宮崎駿監督最大のヒット作品『千と千尋の神隠し』。奇妙奇天烈な八百万の神々を、日本の銭湯で接待するという、それこそ奇妙な物語。世界的にも大人気となっている本作ですが、キャバクラや風俗といった水商売が、本作のモチーフとなっています。
主人公の千尋が油屋で働くことになるのは、コミュニケーションが苦手な少女がキャバクラ嬢や風俗嬢となり、人と接することで成長していくことに着想を得て作られました。
国民的な人気作品が、そんなことでいいのか、と偉い人に怒られそうですが、宮崎駿監督が語っている事実なのだからしかたがありません。
油屋で働くことになった千尋が本名を奪われ、「千」として生きることになったのは、風俗店でいう源氏名にあたるのでしょう。
また、湯屋に大浴場がないことについて、宮崎監督は「そりゃあ、色々いかがわしいことをするからでしょうね(笑)」と、風俗店であること匂わせた発言をしています。
油屋は宮さんの中のソープランド
「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」のなかで、鈴木敏夫プロデューサーはこのように語っています。
鈴木:
ぼくの知り合いでキャバクラが大好きな、某角川書店の偉い人なんですけど、こいつがもう、ほんとうに大好きでね。
「なんで、そんなとこばっか行くの?」って言ったら、キャバクラの女の子ってもともと、コミュニケーションが本来上手じゃないんだと。そういう子に限って、そういうとこで働きたがる。ところが、要求される仕事内容は、コミュニケーションを取ること。そうすると、やっていくうちに元気になっちゃうんですよ、って話をそのまま宮さんに話したんです。そしたら、そこから『千と千尋』ですよ。
だから、油屋って風俗のつもりなんですよ、宮さんにとっては。宮さんの中のソープランドですよね。なかなか恥ずかしくて、そういうとこに行けない人だから。神様を接待するっていうのは、言い方は良いですけど、何をやっているかっていったら、そういうことですよね。
日本はすべて風俗産業みたいな社会になっている
また、宮崎駿監督自身も、「PREMIERE 日本版 2001年9月号」のインタビューで、以下のように語っています。
宮崎:
もともと日本は、性に対してあっけらかんとしたものでしたから。ヨーロッパ人から、なんて貞操観念がないんだと呆れられて性道徳を押し付けられるまではね。何もそれを復活しようと言ってるわけじゃないんですが、いまの世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗営業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になっているじゃないですか。いま女性たちは、売春窟に似合いそうな人がものすごく増えてる国なんじゃないかと思いますね。男はといえば、僕は徳間社長の葬儀の委員長をやったんですが、目の前を通る偉い人もそうでない人も、似合いもしない背広着て歩いていると、みんなカエルに見えたんですね。立派に見える人なんて一人もいない。もはやカエル男とナメクジ女の国ですよ。映画の中では結局それなりに描いていますけど(笑)。