨人の星』では、主人公・星飛雄馬が球を一球投げるほんの一瞬の動きに、まるまる一話使います。さらに、4畳半の茶の間が、時には50畳くらいに広くなったりと、時間と空間を変化させる演出方法は、珍しいものではありません。

しかし、近藤喜文さんの演出は、リアリズムに沿って、時間と空間を歪めません。宮崎駿監督が快感原則に従って、時間と空間を自由自在に変化させてしまうのと、まったく逆と言ってよいでしょう。
とはいえ、近藤さんは抜群に上手なアニメーターだったので、宮崎作品の『未来少年コナン』では大活躍することになります。それも、非常に漫画的な表現のシーンを担当します。

ものすごい高いところから飛び降りたコナンが、普通だったら死んでしまうような衝撃を受けてしまうところを、足がしびれてしまうだけで、笑って誤魔化すような展開にもっていってしまう。巧みなアニメーションによって、説得力を持たせることができるアニメーターでした。その一方で、西洋で培われたリアリズムのアニメーションも出来てしまう。これまでの日本のアニメーションの常識を変えてしまうほどのアニメーターでした。

スタジオジブリ時代は、宮崎駿と高畑勲で近藤喜文の取り合い。

ジブリ作品初参加となる『火垂るの墓』においては、有名な逸話があります。当時『火垂る』は、『となりのトトロ』と同時上映でした。
長編映画を同時に制作していた、高畑・宮崎両監督の間で、近藤喜文の争奪戦が勃発します。『天空の城ラピュタ』のころから、近藤さんにやってもらいたいと思っていた宮崎監督は、『となりのトトロ』では近藤さんを獲得するべく、毎日のように近藤さんの自宅に赴き説得したといいます。

しかし、高畑監督も「ほかは何もいらないから近ちゃんだけ欲しい。近ちゃんがいなければ『火垂る』は作れない」と引きません。最終的に、仲裁に入った鈴木さんが、宮崎監督は自分で絵が描けるからという理由で、『火垂るの墓』に参加することになります。

その後、『魔女の宅急便』で作画監督、『おもひでぽろぽろ』ではキャラクターデザイン・作画監督、『紅の豚』『海がきこえる』『平成狸合戦ぽんぽこ』で原画として参加します。
そして、1995年に、『耳をすませば』で、長編アニメーション作品の初監督を務めることになりました。

『耳をすませば』は、現在に至るまで、作品のモデル地をめぐる、聖地巡礼が行なわれる人気作品になっています。最初で最後となる名作を残し、近藤さんは病気のため1998年に亡くなってしまいます。

葬儀では、宮崎駿監督が弔辞の中で、「なんで高畑さんの作品をやって、おれの作品をやらなかったんだ! 高畑作品なんか、やらなくて良かったんだ!」と涙ながらに語ったそうです。熱い宮崎監督による、近藤さんへの愛が伝わるエピソードです。

近藤喜文の仕事 動画で表現できること 近藤喜文の仕事 動画で表現できること
近藤喜文さんの残した仕事を、後世に伝えるために製作されたものです。
一般の書店では扱っておらず、現在は『近藤義文展』などで販売されています。

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