東映動画 森康二 政岡憲三『なつぞら』第31話で、ドラマもいよいよアニメーション編にシフトしだして、なつがアニメーション製作会社の「新東京動画社」に見学に行くシーンが登場しました。
ドラマの中で、この「新東京動画社」は後に東洋動画となり、東洋のディズニーを目指すという設定となっています。



これは、実在した東映動画をモデルにしているのは明らかですし、元々の「日本動画社」が東映に買収され「東映動画」となって東洋のディズニーを目指すようになるという流れも参考にしているようです。

東映動画

この東映動画の発足はいつからなのかというと、終戦直後までさかのぼります。
東映動画の前身となる会社は、戦前より漫画映画を製作していた山本善次郎さん、政岡憲三さん、村田安司さんらを中心にして1945年(昭和20年)に創設されました。
当初は「新日本動画社」といい、後に「日本漫画映画社」と名称を変更。さらに、1948年(昭和23年)に新会社として「日本動画社」を設立しています。

なつぞら 森康二

このときに、後にアニメーションの神様と呼ばれるようになる森康二さんが日本動画に入社しています。
ちなみに、森康二さんは『なつぞら』で井浦新さんが演じる“仲 努”のモデルと思われます。

日本動画で森康二さんは、『トラちゃんと花嫁』『小人と青虫』『子うさぎものがたり』など、数々の作品に動画・原画マンとして携わりました。

その後、東宝の子会社「東宝図解映画社」を吸収合併し、1952年(昭和27年)に「日本動画社」は「日本動画映画社」と改称し、さらに1956年(昭和31年)には、東映株式会社に買収されることでアニメーション製作会社「東映動画株式会社」となっています。
発足当時には35名の社員がいたらしく、そのほとんどが旧日動の社員だったといいます。

なつぞら こねこのらくがき

そして、東映動画の処女作として『こねこのらくがき』が1957年(昭和32年)に作られました。
このとき、東映動画1期生の大塚康生さんが、動画マンとして参加したそうです。

なつぞら 大塚康生

『なつぞら』で新人アニメーターとして登場した下山克己は、大塚康生さんがモデルと思われます。
ドラマではアニメーターになる前は警察官でしたが、実際の大塚さんは麻薬取締官でした。

白蛇伝

東映動画の発足時は、短編・中編制作の事業計画はあったものの、長編の記載はなかったらしく、香港からの持ち込み企画であった『白蛇伝』を日本初のカラー長編漫画映画として制作をスタートさせることになります。

そしてこの作品には、『なつぞら』の主人公・奥原なつのモデルでもある奥山玲子さんらが参加することになるのです。

まだこの頃は、高畑勲監督も宮崎駿監督もいません。高畑監督が入社するのは『白蛇伝』公開の翌年、1959年(昭和34年)のこと。宮崎監督は、それからさらに4年後の1963年(昭和38年)となります。
宮崎監督は、この『白蛇伝』を高校生のときに観たことでアニメーションに興味を持つようになり、東映動画に入社することになります。

白蛇伝
中国古来の伝説をもとに、白蛇の精と若者の恋を壮大なスケールで描いた日本初のカラー長編アニメ。

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