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『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』を文字起こし

先輩ROCK YOU

先日放送された、日本テレビ系列番組『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』のスタジオジブリ特集を見逃した方も多かったんじゃないかと思い、文字に起こしてみました。

番組はとても面白かったんですけども、文字にしてみると臨場感の欠如からか、番組の印象ほど面白くなかったり、ジブリファンの方にとっては何度も見たことのある話になっているかもしれません。

バラエティ番組の賑やかさを思い浮かべて、想像力で補いながら読んでみてください(笑)。
最後に鈴木さんが話していた、好きな言葉がとても良かったです。

出演は、鈴木敏夫プロデューサー、宮崎吾朗監督、ジブリでプロデューサー見習い中の川上量生さんの三人です。

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「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」スタジオジブリ特集

11月26日放送の日本テレビ系「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」はスタジオジブリ特集です。
鈴木敏夫プロデューサー、宮崎吾朗監督、プロデューサー見習い修行中の川上量生さん(ドワンゴ代表取締役会長)がゲスト出演し、創作の秘密に迫ります。

ジブリファンの皆さん、見逃さないようにしましょう!

番組内容

  • 日本が世界に誇る「スタジオジブリ」スペシャル!その内側は映画よりもドラマチック!企画書がない!脚本がない!結末が決まってない!だから誰もマネできない
  • 宮崎駿&吾朗親子の葛藤…息子は父親に逆らってアニメの道を選んだ…父親はポニョで息子への謝罪を描いた
  • トトロのポスターに現れた「誰も知らない」謎の少女
  • 宮崎駿の絵はインチキ!現実にはアリエナイ風景のマジック
  • IT業界カリスマ起業家がジブリで見習い修行中

放送

2011年11月26日(土)放送[日本テレビ系] 午後11:00~11:30

「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」と「iCon」に、宮崎吾朗・鈴木敏夫・川上量生が出演

日本テレビ系番組「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」と「iCon」のふたつの番組に、宮崎吾朗監督や鈴木敏夫プロデューサー、川上量生さんが出演します。
川上さんをテレビで見ることはあまりないですし、楽しみですね。

iConロケを終えたあとの土屋敏男さんが、自身のTwitterでこんなつぶやきをしていました。

@TSUTIYA_ON_LINE
恵比寿から本郷三丁目へ移動中。iConロケでのジブリ鈴木さんとドワンゴ川上さんとの対談がとても楽しかった。一切の先入観を捨て去る事。自分が見たもの、触った感覚を信じること。、ん、そしてそれらを大俯瞰で見てしまう人たちの話。

 

番組情報

番組名: 「心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU
放送日時: 11月26日(土)23:00~23:30
出演: 宮崎吾朗、鈴木敏夫、川上量生ほか

番組名: 「iCon
放送日時: 11月29日(火)1:39~2:09
出演: 鈴木敏夫、川上量生、土屋敏男プロデューサーほか

映画『コクリコ坂から』の照らす道

コクリコ坂からジブリの最新作「コクリコ坂から」を観てきました。
監督は、宮崎駿の息子の吾朗さん。ゲド戦記での失敗が記憶に新しいところですけども、今回は企画・脚本を宮崎駿さんが担当しています。ゲド戦記のときは親子喧嘩をしてましたが、今回は駿さんも息子へ助け舟を出しています。親子による、はじめての合作。演出家としての実力が試される作品です。
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「コクリコ坂から」宮崎吾朗監督に聞く

読売新聞に、宮崎吾朗監督のインタビューが掲載されています。

 松本市中央の市美術館で開催中の「スタジオジブリ・レイアウト展」に合わせ、今夏公開されたアニメ映画「コクリコ坂から」の宮崎吾朗監督(44)が同市を訪れた。信州大農学部出身の宮崎監督は読売新聞のインタビューに応じ、学生時代に知り合った人々のイメージが作品にも反映していることを明らかにした。

 
 
 ――松本に戻った印象は。

 「学生時代に比べてずいぶんきれいになったが、街並みが変わっても周りの山々は変わらない。そのお陰で『変わっていないんじゃないか』と思わせてくれる。それが松本の良さ」

 ――学生時代の思い出は。

 「松本では南浅間に下宿した。橋を渡るのが面倒で、冬場は水がなくなった女鳥羽川を渡って大学に通っていた。サークルは児童文化研究会。近所の子供を集めて遊んだり、人形劇を作って保育園を回ったり。2年生以降は伊那に移ったが、サークルのため、授業が終わったら毎日松本に来ていたくらい熱中していた」

 ――信大を選んだ理由は。

 「父(宮崎駿監督)と違う道を選びたいと思っていた。高校では山岳部だったので、森林工学科がある信大に進学した。色んな友達ができて、経験したことが今の自分を作る大事なものになっている」

 ――大学時代の経験で作品に影響しているものは。

 「『コクリコ坂から』の中で、学生たちが部室として使う古い建物『カルチェラタン』に住み着く個性豊かな人々は、学生時代の仲間がイメージにある。長野の人って、理屈っぽくて頑固で。そういうところが好き。私の学生時代は、まだどこか『旧制高校』的なバンカラな雰囲気が残っていたのかも」

 ――レイアウトの魅力は。

 「キャラクターがかわいいとか、話が好きとかいうだけでなく、やはりアニメは動く『絵』。絵として魅力があることが大事。それを作る最初の段階が、画面を作る上の設計図であるレイアウトで、そこにジブリ映画の秘密が全部入っている。一つ一つがどういう意味を持つか分かって見てほしいので、音声ガイドも使ってもらえれば。(ジブリの)高畑勲監督と宮崎駿監督の画面の作りの違いも、じっくり観察すれば分かる。大勢の方に見てもらいたい」

松本市美術館で宮崎吾朗監督が講演会

「スタジオジブリ・レイアウト展」を開催中の松本市美術館で、11月5日、宮崎吾朗監督による特別講演会が行われました。

 宮崎監督は信州大学農学部卒業ということもあり、久しぶりに訪れた松本の印象や、大学生時代の話からスタート。信州大学を選んだ理由を聞かれ「高校のとき山岳部に入っていた。信州大学なら山も近いし、二次試験に数学がなかったので『これはいい』と思って…」と答えると、会場からは笑いが起こった。

 宮崎監督は「コクリコ坂から」を例に、全体の流れを活字でまとめたシナリオ、それをより具体的に絵に起こした絵コンテ、実際のレイアウト、レイアウトを元に作成した背景やセル画を持参し、スライドを使って専門用語や完成までの流れを細かく説明した。「レイアウトは画面の構成を設計する大切なもの。全てこの段階で決められるので、ここがいい加減だと、あとのものもいい加減なものになってしまう」とレイアウトの重要性を話した。

 次回作については、「再来年くらいだと思う。実は父(駿さん)が今作り始めていて…。すごいです。よくこんな映画作るなと思う」と話すと、会場からは「おぉ」と声が上がった。来場者には、参加記念として「コクリコ坂から」のヒロイン・松崎海が描かれた色紙がプレゼントされた。安曇野市から母親と弟と来たという高島琢登くん(11)は「難しい話もあったけど、映画のことがよくわかったので面白かった。ちょっとやってみたいと思った」とうれしそうに話した。

11月5日、宮崎吾朗監督の講演会のお知らせ

「スタジオジブリ・レイアウト展」開催中の松本市美術館にて、宮崎吾朗監督が講演会を行ないます。

吾朗監督は、東京展(2008年7月~9月)で展示監修を担当。
「ゲド戦記」「コクリコ坂から」の制作を通じて感じたレイアウトの重要性や、制作秘話、信州大学在学中の思い出などなどをお話する予定です。

希望者は抽選となります。
 

講演会詳細

11/5(土)15:00~ 松本市美術館 講座室にて
抽選でペア50組100名様まで

<お申し込みはこちらから>
https://www.tsb.co.jp/layout/lecture.html

東急百貨店の『写真で見る「コクリコ坂から」と横浜』を見る

渋谷の、東急百貨店で10月1日~10月12日まで開催されていた、『写真で見る「コクリコ坂から」と横浜の風景』を見てきました。

もう終了してしまったので、今更な感じもしますが……。

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宮崎吾朗インタビュー「存在感大きい父」

中央日報のサイトで、宮崎吾朗監督のインタビューが公開されました。一部を引用します。
『借りぐらしのアリエッティ』を誘われていたというのは、ちょっと意外でした。

詳細は、中央日報サイトでご覧ください。

宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が私の作品に涙」(1)
http://japanese.joins.com/article/149/144149.html


「思春期は父と比較されることを本当に嫌った。何をしても‘宮崎駿の息子’という声を聞いた。大学もわざと地方に行った。そこではみんな知らないと思っていた。ところが合格者発表の日、受付の窓口で『お父さんが宮崎駿さんと聞きましたが』と言われた。今は運命だと思っている」

吾朗氏は公園を造成・開発する建設コンサルタントだった。スタジオジブリと縁を結んだのは98年、東京・三鷹にあるジブリ美術館の総合デザインを引き受けながらだ。01年から4年間、館長を務めた彼は、父の長い間のパートナーであるプロデューサー鈴木敏夫氏の勧誘で「ゲド戦記」を制作することになった。

「評価が良くなくて、『もう人々の目に触れることはやめよう』と決心した。父から『借りぐらしのアリエッティ』(2010)を一緒にしようと言われたが、実際、意欲がわかなかった」

70歳の巨匠は「コクリコ坂から」の試写会でついに涙を流した。海と俊の親が若い頃の記念写真を撮る場面でだ。

「63年は、父が大学卒業後に東映動画に入社した年。個人的な思い出があったのかもしれない。60年代は日本が高度経済成長をしていた時代で、今のように拝金主義が蔓延していなかったし、まだ純粋さが残っていた。今の子どもの世代があるのも親の世代のおかげということを言いたかった。過去を捨てて生きられないのが人間だから。宮崎駿という父を持った私も同じ」

吾朗氏は「父の業績と存在感はあまりにも大きい。だから私にとって‘宮崎駿の後継者’という呼称はとんでもない」と話した。

宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が私の作品に涙」(1)
http://japanese.joins.com/article/149/144149.html

宮崎吾朗監督「存在感大きい父・宮崎駿が私の作品に涙」(2)
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=144150

宮崎吾朗、『コクリコ坂から』を語る

週プレNEWSによる、宮崎吾朗監督のインタビューが公開されました。

――今回、監督第2作を引き受けるにあたって、「どうしても映画という仕事をやっていきたい」という力強い言葉が監督のほうからあったそうですが。

「……それ、プロデューサーの捏造です」

――えぇ!? あのジブリの名物プロデューサー、鈴木(敏夫)さんの?

「はい。あの人は事実を捏造する天才なので(笑)。確か、『ゲド戦記』をつくり終わってからすぐ、『次はどうする?』って聞かれたんですね。そのときは、“やる”とも“やらない”ともはっきり答えられなかったんです。僕としては、まだアニメ監督でやっていけるのか自信もなかったし、かといって、もうジブリ美術館には戻れなかったので」
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