『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の同時上映が決まったとき、高畑勲監督と宮崎駿監督は、ひとりのアニメーターを取り合いました。それは、ジブリ設立以前から、両監督の厚い信頼を得ていた近藤喜文さん。
両者譲らないつばぜり合いの末、製作中止の危機にまで陥るほどの問題となったのでした。
近藤喜文さんは、リアルな描写を得意としたアニメーターで、宮崎駿監督に「近ちゃんがいないなら『トトロ』を降板する」と言わしめるほどです。一方、高畑勲監督も、「近ちゃんがいないと『火垂る』は作れない」と引きません。お互いに引かない状況のなか、仲裁に入ったのは鈴木敏夫さんでした。
2008年に放送された、「ジブリ汗まみれ」の阿川佐和子さんがゲストの回を文字に起こしました。
他は何もいらないから、近ちゃんだけ欲しかった。
阿川:
『火垂る』って凄いねぇ。
鈴木:
あれ作るのはね……いや、ぼく大好きだったんですよ、『火垂るの墓』って。「オール読物」で18歳のときに読んでるんですよ。
それで、大学1年生だったんですけども、凄い好きになっちゃって。それで、ずーっと印象に残ってて、それで高畑勲で何かやろうってときにね、ぼくも若いから無茶だったんですよ。最初、だって『トトロ』と『火垂る』ってね。
阿川:
あ、そっか。『トトロ』と『火垂る』は二本立てだったんだ。
鈴木:
そうなんですよ。高畑、宮崎が同時に作ったら面白いって考えたんですよ。
それで、二本同時にやろうって言ったら、ジブリの当時責任者だった、原さんっていうのがいてね、もう大反対なんですよ。
それで、何でかって言ったら、アニメーションって時間とお金がかかる。しかも、スタッフが必要。同時に二本なんて、世界のアニメーションの歴史にあり得ない、と。東映動画だってやってない。
それで、「おまえがそんなこと言うのは、おまえが素人だからだ」って言われて。「素人のなにが悪い」って、やろうってことになるですよ(笑)。それで、後にこの方と喧嘩になっちゃうんですけどね。
ぼく、マスコミ出身だから、高畑勲、宮崎駿っていうのは、友人であると同時にライバル。この二人が同時に作ったら面白いと思ったんですよ。
また、宮崎駿が凄かったしね。何が凄かったっていったら、ジブリっていったって、いちスタッフしかいない。それで『トトロ』と『火垂る』その企画を成立させるまでも大変だったんですけどね。「結局、これでやることになりました」って言ったその日にね、宮崎駿はそこにいたスタッフ全部手に入れましたからね。
阿川:
どういうことですか?
鈴木:
全員に声かけて、『トトロ』手伝えって。だから、その瞬間『火垂る』はスタッフゼロなんですよ。
阿川:
怖いなぁ……。
鈴木:
宮崎駿って、そういう人ですから。
阿川:
なにその、イス取りゲームみたいなことやってんですか。
鈴木:
いや、ほんとにそうなんですよ。
それで、同時に作らなきゃいけないでしょ。
阿川:
根回しが上手なの?
鈴木:
いや、根回しどころか、ひとりひとり「やるな」って。
全員に声かけて、ほとんどの人を手に入れるのに、宮崎駿が欲しかった一人のスタッフだけは、「近ちゃん」って言うんですけどね、こいつだけは首を縦に振らなかったんですよ。それで、ほんとは宮崎駿は、他の全員より、この一人の男が欲しかった。なんでかって言ったら、自分より上手いんですよ、絵を描かせたら。
近藤喜文っていうんですけどね、もしこの人が『トトロ』やってたら、全然違う映画になってた可能性があるんですよ『トトロ』も。
阿川:
じゃあ、最終的には『トトロ』は……、近ちゃんはやらなかったんですか?
鈴木:
やらなかったんです。なんでかっていったら、高畑勲もその近ちゃんが欲しいわけですよ。で、二人で取り合いなんですよ。
阿川:
それはそうでしょうね。それで、近ちゃんは、タカちゃんが好きだったの?
鈴木:
いや、そうじゃないんですよ。二人が望んでることは、宮さんのほうは押してくる、高畑さんは何も言わないわけですよ。でも、無言の圧力を感じてる。それで、さあどうする、ってことになるわけですよ。
で、宮さんは、毎日のように説得に行く。高畑さんのほうは、なんにも来ない。で、宮崎駿って面白い人ですからね、高畑さんのとこ行ってニコニコ笑いながらね、「パクさーん」って言って、Aさんっていう他のアニメーターを引っ張ってきて、「この人とやるといいよ」とか言って薦めたりするんですよ(笑)。
阿川:
ひどい人だね!(笑)
鈴木:
高畑さんが、近ちゃん欲しがってるの知ってて、そういうこと言うわけですよ。で、高畑さんは、そういうときニコニコしてるんですよ。
それで、ぼくが高畑さんに「近ちゃん、高畑さん必要ですよね?」って言うと、「はい」って言うんですよ。言い方が温厚なんです。
それで、ぼくが「近藤さんやらないってなったら、どうなります?」って言ったらね、「この作品は、出来ませんね」って言うんですよ。これが高畑さんなんですよ。
阿川:
悲しそうに?
鈴木:
いや、さらっと言うんですよね。
そうすると、どうしてもぼくとしては、近藤さんを高畑さんに付けなきゃいけない。ところが、宮崎駿はまた近ちゃんを毎日のように攻めてる。二人からこうやって引っ張りだこなんですよ、ずっと。
この近藤喜文っていうのは。もしかしたら、日本が生んだ最大のアニメーターだったんですよ。だから、両方とも欲しいんですよ。
例えば、宮崎駿だってね、『トトロ』っていうのは一回マジメに作りたかった。何をかっていったら、自分の作るアニメーションは漫画だ、と。でも、リアルをやってみたい。例えば、4歳の女の子っていうのは歩くとき、前のめりか、後ろのめり。それをやれるとしたら、その力は自分にはない、と。宮崎駿は、自分で決めるんですよ。
コンちゃんさえ手伝ってくれるなら、それが出来るかもしれない。で、やりたくなったわけですよ。
だから、幻の『となりのトトロ』っていうのはね、自分が監督で、絵は近藤喜文にやってもらう。っていう構想を考えたんですよ。
ところが、高畑さんも『火垂るの墓』やるとき、その近藤喜文を欲しがってるのは宮さんも分かってますから。それで毎日のように説得するわけですよ。しかも、涙ぐましいことまで言えば、宮崎駿は所沢。その、コンちゃんは清瀬に住んでたんですよ。で、いいですか、アニメーションって、絵コンテっていうのを描いていくわけですよ。
毎日、絵コンテを描くでしょう。出来上がった分を、毎晩郵便ポストへ持ってったんですよ、宮崎駿は。で、延々続けるんです。
でも、近藤喜文はね、そんななか高畑さんは何も言ってこない。で、「自分はどうしよう」って。「鈴木さんが選んでくれ」って言うんですよ。
阿川:
なんだろう、そのお嫁に行くときの娘みたいな(笑)。
で、鈴木さんが選んだんですか?
鈴木:
「じゃあ、『火垂るの墓』やってください」って。
阿川:
それはなんで?
鈴木:
だって、高畑さん、彼がいなかったら作らないんだもん。
「近ちゃん、高畑さんのやつやってくれ」と。それで、まあ「分かりました、やります」って。
で、その日ね、夜ね、当時阿佐ヶ谷に宮崎駿の事務所があったんですけど。宮崎駿って、凄い勘が良いんですよ。ぼくは言いに行かなきゃいけなかったんですよ。で、夜ね、訪ねたんです。一人で行きましてね。
『ナウシカ』の漫画なんか描いてたんですけどね。「宮さん、います?」って言ったらね、「あぁ、いますよ」って。で、ぼくの顔見た瞬間、「何の話か分かりますよ」って。
で、ぼくもう口出せないでしょ。「どうせ、近ちゃんが『火垂る』やるんでしょ?」って。「わかりましたよ。ぼく、明日から入院しますから」って。
阿川:
なにそれ(笑)。
鈴木:
近ちゃん取られた腹いせにね、やめるって言い出したら、みっともないからね。でも、「おれが腱鞘炎で入院すれば、『火垂る』だって作れないだろう」って。それで次の日の朝ね、ぼく忘れもしないですけど、8時前に電話かかってきたんですよ、宮さんから。
夜中に帰って、ほとんど寝てないんですよ。電話出たらね、「宮崎です」って。で、いきなりね「近ちゃんを殴りました!」って言うんですよ。で、ぼく「えーっ!」って目が覚めて。
そしたら「夢の中で」って言うんでね。それで、「気持ちがすっきりしたから、もうやりますから」って。
もう、そういう男なんですよ。しょうがないんですよ。
阿川:
なんか、けっこう子供っぽいのね、ジブリも。
鈴木:
いいじゃないですか!(笑)
阿川:
うふふ。可愛いって言うの? 大好きな人を取るとか、取らないとか。なんか、可愛いっていうか。
鈴木:
まあ、愛すべき人ですね。
近ちゃんね、実をいうとその後、死んじゃうんですけどね。50歳にならないうちに死んじゃったんですからね。
ぼくは、その近藤喜文と二人でね、仙台の寿司屋で、近藤喜文が延々と泣いたのを覚えてますよ。
ふとふり返ると 近藤喜文画文集 高畑勲監督、宮崎駿監督の作品を支えたアニメーター・近藤喜文の心温まるスケッチ集。 |