かぐや姫の物語

ついに、『かぐや姫の物語』がテレビ初放送されます。惜しくもアカデミー賞は逃しましたが、日本映画史に残る作品であることは間違いありません。そんな『かぐや姫の物語』を、より楽しめるように、豆知識をまとめました。
ネタバレになる情報もあるので、まだ観ていない人は、鑑賞後に読んだほうが良いものもあります。



『かぐや姫の物語』は、氏家齊一郎から始まった

氏家齊一郎 宮崎駿 高畑勲
これまで鈴木敏夫は、高畑勲と4本の映画を作り、大変な苦労をしたため、『となりの山田くん』で打ち止めにしようと考えていた。
ところが、当時、日本テレビの会長だった、氏家齊一郎の希望により、高畑勲作品を作ることになった。
「ジブリ汗まみれ」の阿川佐和子との対談で話している。

鈴木:
氏家さんは、高畑さんのこと好きなんです。ほんとに、大好きなんです。高畑さんに会いたくてしょうがないんですよ。
あの氏家さんが、高畑さんの前に出ると、口調が変わるんですよ。宮さんには、「宮さん、あんたあれだろ」ってやっていてね、高畑さんには「高畑さんは、どうなんですか?」って、全然変わっちゃうんだもん(笑)。

阿川:
作品の評価が違うんだ?

鈴木:
大好きなんです。
月に一回、氏家さんに会いに行くと、最初から最後まで高畑さんの話ばっかり。大好きなんです。

(略)

氏家さんが言ったこと。いま、81歳でしょう。「死ぬまえに、高畑の作品をもう一本観たい」って。真剣なんですよ。一年間説得されたんです、氏家さんに。で、半年後、氏家さんに「高畑の作品が作れないのは、おまえのせいだろ!」って言い出して(笑)。
氏家さんに言わせると、「高畑さんにはマルキストの匂いがまだある」って。「だから、おれはあいつの作品を観ると、普通じゃ観られないんだ」って。

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 九十九の言葉

冒頭の翁が竹を切るシーンは、作画設計・田辺修の父親の動作を参考にしている

かぐや姫の物語 翁

――冒頭の、翁が竹を切って引き倒すところは、竹取の名人の動作ですか?

田辺:
あれは、私が実家に帰った時に、父親にナタで竹を伐るやり方について質問していたら、「じゃあやってみるか」と人気のない他所の竹林に連れて行かれ(笑)、「こうやるんだ」ってシトシト小雨が降る中、実演して見せてくれたんです。もちろん、本職ではないのであのやり方は嘘かもしれませんが。

『かぐや姫の物語』ロマンアルバム

高畑勲は、本当は『平家物語』をやりたかった

かぐや姫の物語
当初、高畑勲は『平家物語』の映画化を希望していたが、作画を担当する田辺修が「殺人シーンを描きたくない」と反対し、子どもを描くことを希望したため、『竹取物語』の映画化となった。
企画の経緯を、鈴木敏夫が語っている。

鈴木:
高畑さんと話し始めたのが、2003年くらいなんですよね。最初、高畑さんが『平家物語』をやりたいっていうんでね。『平家物語』は、実は黒澤もやりたくてしょうがなかった企画。ぼくも、やりたかったんですけどね。すごい上手なアニメーターがいて、そいつがいなきゃできないんですけど、そいつが、「人を殺すのは、ぼくは描きたくない」って言うんで。それで、「何を描きたい?」ってきいたら、「子どもを描きたい」。それで、高畑さんも前から、『かぐや姫』っていうのは、日本最古の物語であると。これを日本の映画界は、誰もきちんと映像化していない。誰かがやるべきだろうって。

ブロードキャスターのピーターバラカンさんがれんが屋に。バラカンさんからのジブリに関する質問・取材に鈴木さんが答える対談形式でお送りします。

鈴木敏夫が考えたキャッチコピー「姫の犯した罪と罰。」に、高畑勲は落胆した

かぐや姫の物語 姫の犯した罪と罰

――ポスターなど、作品のキャッチフレーズが「姫の犯した罪と罰。」でした。まず、その意味するところについて伺いたいのですが。

高畑:
ジブリのキャッチコピーはプロデューサーサイドが考えて、作品をうまく見てもらうための方向付けをすることが多いんです。でも今回は違うんじゃないでしょうか。誰でもドキッとしますよね。いったいこれは何だろう、と思わせるためですね。かぐや姫と罪と罰という、ミスマッチ的な大人感覚が狙いなんでしょう。宣伝としては上手かもしれない。でもぼくは迷惑しました。やむなくかぐや姫の台詞を一部変えなきゃならなくなったし。

(略)

宣伝は予告編もふくめてノータッチ、すべておまかせだったのでどうにもならない。「姫の犯した罪と罰。」という惹句がポスターなどに書かれたのを知ってほんとうにつらく、困惑したんです。

『かぐや姫の物語』ロマンアルバム

シナリオは3時間半あった

高畑勲が書いたシナリオは、当初3時間半あったが、それを削って2時間17分の作品となった。
プロデューサーの西村義明は、3時間半バージョンも観てみたかったと、川上量生との対談で語っている。

初期のキャラクタースケッチは、リアルに描かれている

かぐや姫の物語
左から、かぐや姫、女童、翁。
女童は、遠めで見ても姫との違いがわかるようにと変更されている。

『かぐや姫の物語』は、通常より小さな紙に描かれている

かぐや姫の物語

大勢が関わるアニメーション制作では、ルールを統一するものだが、『かぐや姫』ではカットごとにフレームのサイズが変更されている。理由は、キャラクターの感情をより引き出すため。
通常ではあり得ない制作手法をとっていることが、制作の吉川俊夫のインタビューからわかる。

――素人が見ると筆で描いたようにも見えます。鉛筆でここまで線の表情をつけられるんですか?

吉川:
元々は小さい紙に描いているんです。それを映画館のスクリーンに何百倍にも拡大すれば、線の掠れや強弱がよりはっきり出る。今回は普段ジブリで使っている紙の半分のサイズの紙を使っています。

(略)

この作品ではすべてのカットごとにフレームサイズを変えていました。真っ白な紙に田辺さんがフリーハンドでフレームを描くんですけど、比率が合ってないからフレームだけ自分たちが引き直したりして。こんなこと通常あり得ない(笑)。

(略)

――それでも敢えて、方針として「サイズを決めない」ということを決めてやったということですか?

吉川:
そうでう。カットごとに適したサイズがあるはずだ、ということです。例えば、凄く感情が弾ける――怒ったり喜んだりするカットでは、できるだけフレームを小さ目にしておいて、線のぱさつきとかを見せるようにしたり。その方が、怒る時のザワついた感じが線にも出てきますので。

『SWITCH スタジオジブリという物語』

かぐや姫に求婚する男たちは欲のかたまり

かぐや姫の物語 求婚者

――原作では、見ることもできない、絶世の美女かどうかもわからない女性に、なぜみんな言い寄るんですか。とくに貴公子たちが。

高畑:
そりゃあ男の好奇心と征服欲と男同士の競い合いですよ。貴公子たちは愚直な大伴大納言以外、誰も正妻にするなんて考えていません。

(略)

通い婚というのは男には便利なものですよね。もしいやになったら、なんやかんやと口実を作って通わなければいいんですから。ダメモト。親や後ろ盾が有力者じゃなくて、すごい美女で神秘的な出生だ、ということになれば、おあつらえむき。とにかく自分のものにしようと頑張る。一旦獲得すればどうにでもなる。噂どおり素晴らしければ愛人として通うけれど、噂が単なる噂にすぎなかったのなら、ポイ。

『かぐや姫の物語』ロマンアルバム

御門のアゴは、高畑勲の提言によって長くなった

かぐや姫の物語
キャラクターデザインを見た高畑勲監督が「美男だけど一ヶ所バランスを崩してみてはどうか。たとえばアゴとか」と意見したため、御門のアゴは伸びている。

『かぐや姫の物語』の御門の「アゴ」が長すぎてブームに

かぐや姫が、十二単を脱ぎながら走るシーンは、『アルプスの少女ハイジ』のオマージュ

かぐや姫の物語 十二単
『かぐや姫の物語』の中間報告会見で、鈴木敏夫が『かぐや姫』と『ハイジ』の共通点を明かしている。

鈴木:
かぐや姫が十二単を走りながら一枚一枚脱いでいく。これはね、ハイジの中でもあるのね。山に着ぶくれて行くんだけど、一枚一枚脱いでいくっていうシーンがあるわけ。

高畑勲監督最新作「かぐや姫の物語」の中間報告会見の模様をたっぷりとお届けします!

かぐや姫が疾走するシーンは、水彩で塗られている

かぐや姫の物語 疾走
通常、アニメーション作品では、パソコン上で色をつけていくが、本作のかぐや姫が疾走するシーンでは、一枚一枚水彩で色が塗られていたことを、西村義明プロデューサーが明かしている。

西村:
これも狂気の沙汰ですけど。姫が疾走するシーンがあるんですけど、あの辺りは全部水彩で塗っています。アニメーターが描いた何百枚という絵を画用紙に印刷して、一枚一枚手作業で水彩で塗っているんです。それをやり始めた時に「この映画、絶対完成しない」と思った(笑)。これは不可抗力で、僕は経験がなくて現場を知らなかったから、制御しようがなかったんです。

『SWITCH スタジオジブリという物語』

かぐや姫が、疾走するシーンは、地球人ではない人知を超えた走り

かぐや姫の物語
疾走するかぐや姫が、里山にあっという間に着いてしまうのは、地球人ではない人知を超えた力があるため。
疾走シーンを描いた、橋本晋治がロマンアルバムのなかで語っている。

橋本:
スピード感については、高畑さんが「もっと! もっと!」って、ビシビシ言われていました。「まだ足りない。まだ足りない」って。

――地球人ではないから、人知を超えた力があると?

橋本:
打ち合わせの時は、そう言ってましたね。里山にあっという間に辿り着くという。

『かぐや姫の物語』ロマンアルバム

クレジットに名前を載せることを断ったアニメーターがいる

メインの作画は5人いたが、クレジットには4人しか名前が載っていない。
べらぼうに上手いアニメーターだったが、「ジブリ作品は目立つ」という理由から、掲載を断っている。
このアニメーターの名前は、『Switch スタジオジブリという物語』の西村義明と川上量生の対談で明かされている。

川上:
今回は日本のトップアニメーターが勢ぞろいしているそうですね。田辺修さんが作画設計・人物造形で、作画監督の小西さんがいて、メインの作画の方は四人名前が挙がっていました。

西村:
本当は五人いたんですけど、ひとりが自分の名前は載せるなって。理由は「ジブリ作品は目立つから」(笑)。僕も高畑さんもさんざん説得したんだけど、全然言うことを聞いてくれない。べらぼうに上手いアニメーターなんですけどね。

『SWITCH スタジオジブリという物語』

寝殿の足音にこだわっている

かぐや姫の物語 神殿

西村:
『かぐや姫』で、高畑さんはすごくこだわった音があって。かぐや姫が、山から都に引っ越してくるときに、寝殿造りの建物に引っ越すんですね。そこの足音。
ジブリ作品に文句言っちゃアレなんですけど、高畑さんって、ジブリ作品の足音をすごく気にしてたんですよ。「足音が大きすぎる」って。「人間が歩いている普通の音よりも、ジブリの作品は大きいんだ」と。高畑さんは、足音小さくしてるんですよ、本編では。小さくして、馴染ませてるんですけどね。
だけど、寝殿造りの足音だけは、意識的にバンと上げてるんですよ。

――確かに、タッタッタッタという音が印象に残っています。

西村:
かぐや姫が、ダダダダっと走ってる音で印象付けたいってことで、高畑さんはすごくこだわっていましたね。木は、どんな材質なのかというところまで、こだわってました。新しい木なのか、古い木なのか、それによってきしむ音を入れるのか、入れないのかとか、全部考えながら作ってるんです。

映画『もののけ姫』のブルーレイの発売を記念して「”もののけ姫”と”かぐや姫” ~二人の”姫”はこうして生まれた~」と題したトークイベントの模様をお送りします。

かぐや姫は現代の女の子

かぐや姫の物語

西村:
かぐや姫がワガママに見えるとしたら、平安時代の慣習を知らない月から来た女の子、つまり現代の女の子みたいな何も知らない子が平安時代の現実にぶち当たった時に、どう反応するかということを現実的に描いているからです。

『SWITCH スタジオジブリという物語』

背景は、あえて青空が描かれていない

かぐや姫の物語
昔の日本画は、ほとんど空が描かれておらず、空と地面は基本的に同じ色だった。余白を作ることによって空間が表現されている。しかし、かぐや姫と捨丸の飛翔シーンでは、姫が地球の素晴らしさを実感するために、青空が描かれている。

かぐや姫のお迎えは、阿弥陀如来の来迎図

かぐや姫の物語 阿弥陀来迎図

高畑:
お迎えの一行ですが、あれは「阿弥陀来迎図」なんですね。平安貴族の間には既に浄土信仰があって、死ぬ時に阿弥陀さまが迎えに来てくれると考えていました。

お迎えの音楽は、悩みのない音楽をイメージしている

かぐや姫の物語 来迎図
お迎えの音楽は、来迎図に描かれた楽器から推測して作曲されている。

高畑:
阿弥陀如来は菩薩の楽隊を引き連れてやって来るんです。みんな楽器を演奏しながら踊りながらお迎えに来てくださる。
打楽器もいっぱいあって、かなり賑やかな音楽だったはずです。

(略)

平安時代の人は聴いたことがなく、絵として受け継いでいるだけの音楽だった。それを新たに作るならドンチャカドンチャカとリズムを奏でながら「お迎えでっせ」と来てくれるような、全く悩みのない音楽にしたかった。

『かぐや姫の物語』ロマンアルバム

かぐや姫の罪と罰

かぐや姫の物語
映画では、明確に描かれていなかった「姫の犯した罪と罰」は、高畑勲監督の企画書のなかで語られている。

企画書
かぐや姫は、清浄な光に満ちあふれる月の王の娘である。
姫は地球から帰還した女(羽衣伝説の一人)から、地上のことを聞いて彼の地に憧れる。

(略)

けれども、清らかで美しく、年をとることもなく心配事もない月の人とちがい、地上の人々は喜怒哀楽に身を焦がして、愛別難苦の情に振り回されている。
不老不死どころか、彼らの限りある命さえ、生老病死に苦しめられる。

(略)

このように、人間に関しては否定的に語られていたにもかかわらず、かぐや姫には地球がひどく魅力的なところに思えただけでなく、女がほのめかす人間の「喜・楽」や「愛」どころか、「哀」にさえ心惹かれ、どうしても行ってみたくなる。
禁を破って帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが発覚し、姫は、地上の思い出によって女を苦しめた罪を問われる。
そして罰として、姫は地球におろされることになる。

『かぐや姫の物語』ビジュアルガイド

宮崎駿は『かぐや姫の物語』を観て、「この映画で泣くのは素人だよ」と感想を漏らした

宮崎駿
宮崎駿監督が、初号試写で『かぐや姫の物語』を観た際に、感想を漏らしていたことを鈴木敏夫が「ジブリ汗まみれ」で明かしている。
放送では、初号試写を観るまでの動揺した様子も説明されていることから、宮崎監督の本当の感想ではないと思われる。

鈴木:
『かぐや姫』って、ジブリのこれまで作ってきた作品のなかでも、ぐんを抜いて、みんなの感動度が高かったというのか。泣いてらっしゃる方が多くて。スタッフなのに泣いてるんですよね。そしたら、宮さんが、周りをキョロキョロしながら出てきて、難しい顔をしてるんですよ。そしたら、何を言うかなと思ったら、ぼくらの親しい日本テレビの奥田さんがいて、やっぱり泣いていて。宮さんが来たら、いきなりみんなに聞こえるように、「なに奥田さん、目を真っ赤に泣きはらして。この映画で泣くのは、素人だよ」って言ったんですよ。
ぼくはね、宮崎駿って人との付き合いは長いけど、これは意味がわかんない。だって、「この映画で泣くのは、素人だよ」って、どういう意味? じゃあ、玄人の映画だったら、どうなの?。
その後、毎日のように顔を合わせるじゃないですか。何か言うかなと思ったら、その日を境に、『かぐや』について言及したのは、その一言だけ。何にも言わないんですよ。

映画『もののけ姫』のブルーレイの発売を記念して「”もののけ姫”と”かぐや姫” ~二人の”姫”はこうして生まれた~」と題したトークイベントの模様をお送りします。