コクリコ坂から宮崎吾朗監督の『コクリコ坂から』が、「金曜ロードSHOW!」で放送されます。2013年1月以来、3年半ぶり。2回目の放送となります。
ということで、例によって例のごとく、テレビ放送に合わせまして、『コクリコ坂から』の豆知識を集めてみました。



宮崎駿が若い頃に映画化しようとした

コクリコ坂から
宮崎駿監督は、少女漫画の『コクリコ坂から』が映画になり得るか、信州の別荘で企画会議を行なった。そのときのメンバーに若かりし、押井守、庵野秀明、飯田馬之助が参加している。その当時は、原作に出てくる学生運動が、時代と合わないことから企画は頓挫した。

『コクリコ坂から』の舞台は横浜をモデルにしている

コクリコ坂から
コクリコ荘から見える景色は「港の見える丘公園」が参考にされており、海と俊がコロッケを買い食いした元町商店街や、氷川丸、マリンタワー、ホテルニューグランド、山下公園付近など、横浜らしい風景が数多く登場する。

映画に登場する「UW旗」は、ジブリの屋上にも揚げていた

コクリコ坂から
『コクリコ坂から』制作中に、作画の参考用としてジブリの屋上には「UW旗」が揚げられた。

原作漫画では、北斗は男性として描かれている

コクリコ坂から
コクリコ荘を「女性の園」、カルチェラタンを「男の魔窟」にして対比的に見せるため、シナリオの段階で変更された。

宮崎駿が『コクリコ坂から』のワンシーンで泣いた

コクリコ坂から
特番で放送された「『コクリコ坂から』はこうして生まれた」では、初号試写の際に、物語の重要な鍵を握る海と俊の父親を含む3人の男たちが記念写真を撮影するシーンで、宮崎駿が思わず涙を見せた。
宮崎駿が書いた脚本にはなかったという同シーンは、当時プロデューサー見習いをしていた川上量生の提案によるものとされている。鈴木敏夫プロデューサーの昔の家族写真も参考に描いたという。

モデルとなったジブリのスタッフたち

コクリコ坂から
個性の強いカルチェラタンの学生たちは、スタジオジブリのスタッフがモデルとされている。

徳丸理事長は、徳間康快がモデル

コクリコ坂から
港南学園の理事長、徳丸理事長のモデルは徳間書店を設立し、スタジオジブリの初代社長でもある故・徳間康快がモデルとなっている。
徳丸理事長の声優を務めた香川照之は、徳間社長の追悼映像を見て、喋り方を研究したという。
徳丸理事長のいるビルは、新橋にあった徳間書店の旧社屋をモデルに描かれている。

真善美

徳丸理事長の部屋にある「真善美」の文字は、徳間康快社長が戦後まもなく「真善美社」という出版社を立ち上げたことから、その言葉が額装されている。

ナンバープレートに遊びがある

コクリコ坂から
源さんの乗るオート三輪のナンバープレートは「5963(ごくろうさん)」で、徳丸理事の車は「「1090(とくまる)」となっている。

カルチェラタン

コクリコ坂から
港南学園のクラブハウス・カルチェラタンは、学生街として有名なパリのカルチェ・ラタンの名称を借用して付けられたもの。
明治時代に建てられた清涼荘という寄宿舎だったという設定がある。「これさえあれば映画になる」という理由から、宮崎駿監督が建物をデザインしている。