宮崎駿

先日のTBSラジオ「デイ・キャッチ!」の宮崎駿監督インタビューでは、『風立ちぬ』についての話も出ました。
宮崎監督は、何を想い『風立ちぬ』を作ったのか、そして何を伝えたかったのか、政治的な話を主軸にして語っています。このインタビューから、宮崎監督の中で鬱屈した、溜まりに溜まったものが解放された作品であることが分かりますね。



ゼロ戦の呪縛から解放された

――『風立ちぬ』はメッセージ性が強くて、今の時代に宮崎さんが問うものだったのですか?

宮崎:
なんで作ったのか、忘れてしまったんですけど(笑)。
あのね、ゼロ戦の呪縛から、完全に解放されましたね、ぼくは。小学校のときから、ゼロ戦っていうのは、不思議な霊力を持ってて、ずっとなにか付きまとってましたけど。でも、今はゼロ戦はどうでも良い、という感じになりました。ぼくだけ除霊しても、しょうがないんですけど。

――ゼロ戦の呪縛っていうのは、どういうものだったんですか?

宮崎:
「ゼロ戦は凄かった」って神話があるだけじゃないんですよ。それが特攻に散々使われ、あるときはアメリカの飛行機を凌駕して、神業のような空中戦もやってる飛行機です。それから、日本の航空技術が、個人のセンスによって世界の水準と並んで、一瞬だけ鼻さが出た。瞬間ですよ。たちまち向うは進むから、そのままいれば置いてかれるんですけど。
それで、堀越二郎って設計者は、軍がとやかく言わずに、「次のやつは、好きなように作れ」って言ったら、とんでもない飛行機を作った男です。ぼくは、それは確信してるんですけどね。その飛行機に合わせて戦術を考えれば良いんです。ところが、そうじゃなかったから、半分玄人の海軍の連中がとやかく言って、結局その道を閉ざしたんですよね。ほんとは、そうなんです。その悔しさみたいなものが、子供のときから伝わってきてましたから。そういうことも含めて、日本の近代史をどういうふうに考えるかっていう。堀越二郎っていうのは、稀有な才能を持った人ですけど、そういう人の中に集中的に表れている、一種の悲劇で。それが、ずっと自分に付きまとってたんです。なんか、すっきりしないんですよね。悔しいとかね。なんで、堀越二郎にやらせなかったんだとかね。どういう組織が、それをやらせなかったのかとか。そういうことも含めてです。

――時を同じくして、ゼロ戦とか特攻みたいなものを、ある種、美しく描く映画が出てきていて……。

宮崎:
それは前からありますよ。それが、いちばん楽なんです。そうやって総括してしまうのが。そうすると、そこからいつまで経っても抜け出せないですね。自分たちの歴史に対する、ものの見方もそこから抜け出せないです。ナルシズムなんですよ。それを、ずっとやってきたんだと思いますよ。だから、ぼくはそういう形で作らないことによって、もうゼロ戦の本は見なくても良い、って人間になっちゃったんです。

――ナルシズムはずっとあったんだけど、ここにきて日本はナルシズムが高まってるんじゃないかと思うんですけど。

宮崎:
そうだと思います。高まって、挙句どうなるかって言ったら、ろくなことにならないですよね。かと言って、前と同じ論法で平和憲法を守って、守っていれば平和になるんだっていう考え方でやれるほど、世の中が甘くなくなっていることも確かだと思います。いろんな要因が増えて、膨らんで、うごめいている。そういう時期に来たんだと思うんですよね。そういうときに、どういうふうに生きいったら良いのか、渡っていったら良いのか、ってことだと思うんですけど。
もっと簡単に言うと、日本を世界地図の真ん中に置いて作らないで、やっぱり隅っこのほうに置いておいて、それで今の紛争地帯がまさに真ん中に来るんですけど。そうして、やっぱり隅っこにいる島で。自分たちの歴史問題というのは、大陸との口承でですね、あるいは朝鮮半島の口承で、白村江の戦いがあったとか、呉が滅びて人がやって来たとか、いろんな口承がありますよ。元寇が来た、それから日本も秀吉の軍勢が行ったとか。いろいろありますけど、基本的に今のゴチャゴチャになっている中近東とか、中欧っていうんですかね、ルーマニアとかブルガリアとか、それからバルカン半島あたりのグシャグシャになって折り重なった歴史に比べたら、もの凄く単純だと思います。
なにが、いちばん問題かって言ったら、帝国主義の時代に、日本も植民地にされないために、精いっぱい努力した結果、自分たちも帝国主義の真似をした。結果的に、300万人の死者を出す戦争をやってね。それで、2発原爆も落ちて、という目に合った。それで、隣の国の恨みは、まだ消えてない。これ、消えてないですよ。もう、法的に解決はついたはずだ、って消えてないから、くすぶってるんで。それは、なんとかしなきゃいけないことなんですが、世界全体の歴史から見ると、ずいぶん分かりやすい歴史なんですよ。それ、ぼくらは地政学上、いちばん端っこにいるっていう良さだと思ってるんです、このごろ(笑)。

――東のいちばん隅っこのところでね(笑)。

宮崎:
そう。54個の原発が取り囲んでるところだから、戦争なんかできっこないって、その通りなんですけど。それだけじゃなくて、日本は知恵でなんとかやっていける場所にいると思います。民族と宗教が入り乱れて、ぐしゃぐしゃになって、しかも自然破壊と、どうして良いか分からない人口を抱えてやっていく国々に比べたら、日本はなんとかなるんじゃないかと、ぼくは思ってます。

――ぼくは韓国に記者として長くいたことがあって。右傾化した日本について、『風立ちぬ』を観ていない韓国の人たちが、宮崎駿まで賛美したのかという声が一部であったんですけど。それは気にされてないですか?

宮崎:
そういうのは出るだろうな、って予想してたから、「やっぱり出たか。くだらない」って思ってるだけです(笑)。
映画は、公開したときが勝負ではなくて、ほんとうにずいぶん経ってから、知己に出会うんですよ。ほんとに、こいつ、いちばん深く理解してくれてたってやつにね。何年も経ってから、たまたま出会うんです。そのときに、「ああ、作って良かった」って思いになるんで、お客が何人入ったとか、いくら稼いだとか、そういうことやってるから、世の中がつまらなくなるんでね。いや、それは気にしますけど、映画を作ってる側からすると、大事なことはそれじゃないです。

――宮崎さんの描いた作品で、政治的メッセージを与えるのは『風立ちぬ』が始めてな気がしますが、そんなことはないですか?

宮崎:
どうでしょうねぇ。生臭いものを素材にしてますから、飛行機というね。それで、軍事的なことしかない日本を舞台にしてるわけですから、生臭くなることは覚悟してやりましたけど。べつに、特に政治的なことを描くことになるだろうと思ってやったわけじゃないです。ただ、ぼく自身が、それに直面しなければいけないだろう、ということは感じていました。それを作りたいから、ゼロ戦は強かったなんて映画は、ぼくは作りたくもないですよ。空中戦の映画はですね、ゼロ戦の出てくる映画は、アニメーションではずいぶん前に、テレビアニメが始まった頃に、「ゼロ戦隼」とかそういうものが作られています。それで、職場にアルバイトとして、いっぱい流れてきて、ゼロ戦なんて描いたことないけど、みんな描いてるんですよ。ごそごそと、時間を盗んでは。頭にきてましたけどね、ぼくは。空中戦を描かせたら、おれがいちばん上手いと思ってますから(笑)。でも、描かなかったですよ、ぼくは。そういうことで描くもんじゃない。だいたい、あの漫画のレベルの低さで、そんなもん描いてたまるかって思ってましたから。ぼくは、描かなかった人間です。ですから、我慢してたっていうんじゃなくて、ちゃんと描く意味があるかっていう、ゼロ戦の空中戦を。そんなことは、ぼくには思いつかなかったですね。
ぼくは、もの凄い量の戦記ものを読んだんです。中学生の頃から。それで、何が分かったかっていうと、読んだだけで、こいつ嘘書いてるって分かるようになったんですね。ほんとうのこと書いてる人間っていうのは、ほんの僅かいます。ドイツにも、二人ぐらいしかいないですね。アメリカ人は、たいてい誇大に書いてます。ただ、ヨーロッパの場合は、戦火を確認するっていうことを、戦後ずっとやってる連中がいて、「落っことした」って言ってるけど、落っこちてないとかね。両方のデータ突き合わせるだけじゃなくて、どこに落っこちたか、それを探しに行ったりですね。いちばんやってるのは、フィンランドですけど。一機、一機、全部確認してます。そういう戦誌を残してますけど、日本は全部周りが海だったから、「落っことした」っていうと、誇大な戦火がそのまま語られている。そのうちに、この人は話慣れている人だなって。あちこちで話してるうちに、どんどん凄い戦闘になってですね、そういう戦記ものもいっぱい出てます。それが、分かるようになってしまったんです。それは確かめようがないですよ? なにも、最近になってから始まったんじゃなくて、戦争終わってから、ずっとやってたことですよ。

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