映画監督・宮崎駿を論じた『クリエイターズファイル 宮崎駿の世界』という書籍があります。
鈴木敏夫プロデューサーを始め、押井守監督、ジブリで作画監督を務めた安藤雅司さんなど、各界の著名人が宮崎駿が何者であるか批評しており、辛辣な評価もあることから、発売当時は「宮崎駿の暴露本」とも呼ばれました。
今では、宮崎駿監督のドキュメンタリーがたくさん作られていて、映画作りにおける厳しい姿もたくさん放送されています。
しかし、この本が発売されたのは、2004年12月。『ハウルの動く城』を公開したころ。この当時は、今ほど宮崎監督の狂気が語られていなかったので、一歩踏み込んだ内容と受け止められていました。
現在、改めて読み直してみると、また違った視点で見ることができます。
クリエイターズ ファイル 宮崎駿の世界
鈴木敏夫×石井克人
「ハウルの動く城-天才の創り方-」
押井守×上野俊哉
「宮崎駿の功罪」
安藤雅司×吉田健一×村田和也
「元スタジオジブリスッタフ雑談会 人間・宮崎駿に学んだこと。」
鈴木敏夫さんや、元スタジオジブリのスタッフ、押井守監督が知っている宮崎駿監督とは、どんなの人なのでしょうか。
モノづくりにおいては、綺麗ごとだけでは済ませないという、宮崎監督が明かされています。
宮崎駿は、自分が才能あることを解っていない
鈴木:
宮さんは、誰が描くかということを全部想定しているんですよ。石井:
そうなんですか。鈴木:
誠実だけれど面白味がないようなアニメーターには、最初からそういうシーンを設定するんですよね。絵は無茶苦茶だけれど、動きを描かせたら面白いようなアニメーターには、動きのウェイトが大きいシーンを設定する。ストーリーボードを描いていく時に、頭の中に全部あるんですよね。だから彼が解らないのは、当てる声だけですよね。(略)
それで、「この人だったら、この程度まではやる筈だ」というようなことが、全部頭の中に入っちゃってる。「あの人はやるけれど、どうせ上手くいきっこないから、後で自分でやろう」というようなことまで、想定しながら最初から決めて描く。
だから、自由に絵コンテを描いていないんですよ。最初からやれることを描いているんです。(略)
今まで映画をいっぱい作ってきたでしょ。なのに、未だに「自分は本当はアニメーターになりたかったんだ」って言っているんですよね。「監督をやりたくない。なんで俺がやらなきゃいけないんだ」って。でも、結果はやっているんですよね。不思議な人ですよね。
自分が才能あることを、よく解っていないんですよね。努力すれば皆できると思っているわけ。だから本当に、常にどこかのシーンは偶然から生まれているんですよね。やった後も、全体から見ればどうかとか、理屈では考えない人だし。本能で考えますよね。
才能の高い人は、概して自分の才能に自覚的ではありません。自分にできることは、他の人にもできるだろうと考えがちです。この点は、宮崎監督も例外ではないようです。
スタジオジブリから、演出家を育成するのに苦労した所以とも言えるかもしれませんね。
スタジオジブリは学校
宮崎駿監督と旧知の仲である押井守監督は、宮崎監督の組織作りをどのように見ているのでしょうか。
押井:
スタジオっていう撮影所的なものは厳然としてあって、そこで作業する人間は、基本的にはフリーでやっている。作品については、特にクオリティの高い作品であれば、大体、同じスタッフがやってる。それが、プロダクションI・Gであり、マッドハウスであり、ジブリであり、4℃とかね。そこら辺をぐるぐる回っているだけなんです。(略)
上野:
宮崎さんて、そういう人の動き、つまりやり方や文化が違う、流浪する職人たち(アニメーター)の人心掌握やコントロールが、昔からできたんですか。(略)
押井:
実はね、結構毎回変わってる。というのは、ある時期まで自分のスタッフを全部囲い込もうとした。それこそエンクロージャーですよ。上野:
なるほど、まず動かなくすることを考えたんですね。押井:
そのためにジブリを作ったのね、ある意味では。受け皿としてね、もちろん、優秀な人間しか集めないわけだけど。とにかく多少腕が良くても、性格に問題のある奴を最初に全部はじいちゃうっていうのがある。そして、最初は明らかに自分の囲い込んだスタッフを育てながらものを作っていくっていう体制を作ろうとしたんですよ。だから、当時としては、破格とまではいかないけど、そこで働くスタッフたちは、かなり厚遇されてたわけね。給料も良かっただろうし、あの人は細かいとこまで全部面倒を見るんですよ。それこそ、皆が弁当を食う食堂があそこにあるわけだけど、そこには大きな鉢があって、そこにインスタントみそ汁が山ほど積んであるわけね。好きに飲んでいいわけ。そういうことも全部あの人が支持するわけですね。当時、そこでしか飯食っちゃいけなかった。自分の机で飯食わせない。あめ玉しゃぶっても怒る。煙草吸いながら仕事するなんてのは10年早いっていうさ。(略)
基本的には、学校というかさ。僕は道場だって呼んでたんですけどね。もちろん、就業時間も厳しい。ちゃんと10時までに入れとかさ。
上野:
では、結構スターリニズムだったんですね(笑)。押井:
もちろん。だから僕は、ジブリはスターリニズムだという風に言い続けて来た。頭の中まで全部、支配しようとしてる。自分と同じ考え方、同じ人間を無数に作り出そうとしたのね。あの人は否定するかもしれないけど、結果はそういうことでしかなかった。いわゆる、イデオロギーを全部注入し続けた。
「スタジオジブリは学校のような場所」というのは、ジブリのスタッフの方も言っていましたね(『夢と狂気の王国』参照)。宮崎駿監督は、「人間は、こうあるべきだ」という理想が強い人なのでしょう。スタジオジブリは、規律を重んじる、教育の場に近いようです。
以前、なにかのインタビューで、宮崎監督はこう言っていました。
創りたい作品へ、造る人たちが、可能な限りの到達点へとにじりよっていく。
その全過程が、作品を創るということなのだ。
生活面を含めた全過程が、作品を作るために必要なことだったのだと思います。
ちなみに、ジブリをスターリニズムと揶揄する押井監督に、宮崎監督はこんな反応をしていました。
押井守は生活を大事にする人
形而上学的なとこで生きる人間じゃない
――押井守の宮崎駿評と、宮崎駿の押井守評ほど面白いものはないですね。
宮崎:
いや、基本的には友人ですからね。だから、元気に仕事をやっててほしいんですけどね。でも、押井さんはね、本当はものすごく生活を大事にする人で、彼が作ってるような形而上学的なとこで生きる人間じゃないと思うんですよ。もう無理矢理70年で止めちゃってね、ぐずぐず言ってるけど、本当はものすごく健全で、潔癖な男なんですよね。――鋭いですね。
宮崎:
そんなこともうちゃんとわかってますよ。朝早く起きて、夜は寝るもんだってね。そのくせジブリはスターリン主義だとか、いろんなこと言うんですね(笑)。
ジブリを出たことで、宮崎駿の凄さがわかる
元スタジオジブリのスタッフ三名の座談会では、内部にいた人間ならではの濃い話が披露されました。
安藤雅司さんと、吉田健一さんは、スタジオジブリのアニメーター研修制度、二期生として入社。村田和也さんは、そのすこし前の演出研修、一期生で入社されています。スタジオジブリで演出助手や原画マン、作画監督などを務め、大きな活躍をした方々です。
ジブリで監督を務めた、米林宏昌さんの先輩にあたります。
安藤:
なんだかんだと宮崎さんに文句を言ったりすることも多いけれど、ジブリにいる時に宮崎さんたちから受けていた庇護というのは、かなり大きかったと辞めてから改めて感じます。相当守られていたなって。守られている以上は、宮崎さんから色々と厳しい叱咤をされたとしても、それはやっぱり勉強をしなければいけないのかなと。それだけ許されていることがいっぱいあるんだ、というのは感じますよね。吉田:
宮崎さんが作品に対する考え方を色々と言うんですけれど、それを聞いているうちに、宮崎さんの作品の見方がそのまま自分に入っちゃうんですよ。知らないうちに。他のスタジオで作られたアニメを観る時も同じで、その見方を借りていることが多いんですよ。今でもそれはある。だけど当時は、盲目的に信じているところがあって。(略)
安藤:
一種の宗教ですよね。洗脳されていく。吉田:
本当にそう思う。もちろん、問題は自分のほうにあるのだけど。(略)
村田:
一回ジブリを出て、別の現場を知った上で、改めてジブリの仕事をしたいと思って来るなり、仕事をしてくれと言われて来るなり、自分の選択のもとに来ている人たちというのは、個人としてちゃんとモチベーションがある。対ジブリとして、自分は果たして何をするのか、と考えることができるんだけど、内側に囲われちゃっている人というのは、上から言われたらそれをやるしかないし。その中でも自分のテーマみたいなものは見つけようがあると思うけれども、ただ、生徒だった自分から職業人の自分にカチッと切り替えられるかっていったら、多分できない。(略)
安藤:
もちろん、技術的に宮崎さんが優れている部分はいっぱいあるんだけれども、それ一色ばかりを見ていると、その意味とか、有効性みたいなもの、表現がどれ程の力を持っているのかっていう検証が、実際にできなくなる。宮崎さんのパターンを踏襲していくだけの繰り返しというか、同じように描いていても、意味を持たないものを描いているような意識を持ってしまって。だから、全然違う形で、同じようなことを表現しようとしている人たちを見ていると、宮崎さんのすごいところが、むしろ際立って見えてくる。
そういうものをちゃんと知っておかないと、宮崎さんのすごさが自分の身になることもないんじゃないかって。
距離が近すぎると、ほんとうの魅力が見えなくなってしまう、というお話です。
現在、スタジオジブリは制作部門が解体され、殆どのクリエイターはフリーランスになったようです。
以上の話を踏まえると、ジブリが雇用制度を廃止したことが、プラスになって返ってくるようにも思えますが、いかがでしょうか。
既に、ジブリ出身のアニメーターが、他のスタジオで監督を務めていますし、米林宏昌監督も、次の企画に取り掛かっていることが報じられました。
鈴木敏夫プロデューサーも、次の企画を検討していると言います。アニメーション制作会社としてのジブリは、今後も続いていきます。
ジブリ育ちのクリエイターが活躍するのは、これからなのかもしれません。宮崎駿から得た創作遺伝子を、ジブリで発揮する演出家が出てくることを願ってやみません。
クリエイターズ ファイル 宮崎駿の世界 鈴木敏夫×石井克人『ハウルの動く城-天才の創り方-』 押井守×上野俊哉『宮崎駿の功罪』 安藤雅司×吉田健一×村田和也『元スタジオジブリスッタフ雑談会/人間・宮崎駿に学んだこと。』など、著名人たちが語る宮崎駿の世界! |