耳をすませば

スタジオジブリ作品というと、映画のモデルとなった場所が人気となって、観光地化してしまいますよね。
どの作品もモデル地が人気となりますが、なかでも一番人気は『耳をすませば』だと思います。ジブリ作品としては数少ない現代を舞台にした作品で、思春期でゆれる多感な中学生の日常を描いています。



『耳をすませば』が1995年に公開されてから、現在に至るまで、モデルとなった聖蹟桜ヶ丘の町を巡礼するファンが後を絶ちません。

その人気となった裏には、何があるのでしょうか。

本作が、現代を舞台にしているということと、モデルとなった場所をわかりやすく描いていることも、人気となった要因だと思います。しかし、そこには宮崎駿監督による、ある仕掛けが隠されていました。

「ジブリ汗まみれ」で交わされた、ナイアンティック社のジョン・ハンケさんと、鈴木敏夫プロデューサーの対談で明かされています。

現実にある町をモデルに、架空の町づくりに成功した。

耳をすませば

鈴木:
ジブリで作った作品で、『耳をすませば』、英語だと『ウィスパー・オブ・ザ・ハート(Whisper of the Heart)』をご覧になったことありますか? これぜひ、観ていただきたいんですけれど。どうしてかと言うと、この映画は、日本に現実にある町、聖蹟桜ヶ丘という町があるんですけれど、宮崎駿がこの町のことをすごくよく知っていて。というのは、若いとき、彼はそこの町で働いていたんですよ。それで、その町を舞台にしようとしたんです。それで、全部彼は覚えていたんですよね。だからその1本の映画の中に、その町のそこかしこ、細かいところまで全部表現してあるんです。

宮崎駿が絵コンテ、ストーリーボードを描くとき、意図的にやったことが一個あります。1本の映画の中で同じシーンを、同じバックグラウンドで最低3回出したんです。ただし、ほんものの風景から電線を減らしたり、看板を減らしたりして、ほんものなんだけど、ちょっと加工は加えたんです。

そうすると、映画を観た人はその町を「体験」したんですよね。その結果、何が起きたか。その映画の公開中から、映画を公開した後も、若い人がいっぱい、その町に押しかけたんです。これ、未だに続いていますね。

やっぱり、3回出すというのは、印象づけるためだったんですよね。だから、現実にある町なんだけれど、それをモデルにしながら、架空の町をつくったんです。それだけ若い人が押しかけたということは、やはり宮崎駿の目論見は成功したんですね。

宮崎駿の最大の特徴は、バックグラウンドでも世界でも、架空に作ったものが一つもないということです。必ず自分が見た、行った場所で、自分が見た世界の印象を覚えていて、それでいろいろなものを組み合わせるんですよ。だから、元の建物、町はかならずあるんです。そこが彼の最大の特徴の一つですね。

ジブリの教科書9 耳をすませば
公開から20年経っても心をとらえる伝説の作品の魅力について、芥川賞作家・朝吹真理子さん、藤本由香里さんらが読み解く。

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