富野由悠季

富野由悠季監督といえば『機動戦士ガンダム』が有名ですが、それ以前の作品では『アルプスの少女ハイジ』や『未来少年コナン』などで絵コンテを描き、宮崎駿監督とも一緒に仕事をした経験があります。
同年生まれのクリエイターであり、昔の宮崎駿をよく知る富野由悠季監督は、スタジオジブリ設立から現在までの宮崎駿をどのように評価しているのでしょうか。各メディアで語った内容をまとめました。



宮崎駿と鈴木敏夫が組んで、うまくいくわけがないと思った。

富野:
宮崎駿は1人だったらオスカーなんか絶対取れませんよ。個人的に知っているから言えるんですが。彼は鈴木敏夫と組んだからオスカーが取れた。組んだ瞬間僕は「絶対半年後に別れる。こんな違うのにうまくいくわけがない」と思いました。知ってる人はみんなそう思ったんです。

それがこういう結果になったということは、あの2人が半分は自分を殺して半分は相手の話を聞いたんです。みなさん方も、お前ら1人ずつじゃろくなもの作れないんだから最低2人、できれば3人か4人。スタジオワークをやる気分になってごらん。そしたらあなたの能力は倍、3倍になるはずだから。オスカー取りに行けるよ、という見本をスタジオジブリがやってくれているんです。

当事者はそういう言い方しないから脇で僕がこう言うしかない。宮崎さんが公衆の面前で「鈴木がいてくれて助かったんだよね」と本人は絶対言いません。どう考えてもあの人、1人では何もできなかったんです。「ルパン三世」レベルでおしまいだったかもしれない。本人に言ってもいいです、知り合いだから。

そういう時期から知っているから、そこでの人の関係性も分かってますから。我の強い人間のタチの悪さも知っています。みなさんもそうですよ。隣の人に手を焼いているとか、「あいつがいなけりゃもっと自由にできる」と思ってる人はいっぱいいるだろうが、若気の至りでそう思ってるだけだから。若さ故の過ちというやつですよ(笑)。これ、笑わなかった人は笑った人に理由を聞いて下さい。それは絶対にあるの。

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本来、ロリコンなんでしょ、だったらそれ言っちゃいなさいよ。

富野:
僕なんかの世代からみた時に宮崎作品に共通することなんですけど。我々の世代のエンタテインメントに関する弱点が見えすぎてるって気がしますね。特に映像に対して。どっかで「映画って高尚だ」と思っているんだろうなって。
僕が、いつも使ってる言葉で、オープンエンタテインメント、つまり、みんなで「ワーっ」と見ちゃう、そういうお楽しみ、活動大写真だったはずなんだけど。それが……やっぱり、宮さんとか高畑さんは頭がイイんだよね。技術あるんだよね。感性も、それほど悪くない。……まぁ、ロリコン趣味以外は。

(略)

だから、さっきも言った宮崎さんのフィルムがロリコン趣味の部分が見えてね、って事についてね。「本来、ロリコンなんでしょ、だったらそれ言っちゃいなさいよ」。それを言わないでこうしてるから、いけないんだ。どういうことかっていうと、白いパンツが見える、その瞬間を、この描き手というか、演出家が、ファッションでしか見せていなかったり、知った風なものでしか見せていなかったり。(キャラクターの)肉付きがね、見えるって所まで意識しないで出すんなら、それは止めて欲しい。
それで、パンツの向こうも、もうひとつ脱がしたいんだろうって、それがあるのか、無いのか。やっぱり知った風な、ロリコン漫画風になっているのなら、それこそ教育上良くないから止めて欲しい。アニメなんていくらでも、見せないで済ませられるんだからね。
見せるからには、少女のお股の所に食い込んでいる白いパンツがね、光っているのか光ってないのか。「見えちゃったんだよ」なのか、「見えたから、どうなんだ」という部分なのか?
それはキチンとやって欲しい。例え、セル絵であってもなの。
だから、「その子のパンツを見てしまった」「見えてしまった」「見なくちゃいられなかった」。つまり、どっちかキチッとしてくれないと。そのキャラクターを出した意味が無いというよりも、僕、失礼じゃないかと思うんですよ。うかつにパンツを描いちゃって。失礼じゃないか。

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『となりのトトロ』は気負いのない作品

――富野さんが認めるアニメを知りたいんですけど。

富野:
基本的にアニメ嫌いだから。

――アニメ嫌いっていうのは、どういう意味ですか?

富野:
だって、仕事だから。

――プライベートで、他のアニメ作品を見たいとは思わない?

富野:
結局、見るのは仕事のためを意識して見てますし。そういうご質問に対しては、『となりのトトロ』って作品は、かなり好きだし、名作だと思ってますけど。それ以外に、そんな好きなアニメや映画があるかって言われると、あんまりないですね。どうしてかっていうと、こう作るんだったら、こう作るぞ、っていう対論が出てくる気分があるからです。

――『となりのトトロ』は、なんで好きなんですか?

富野:
なんていうのかな、監督でもあるし、ストーリーそのものも宮崎駿さんが作ってるんだけど、かなり自然体で作れた。なおかつ、アニメーター出身の演出家の、気負いのない作り方っていうのが見えていて。作りとして、極めて素直で、作為が見えない。まあ、多少はあるんですけどね。それはさておいて、このくらいにスルッと作れたら、良いんだけれどもな、この芸がなかなか……。それで、簡単に見えるわけです、作品的にも。「これが出来ないんだよね」って。
これは、宮崎監督自身も、意識してそういうふうに楽に見えるように作れたかというと、きっとコネコネやったんだろうなって、想像つくのもあるんで。
かなり、作品としては理想的な、手描きアニメの佳作として、極めて長いあいだ残る作品だと思っています。

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宮崎駿は作家であり、僕は作家ではなかった。

富野:
オスカーをとっているスタジオジブリの宮崎駿監督のように、僕がなれなかったのはなぜか? 彼とは同年齢なのですが、「彼は作家であり、僕は作家ではなかった」。つまり、「能力の差であるということを現在になって認めざるを得ない」ということがとても悔しいことではあります。

――以前、宮崎駿監督がここに来た時に言ったことなのですが、どの作品にも寿命というものがあり、映画については30年が限界ではないかと言いました。ガンダムはすでに30歳です。今の若い世代にもガンダムは何か訴えることがあるのでしょうか?

富野:
宮崎監督は作家として作品論を言っていますが、ガンダムは作品として完結していないのです、ガンダムはコンセプトしか定義していなくて、実を言うと作品になりきっていないのです。そういう意味で僕は「宮崎監督に負けた」という敗北感を持っているのですが、根本的に宮崎さんのお話している作品論とガンダムは寄り添っていません。

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『風立ちぬ』を見て、「単なるメカオタクじゃない」とわかりました。

富野:
『風立ちぬ』で何よりも重要なことは、飛行機というものが複葉機の初期の段階までは個人レベルで作れるものだったけど、発展していくにつれて莫大な資金が必要になり、軍事用に作らざるを得なくなってしまった。でも、イタリアにはカプローニという貴族出身の技術者がいて、個人でかなりの大型飛行機を作っていたんです。

――『風立ちぬ』の主要な登場人物の一人ですね。主人公の二郎が崇拝している。

富野:
映画にはそのカプローニと夢のなかで出会うシーンがあって、「家族みんなを連れて、好きなところに旅に出かけられたらいいね。君もそんな飛行機を作りなさい」と言われる。それで彼は「頑張ります! 僕も美しい飛行機を作ります!」と答えるんだけど、最後にもう一度カプローニに会う。堀越の“飛行機を作る”という夢は確かに実現した。「でも、僕が作ったあれは、一機も戻ってきませんでした」と彼は声を振り絞るんです。その瞬間、頭上をバーっとゼロ戦の大群が飛んでいって終わる……。(感極まって)もう本当に僕は、この物語を話しているだけで駄目なんですよ。悲しくて。

宮崎監督はゼロ戦の功罪、そして技術者の功罪というのをしっかり描いているんです。僕は『風立ちぬ』を見て初めて、「単なるメカオタクじゃなかったんだな」ってわかりました。あるところで今回の制作スタンスを明言していたのですが、「軍事オタクからゼロ戦を取り戻す」という意思で作ったそうです。ネットなどでは「今さら何を言っているんだ」と叩かれていると思いますよ。でも、そのぐらい好きで、メカのことをわかっていないと、人と道具の関係性なんて正確に描けないです。

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僕は、宮崎さんにバカにされたことがある立場の人間

――富野監督は、宮崎駿監督と同じ1941年生まれの同世代です。宮崎監督は先日、監督復帰を宣言されていますが、同じアニメ監督として意識される点はありますか?

富野:
同世代だから意識はします。かつて一緒に仕事をしたこともありますし、バカにされたこともある立場の人間ですから、嫌でも意識はします。

――バカにされた、とはどのようなことなのでしょうか。

富野:
これは説明できない部分でもあります。「そこを言ってくるか」という見識、知識の問題です。宮崎監督と自分を比べると、その点では歯が立たちません。さっきから僕が言っている「メカが好き、ロボットが好き、だけでロボットものが作れると思うなよ」と強調しているのは、言ってしまえば、宮崎監督が僕に言ってくれたことなんです。何を言われたかと言うと、「富野くん、それ読んでないの?」その一言。宮崎監督が聞かれたのは“堀田善衞“氏の著書で、知らない本ではなかったから、本当は反論したかったけど言葉が出てこなかったんです。家の本棚にはその本があって、半月前に半分くらい読んだ本でした。宮崎監督は大学時代から堀田善衛氏の本を読んでいて、アニメ作家になってからはその人とも付き合いがあったようです。そういう意味で学識の幅とか、深みが圧倒的に違う、僕では競争相手にならないと思いました。

――1974年に放送されたTVアニメ『アルプスの少女ハイジ』ではいっしょに仕事をされています。宮崎監督の仕事ぶりというのは?

富野:
当時、『ハイジ』であれば5日もらえれば1本の絵コンテを書いてみせる、という早書きの自信がありました。僕は虫プロ時代(アニメ制作スタジオ『虫プロダクション』)に手塚治虫先生の早書きも見ていますが、手塚先生と宮崎監督の動画はちょっと違います。宮崎監督はTVサイズに合わせたものを描く。それに比べて、あくまで手塚先生はアニメに憧れているディズニー好き、という印象でした。ただアニメではそうだけど、手塚先生は漫画家、ストーリーテラー、アイデアマンとしてだったら誰にも負けないでしょう。宮崎監督より3倍くらい上かも知れません。そんな2人の早書きを見ていたら、僕なんか歯が立たないとわかってしまいます。

――手塚治虫、宮崎駿という二人の凄みとは?

富野:
手塚・宮崎のような作り手をそばで見ていると、ひとつの目線だけでアニメを作れるとは思えなくなります。宮崎監督は『紅の豚』が作れるから『風立ちぬ』も作れるんです。どういうことかというと、メカのディテールはもちろん物語の描き方も熟練しています。だから、『風立ちぬ』みたいな巧妙な作劇ができるんです。僕からすると、あの作品はアニメという枠を超えた“映画”なんです。最近でいうと、片渕須直監督の『この世界の片隅に』が、アニメではなく“映画“であると言えます。その凄さを理解したうえで、僕はこの年齢になっても巨大ロボットもので“作劇のある映画”を作りたいと思っているわけです。

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